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優れた会話指導法ーproblem solving

最近、テレビジャパンで朝時々見かける番組。アメリカ人が先生で、色々な国からの生徒が居る。生徒の英語のレベルは中級または中上級位。会話が楽に出来るようになるのがゴールのようだ。

よく見かけるのは、二人、ないし三人に大ざっぱな状況を説明して、あとはアドリブで、皆の前で会話させる。今日の一つ目は、友人あるいは恋人が待ち合わせで、片方が遅れて来たという想定。二つ目は、新婚の奥さんがご主人の妹に、ご主人が仕事ばかりにかまけて家庭をかえりみない、どうにかならないかとという設定。

一つ目のは、女性が遅れて来た男性を責める。自分は忙しい仕事をやりくりして来ているのだと。(ここまでは多分与えられている設定)そこからアドリブなのだが、男性の方が愉快だった。「だって、君も遅れると思ったから。」「君はいつも遅れるから、たまに遅れたって良いだろ」みたいなことを言って、ますます女性を怒らせ、あげくの果ては、喧嘩別れになる。

先生はここで、それぞれの人は何を求めていたのか。どうそれを求めようとしていたか。それは結果的に得られたのか。何故得られなかったのか。どうすれば、違うように出来たのかと質問する。

その討論の後、今度は同じ女性に対して他の女性が試みる。今度は低姿勢でおわびにコーヒーをおごるとまで言う。そこでアドリブながらも全く違う展開になる。先生は同じ女性に、どうして今度はそんなに態度が変わったのかとか、コーヒー一つがそんなに違うのかとか聞く。その女性は詫びるという態度が真摯だったし、コーヒーはその気持ちの表われと感じて、文句を言えなくなったと言う。

二つ目のケースでは、初めは、ご主人の妹にご主人の悪口を言いまくって、あなたから何とかしてくれというので、どんどんその妹は兄の味方になって行って決裂する。これもその後、前日のような質問のあと、討議。それから、他の人が出て来て、何か良いアドバイスはないだろうか、と聞くと、その小姑(こちらは同じ人が演じる)はずっと同情的で、親身になる。そうなったのはどうしてかというような討論がまた為される。

アドリブでなされる会話も愉快で、身近だ。それを媒介にした討論も、実際に人間関係を学ぶという点でも興味をそそるし、皆、自然に自分の意見を言いたくなる。うまく使えない言葉であるにもかかわらず、身近な設定だし、人間関係のことなので、発言したい気持ちになる。「ブロークンでも必死で。」それが会話習得の大事な鍵だと思う。

今の指導法としては一般的なのだろうけど、私の頃にはなかった方法なので、見る度に羨ましい。こういう方法だったら、もう少し早くうまくなっていただろうになと。

言葉というのは、つくづくサバイバルの武器だと思う。問題が起きる。大きい問題、小さい問題。それを解決して行く為には不可欠のものだ。その原点に立っての指導なので、すごく有効だと思う。

ああ、、、大学一年で来る日も来る日もやらされた文型練習、あの時もそう思ったけど、今こそ、確信を持って言おう。あんなの全く無駄!英語が嫌いになっただけだもの。私の青春を返せ〜!、、、って言う程のことでもないけど。

by bs2005 | 2005-08-17 13:39 | 忙中閑の果実  

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