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哂う(わらう)人・哂わぬ人

(本当は口へんに山を書いて、その下に虫と書く字で「わらう」と書きたいのだけど、二つのパソコンのどちらのソフトにも入っていないので、口へんに西という漢字ソフトに従っています。こんな字、見たことないんですけど。正しいのかな、うちの漢字ソフト?辞書にもないけど、、。)

お正月に忙しく立ち働いている時に、ちらりと見たテレビで名古屋市の特集をやっていた。殆ど見ていないのだが、その中で印象に残ったのは、100メートル道路だった。名古屋の道は普通でもすごく幅が広く、碁盤状に設計されていて、圧巻なのはその道路だという。確かに公園もある素晴らしい道だった。






それを見て、父が晴海通りを通る時に、よく言っていたことを思い出した。戦後、この道を作る時に、100メートル幅にしようという政治家ー確か河野さんだったように思うがー居たのだが、皆が何をバカなことを言うと一笑に付して、実現しなかった。

それが実現していたら、今のような万年渋滞はあそこで起きていなかっただろうし、その経済効果は膨大だったろうと、父はとても残念がっていた。私もそれを大渋滞の中で聞く度に、口惜しい思いがした。

名古屋では、その嘲笑された道が実現して、その素晴らしさを目で見ることが出来る。その都市には、その提案をきちんと受け止める人々が居たということだろう。

嘲笑する人間が賢くて、嘲笑される人間が愚かかというと、決してそうではない。先駆者とか、未来を見通せる人間が孤立する例は、歴史的にもいくらでもある。哂う(わらう)人間が多いか、少ないかは、どういう未来を作っていくかという面で、大きい違いになるように思える。そして、日本はアメリカと比べて哂う人間が多いように思う。

アメリカの授業では、生徒が平気で教師の話を中断して質問するし、その質問が実に下らない場合も珍しくない。それでも、教師も回りも嫌な顔をしない。丁寧に答える。慣れない頃は、何だか時間の無駄のような気がして、苛立ったものだけど、段々慣れてくると、自分も「こんな質問してバカにされないか」という不安から解放されて質問できるようになる。そういう教育を受けて育っているので、一笑に付すという傲慢さが、少ないのではないだろうか。

勿論、アメリカ人だってバカにして笑うことは多々あるし、個人差もあることだけど、日本人の方が、残念ながら哂う傾向は強いように思う。ひとの言葉を謙虚に聞き、どんな言葉の中にも学ぶべきものがあるという態度は、すごく大事だと思う。哂う人の多い社会は、結局、先細りになって行くのではないだろうか。

by bs2005 | 2006-01-05 01:31 | 日米雑記  

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