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出る杭

昨日の記事、[「ことな」と「おども」]で触れた日経の記事で、目立ちたくないという近ごろの子供達の傾向は、幼少の頃から、発表会等の行事でも、特定の主人公が活躍しすぎる劇は、選ばないように、皆に均等に、セリフがわたるような演目の選択に腐心する、等々の「目立たせない配慮」が、あちこちで為されていることが、背景にあるとあった。

そう言えば、かけっこ等の運動競技でも、順位や勝ち負けで、評価の差が出ないように、工夫されている事が多いと聞いた。一等もびりも皆一緒で、誰が一等だったのか、誰が勝ったのかも、よく分からないと聞いた事がある。



それで育った子供は、突出する機会がないので、突出出来る自信が育たない。突出しても良いのだという気持ちにすらなれずに、突出することを恐れ、目立たないように、気を配るのだという。

元々、日本は、「出る杭は打たれる」というメンタリティーを、強く持った国である。それが、どれだけ強いものか、アメリカなどに居ると、余計痛感する。アメリカは、出る杭になることに血眼になり、自分の子供が出るように、血眼になっているからだ。出る杭が賞賛を集めることはあっても、打たれたりすることは、先ずない。出損なっても、出ようとしたその気概や努力は、評価されるという国だ。

日本は競争の激しい国だ。均一に並んでいるだけに、同じレベルでの競争が、より激しかったりする。アメリカも競争の激しい国で、苛烈なまでの容赦のない面もある。全ての国を知っているわけではないけど、中国人も、勉学に関しての競争意識は、ものすごい。韓国もそうだという。

日本が、行き過ぎた競争に疲れて来て、弱者にも優しくあろうとする事自体は、悪い事ではないと思うけれど、順位づけをしない、皆が横並びに、という今の方向は、明らかに、間違っていると思う。悪平等でしかない。誰にとっても、有害だ。

自分達だけ競争をやめても、競争の厳しい国際社会の中では、生き残れない。正々堂々と、自分のあらん限りを尽くして、競争に立ち向かえる強さというのも、国際感覚の大事な一つだと思う。

更に、個性を育てて、それを武器に、それぞれが、それぞれの領域で輝く、というあるべき方向から、逆行してしまう。

競争が悪いのではない。ある分野で、一人の人間が輝くことが、悪いのではない。競争の分野が限られている事、光が与えられる分野が、限られている事が、問題なのである。

アメリカでは、多様な物差しで、多様な子供に、多様な光が与えられる。一つの場で、あるいは、一つの道で、挫折を味わっても、他の場、他の道、他の方法で、いくらでも逆転の機会がある。実際に、それがどれだけ実現されているかは、別の次元の問題になるけど、少なくとも、その姿勢だけは、確固としてある。

日本は、そうなっていない事が問題だ。場も、方法も、道も限られているから、逆転の可能性が、あまりに小さく、困難である事、そういう事が、ニートの問題とも関連していると思う。

今、絶対に必要なのは、そういう多様性を、育む社会にして行くことで、皆を横並びにする事ではない。そんな方向に行けば、将来の国力の、著しい弱化につながってしまうだろう。とどのつまりは、国力は、その国の人の力に他ならない。出る杭どころか、そもそも、出ない杭ばかりになった国に、よその国との競争に、立ち向かえる国力を期待できる筈もない。

by bs2005 | 2005-09-10 05:42 | 異論・曲論  

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