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『東京タワー』 オカンとボクと、時々オトン

リリー・フランキーさんの『東京タワー』を読み始めた。まだ半ばだけど、とても良い。所々に、人生の深い味を感じさせる叙述がある。取り澄ました綺麗ごとでない人間の姿の美しさがある。切実に必死に生きる人の思いが溢れてある形になったという感じの愛がある。名作だと思う。読み進めながら、心に残った箇所を記録して行こうと思っている。



必要以上を持っている東京の住人は、それでも自分のことを「貧しい」と決め込んでいるが、あの町で暮らしていた人々、子供たち、階段の上に座って原価の酒を飲んでいた人々が自分達のことを「貧しい」と蔑んでいただろうか?金がない、仕事がないと悩んでいたかもしれないが、自らを「貧しい」と感じていたようにはまるで思えない。

なぜなら、貧しさの気配が、そこにはまるで漂っていなかったからである。



搾取する側とされる側、気味の悪い勝ち負けが明確に色分けされた場所で、自分の個性や判断力を埋没させている姿に貧しさは漂うのである。必要以上になろうとして、必要以下に映ってしまう。そこにある東京の多くの姿が貧しく悲しいのである。

「貧しさ」は美しいものではないが、決して醜いものでもない。しかし、東京の「見どころのない貧しさ」とは、醜さを通り越して、もはや「汚」である。


行儀とは自分の為の世間体ではなく、料理なら料理を作ってくれた人にt対する敬意を持つマナーである。こうした箸の持ち方程度のことで天下でも取ったような物言いをする女は、得てして料理人に対して「私はお金を払っている、お客よ!!」という態度でいる形式ばった行儀の悪い女であることが多い。



ふたりが離婚して、互いがこの先、一生会うことがなくても、ボクはどちらにも会う。そして、オカンの側にはずっといる。どちらかを選べとくだらない質問をされたら、ボクは迷わず、オカンを選ぶ。

ボクを育ててくれたのは、オカンひとりなのだから。オトンは面倒を見てはくれるけど、ジョンのように育ててはくれなかった。そのための時間を持ってはくれなかった。口と金では伝わらない大きなものがある。時間と手足でしか伝えられない大切なことがある。

オトンの人生は大きく見えるけど、オカンの人生は十八のボクから見ても、小さく見えてしまう。それは、ボクに自分の人生を切り分けてくれたからなのだ。

by bs2005 | 2006-03-26 00:43 | 忙中閑の果実  

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