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夢でキリストに噛みついた時


by bp2004 | 2005-02-13 07:54 | 待夢(time)すりっぷ from ぶんな毎日

私は今だにクリスチャンではない。でも夢にキリストが出てきた事がある。輝くように眩しくて、顔は見えなかったけど、はっきりキリストと分かった。眩しくて、目がつぶれるような感じで、それが分かった。

その頃、私は重い病気に苦しむ両親が、長男だからと祖母の世話を押し付けられている事に強い義憤を覚えていた。それまでだって自分の家庭を二の次にしても、長男として、兄弟の面倒を散々見てきた父である。

それなのに何と一方的な事かと腹を立てていた。功徳を積んで死んでから天国に行ったって、それが何だと思っていた。自分はどんな事があっても、あなたは長男だからとか、自分は嫁に行った身だからとか、死んでも口にしないと心に誓っていた。

それで夢に出てきたキリストに向かって、大胆にも、「死んでからどんな良い目にあったってしょうがない。この世には不公平が多すぎる。死んでから報われてもそれはそちらの自己満足だ。」みたいな文句を言った。本当に怖い者知らずとは怖ろしい。そしてキリストは何か弁解らしい事を言うか、多少、謝罪めいた事を言ってくれるかと思った。

そしたら、キリストは顔色も変えずに、たった一言、「天国は屈服したものの為にあるのではない。」と言って、さっと消えた。

その途端、すごく納得した。そうだよね、屈服したものばかりが集まっている所なんて、何の魅力もない。負けずに、最後まで重荷を胸を張って背負ったからこそ、行ける所なんだと思った。そういう人達ばかりが居るからこそ、素晴しい場所なんだと思った。

身体中を義憤という形でがんじがらめに縛っていたものが、その途端、さっとほどけて、身体が急に楽になって目が醒めた。慌てて、その言葉をノートに書き記した。起きた時に忘れたくなかったので。

今でも私のノートにはその時の、寝ぼけた乱れた筆跡のその言葉が書いてある。あれからもう30年近く経つのだけど、昨日の夢のように鮮やかに思い描ける。

その頃読んでいた曽野綾子の本の影響はあったのかも知れないけど、今でも私はあの時、キリストが本当に私の夢に現われてくれたのではないかと、実は思っている。あの夢で私は本当に救われたので。 それにしても凄い夢を見たものである。
by bp2004 | 2005-02-13 07:54 | 待夢(time)すりっぷ | Trackback |

by bs2005 | 2006-04-03 16:06 | 『ぶんな毎日』ダイジェスト  

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