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アメリカは何処に行くのかーらふぃさんへの返信に代えて(その1)

昨年の11月8日付けの記事のコメント欄が、らふぃさんとのチャット状態になってしまいました。そもそもは、就任式に行く気だった私に、以前ワシントンに住んでおられたらふぃさんが色々アドバイスを下さったり、私の能天気な質問にご親切に答えて下さったりした部分が大部分なのですが、その中で、らふぃさんは彼女らしい実に知的で啓蒙的なコメントを残して下さいました。

私のブログのコメント欄設定はエキサイト・ブロガーでないと読めない設定になっているので、その部分を引用させて頂きます。アメリカをより深く理解する上で大変参考になるものですので。

就任式に関する部分は個人的なことなので省きました。またクリントン弾劾問題は、ヘンリーさんの飛び入りもあって大激論になったのですが(^^)、既に別記事で述べているので省きます。また彼女のコメントはとても丁寧に詳しく書かれた長文のものなので、ここでは、らふぃさんのコメントだけを載せることにします。

私の感想については、その2で書きたいと思います。皆さまにもじっくり考えて頂きたい中身の濃いものなので、しばらく時間を置いてから、その2は出します。出せるかどうかまだ不明ですが、らふぃさんのコメントを読んで頂くだけでも、この記事を書き始めた意義はあるかと、、、(汗&笑)

アメリカと宗教の関係は、日本の感覚で見詰めると完全に見誤ってしまう部分で、日本のメディアも基本的に全部誤解していると私は考えています。アメリカの政教分離は、そもそも他の国の政教分離とは方向付けが逆なのです。それはピューリタンが英国国教会の迫害から逃れてきたというアメリカ植民地の経緯を考えると明らかです。つまりアメリカの政教分離は、宗教を政治から守るためのものです。日本やヨーロッパで革命の起こった国々での政教分離は、宗教が政治に介入しないよう政治を守るためのものです。

どちらを守ることに重きを置いているか。これは、日本語の「政教分離」が、「宗教」と「政治」の分離であるのに対して、英語の同じ言葉が"Separation of Church and State"となっており、「教会」と「国家」の分離と言っていることからも説明づけられます。つまり、アメリカでは国家と教会が一体となった「国教」を置かず、信仰の自由を守る(憲法修正第一条)ことに重要性があるのです。

そして、政治家に対してもその宗教活動が政治によって制限されることは望ましくないと考えているという、日本とは全く違う背景があることを理解することがとても大切だと思います。もっとも、最近はアメリカの人達もこの部分を忘れて、どうして他の国の政教分離のようになっていないのかと疑問を感じる人も増えてきているようなのですが。

更に、アメリカの基本は、人々が共通の過去を持たず、理念によって共に目指す未来にこそ共通性があるということもよく指摘されています。だからこそオバマスピーチにもマケインスピーチにもくどい程現れる「統合」を意識的に政治的に目指さなければいけないのですが、国歌・愛国歌・国旗・国旗への忠誠・歴史教育に加えて、大統領をはじめとする政治家が口にする「神」もまた、この統合に必要な材料と考えられています。

社会学者のRobert Bellahという人が、この国民を統合するための「神」について、基本的にユダヤ・キリスト教的神であれば、国民の9割近くが信仰し、その意味でアメリカ国民を緩やかにまとめることのできる"Civil Religion"(市民宗教)となる、と表現していますが、これを翻訳したり研究したりしている日本の森孝一さんという学者は「アメリカの見えざる国教」という言葉をCivil Religionにあてています。

正に言い得て妙で、アメリカには国教はないけれども、国民の統合のための非常に緩やかで政治的にもどこにも書かれていない、けれども極めて政治的な「見えない国教」があると表現したのです。その意味で、大統領は政治的指導者であると同時に、アメリカ人にとっては精神的指導者でもあるという分析がされています。

大統領が政策で弾劾されるより、モラル問題で弾劾されるケースの方が多いのはこのせいかも知れません。大統領が聖書に手を置いて宣誓を行うことも、それを「大統領の牧師」と言われたビリー・グラハムが立ち会うことも、実はこの「アメリカの統合」においては、とても重要な意味があるのだと思います。

私なりに思うところですが、「十戒」については、「見えざる国教」的には当然問題のないものであり、寧ろアメリカ人の倫理の拠り所として、教育現場のみならず、州裁判所に石碑があったりするのですが、この価値観が非常に揺らぐのが1990年代後半です。ぶんさんが仰る教育現場での疑問も、アラバマ州裁判所の石碑問題もこの頃から表で問題視されるようになりました。

これは、アメリカへの移民の内容が変わってくる時期と重なっています。未だにヒスパニック(=カトリック)移民が多いとはいえ、この頃からイスラム系の移民が非常に増えてきて、様々な発言を初めとしてアメリカ国内でのプレゼンス
(存在感*)を増してきます。

同時に、中国、韓国、インドをはじめとする非キリスト教文化圏移民も国内で重要性を増し、ユダヤ・キリスト教文化を基盤とする「見えざる国教」を基盤とする伝統的価値観が揺らぎ始めます。2001年のテロというのも、アメリカ国内のイスラム系のプレゼンスの変化と決して無縁ではないと思われます。

クリントンの弾劾がうやむやに終わった件については、私は二つの理由があると思います。
一つは、その政権がリベラルな民主党であったことです。アメリカの伝統的価値観に対して保守の立場をとる共和党に対して、「変化・革新」を謳う民主党では、重要な政策(これが二つめの理由ですが)の前に、この伝統的価値を後回しにできるという側面がありました。

これが共和党で、内部からの反発を受けたとしたら逃げ切れなかったでしょう。共和党のニクソンがウォーターゲートによる弾劾前に諦めて辞任したことからも私はそのように思います。では、保守系が守るアメリカの伝統というイメージは何かというと--

1)ニューイングランドに始まる、父親を中心とするピューリタン的(プロテスタント)キリスト教による信心深い父系社会。これが共和党による妊娠中絶や同性結婚の反対に繋がります。

2) 西部開拓の途中で立ち向かった厳しい自然を、人間の力で征服するという、自然や先住民文化に対して民主主義を旗印に掲げて征服・勝利させるマッチョな社会。自然は共存する対象ではなく、征服する対象なので、アメリカの保守にとっては環境問題は共感しがたく、ライフルも手放すことができません。

3)連邦政府による中央集権よりも各州による地方分権を目指した「インテリな農民」によるジェファソン的な南部の田園社会。南部は、古くは奴隷を必要とする大農園による綿花・たばこ・砂糖栽培に経済を頼り、今は石油などのエネルギー系の産業に依存しています。どちらにしても簡単に他の産業に移行できない程の巨大な初期投資から始める産業に依存せざるを得ない社会で、保守に傾きます。また、このような大規模産業を管理する層にとっては市場でも自由競争を続けた方が生き残りやすいので政府が経済に介入しない「小さな政府」を目指します。

この三つの地域のイメージは概ね今回の共和党の選挙人獲得州と一致していると思います。

民主党はほぼこの反対側に位置すると考えます。北部的でこれらの価値観の対極にあり、自由で新しい価値観へと転換しやすい民主党の大統領に対する弾劾ということで、クリントン弾劾については、伝統的父系社会の長としての資質を問われたものの、ニクソンのようにその価値観に厳しく縛られる共和党の場合とは扱い方が違ったと思われます。

「アメリカの統合」をアメリカの伝統的価値に基づいて遂行しようとしたブッシュ政権が世界から孤立してしまったのは私たちが見てきた通りです。ブッシュ政権は、キリスト教右派を基盤とする共和党のグループに支えられて、この伝統的価値にこだわる余り、そしてその価値を信奉する人々の権益を守ろうと躍起になった余り、国連や国際世論を軽視し、独断的な方向に走ってしまいました。

この点では、民主党による政権は国際協調の点でもっと期待が寄せられると思います。元々国際的な問題よりも国内経済・社会問題を重視する方針の党ですから、なるべくアメリカの負担を少なくしながら世界のリーダーシップをとりたいと思っているところもあるのですが。オバマ氏は人種混合の進んだハワイやインドネシアで育った国際感覚のある人ですから、それを良い方向に活かしてくれればと願います。


*私個人に向けてのコメントで使われた言葉で、一般的にはまだ外来語として定着していない英語だと思いますので、らふぃさんの意味されたものと少しずれてしまうかも知れませんが、勝手に訳注させて頂きました。(汗)

同時に是非お読み頂きたい記事:

ひさこさんがご紹介されていたマハティール氏のオバマ大統領に宛てた手紙
らふぃさんの「国民統合のための儀式としての就任式」

by bs2005 | 2009-01-30 15:19 | 異論・曲論  

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