山口小夜子さんの言葉
2008年 11月 02日
何か意図的なことを排除する
自分をなくす
そこから入ることが皆、本質に触れることなんじゃないかな
チャレンジしたいことは?と訊かれて、、
よく校庭とかグラウンドとか、あそこに線を引きますよね。白いチョークのような粉で。あの線を引いてみたいな。
でも線て本当は凄く怖いものと思っていて、何でかというと、国と国の線を引く、それから隣と隣の線を引く、何か人類が出てきて線を引くということで争いが生まれたんだなと思うのね。
だから線て怖いんだなと思う。でも、あの校庭のあのまっすぐの線は、そういうものではなくて、とても純粋なもので、なんか天につながるそういう感じがあるのね。
次のはreisiaさんが深く深く共感して頷きそうと思ったんですが、、、
人もそうだけれども、人だけではなくて出会いですよね。それは今こんなに風が吹いているけれど風とも出会っているし、服とも出会ったし、糸とも出会ったし、布とも出会ったし、石とも砂とも出会った。その中に人が居た。
彼女は写真集で見た砂漠で暮らすある部族の少女の、凛とした輝きを持つ純な瞳に魅せられ、ずっと会いたいと思い続けて、大人になった彼女に会いにも行っているのです。その時の写真の女性を含めた部族の人々との出会いも、この言葉にはこめられていると思います。
彼女は4歳前後の頃、お祭りの能神楽を見て、他の子供は飽きてすぐ他に移ってしまったのに、いつまでも一人で見とれていたそうです。たった一人で白い能面を着けて、金色の鈴を持って静かに踊る姿に、空間を一人の人がぱっと変えてしまうエネルギーを強烈に感じたのだろうと思うと語ってました。
世界のトップモデルの6人の一人と称されたこともあるという彼女の、あの日本的美しさ、神秘性、水のような透明な自在さ、そういうもの全てが彼女の内面、こうした繊細な感性から生まれていたものだったのだと知り、今更ながら惜しい人を亡くしたと思いました。
by bs2005 | 2008-11-02 00:47 | 忙中閑の果実