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アメリカは何処に行くのかーらふぃさんへの返信に代えて(その1)

昨年の11月8日付けの記事のコメント欄が、らふぃさんとのチャット状態になってしまいました。そもそもは、就任式に行く気だった私に、以前ワシントンに住んでおられたらふぃさんが色々アドバイスを下さったり、私の能天気な質問にご親切に答えて下さったりした部分が大部分なのですが、その中で、らふぃさんは彼女らしい実に知的で啓蒙的なコメントを残して下さいました。

私のブログのコメント欄設定はエキサイト・ブロガーでないと読めない設定になっているので、その部分を引用させて頂きます。アメリカをより深く理解する上で大変参考になるものですので。

就任式に関する部分は個人的なことなので省きました。またクリントン弾劾問題は、ヘンリーさんの飛び入りもあって大激論になったのですが(^^)、既に別記事で述べているので省きます。また彼女のコメントはとても丁寧に詳しく書かれた長文のものなので、ここでは、らふぃさんのコメントだけを載せることにします。

私の感想については、その2で書きたいと思います。皆さまにもじっくり考えて頂きたい中身の濃いものなので、しばらく時間を置いてから、その2は出します。出せるかどうかまだ不明ですが、らふぃさんのコメントを読んで頂くだけでも、この記事を書き始めた意義はあるかと、、、(汗&笑)

アメリカと宗教の関係は、日本の感覚で見詰めると完全に見誤ってしまう部分で、日本のメディアも基本的に全部誤解していると私は考えています。アメリカの政教分離は、そもそも他の国の政教分離とは方向付けが逆なのです。それはピューリタンが英国国教会の迫害から逃れてきたというアメリカ植民地の経緯を考えると明らかです。つまりアメリカの政教分離は、宗教を政治から守るためのものです。日本やヨーロッパで革命の起こった国々での政教分離は、宗教が政治に介入しないよう政治を守るためのものです。

どちらを守ることに重きを置いているか。これは、日本語の「政教分離」が、「宗教」と「政治」の分離であるのに対して、英語の同じ言葉が"Separation of Church and State"となっており、「教会」と「国家」の分離と言っていることからも説明づけられます。つまり、アメリカでは国家と教会が一体となった「国教」を置かず、信仰の自由を守る(憲法修正第一条)ことに重要性があるのです。

そして、政治家に対してもその宗教活動が政治によって制限されることは望ましくないと考えているという、日本とは全く違う背景があることを理解することがとても大切だと思います。もっとも、最近はアメリカの人達もこの部分を忘れて、どうして他の国の政教分離のようになっていないのかと疑問を感じる人も増えてきているようなのですが。

更に、アメリカの基本は、人々が共通の過去を持たず、理念によって共に目指す未来にこそ共通性があるということもよく指摘されています。だからこそオバマスピーチにもマケインスピーチにもくどい程現れる「統合」を意識的に政治的に目指さなければいけないのですが、国歌・愛国歌・国旗・国旗への忠誠・歴史教育に加えて、大統領をはじめとする政治家が口にする「神」もまた、この統合に必要な材料と考えられています。

社会学者のRobert Bellahという人が、この国民を統合するための「神」について、基本的にユダヤ・キリスト教的神であれば、国民の9割近くが信仰し、その意味でアメリカ国民を緩やかにまとめることのできる"Civil Religion"(市民宗教)となる、と表現していますが、これを翻訳したり研究したりしている日本の森孝一さんという学者は「アメリカの見えざる国教」という言葉をCivil Religionにあてています。

正に言い得て妙で、アメリカには国教はないけれども、国民の統合のための非常に緩やかで政治的にもどこにも書かれていない、けれども極めて政治的な「見えない国教」があると表現したのです。その意味で、大統領は政治的指導者であると同時に、アメリカ人にとっては精神的指導者でもあるという分析がされています。

大統領が政策で弾劾されるより、モラル問題で弾劾されるケースの方が多いのはこのせいかも知れません。大統領が聖書に手を置いて宣誓を行うことも、それを「大統領の牧師」と言われたビリー・グラハムが立ち会うことも、実はこの「アメリカの統合」においては、とても重要な意味があるのだと思います。

私なりに思うところですが、「十戒」については、「見えざる国教」的には当然問題のないものであり、寧ろアメリカ人の倫理の拠り所として、教育現場のみならず、州裁判所に石碑があったりするのですが、この価値観が非常に揺らぐのが1990年代後半です。ぶんさんが仰る教育現場での疑問も、アラバマ州裁判所の石碑問題もこの頃から表で問題視されるようになりました。

これは、アメリカへの移民の内容が変わってくる時期と重なっています。未だにヒスパニック(=カトリック)移民が多いとはいえ、この頃からイスラム系の移民が非常に増えてきて、様々な発言を初めとしてアメリカ国内でのプレゼンス
(存在感*)を増してきます。

同時に、中国、韓国、インドをはじめとする非キリスト教文化圏移民も国内で重要性を増し、ユダヤ・キリスト教文化を基盤とする「見えざる国教」を基盤とする伝統的価値観が揺らぎ始めます。2001年のテロというのも、アメリカ国内のイスラム系のプレゼンスの変化と決して無縁ではないと思われます。

クリントンの弾劾がうやむやに終わった件については、私は二つの理由があると思います。
一つは、その政権がリベラルな民主党であったことです。アメリカの伝統的価値観に対して保守の立場をとる共和党に対して、「変化・革新」を謳う民主党では、重要な政策(これが二つめの理由ですが)の前に、この伝統的価値を後回しにできるという側面がありました。

これが共和党で、内部からの反発を受けたとしたら逃げ切れなかったでしょう。共和党のニクソンがウォーターゲートによる弾劾前に諦めて辞任したことからも私はそのように思います。では、保守系が守るアメリカの伝統というイメージは何かというと--

1)ニューイングランドに始まる、父親を中心とするピューリタン的(プロテスタント)キリスト教による信心深い父系社会。これが共和党による妊娠中絶や同性結婚の反対に繋がります。

2) 西部開拓の途中で立ち向かった厳しい自然を、人間の力で征服するという、自然や先住民文化に対して民主主義を旗印に掲げて征服・勝利させるマッチョな社会。自然は共存する対象ではなく、征服する対象なので、アメリカの保守にとっては環境問題は共感しがたく、ライフルも手放すことができません。

3)連邦政府による中央集権よりも各州による地方分権を目指した「インテリな農民」によるジェファソン的な南部の田園社会。南部は、古くは奴隷を必要とする大農園による綿花・たばこ・砂糖栽培に経済を頼り、今は石油などのエネルギー系の産業に依存しています。どちらにしても簡単に他の産業に移行できない程の巨大な初期投資から始める産業に依存せざるを得ない社会で、保守に傾きます。また、このような大規模産業を管理する層にとっては市場でも自由競争を続けた方が生き残りやすいので政府が経済に介入しない「小さな政府」を目指します。

この三つの地域のイメージは概ね今回の共和党の選挙人獲得州と一致していると思います。

民主党はほぼこの反対側に位置すると考えます。北部的でこれらの価値観の対極にあり、自由で新しい価値観へと転換しやすい民主党の大統領に対する弾劾ということで、クリントン弾劾については、伝統的父系社会の長としての資質を問われたものの、ニクソンのようにその価値観に厳しく縛られる共和党の場合とは扱い方が違ったと思われます。

「アメリカの統合」をアメリカの伝統的価値に基づいて遂行しようとしたブッシュ政権が世界から孤立してしまったのは私たちが見てきた通りです。ブッシュ政権は、キリスト教右派を基盤とする共和党のグループに支えられて、この伝統的価値にこだわる余り、そしてその価値を信奉する人々の権益を守ろうと躍起になった余り、国連や国際世論を軽視し、独断的な方向に走ってしまいました。

この点では、民主党による政権は国際協調の点でもっと期待が寄せられると思います。元々国際的な問題よりも国内経済・社会問題を重視する方針の党ですから、なるべくアメリカの負担を少なくしながら世界のリーダーシップをとりたいと思っているところもあるのですが。オバマ氏は人種混合の進んだハワイやインドネシアで育った国際感覚のある人ですから、それを良い方向に活かしてくれればと願います。


*私個人に向けてのコメントで使われた言葉で、一般的にはまだ外来語として定着していない英語だと思いますので、らふぃさんの意味されたものと少しずれてしまうかも知れませんが、勝手に訳注させて頂きました。(汗)

同時に是非お読み頂きたい記事:

ひさこさんがご紹介されていたマハティール氏のオバマ大統領に宛てた手紙
らふぃさんの「国民統合のための儀式としての就任式」
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by bs2005 | 2009-01-30 15:19 | 異論・曲論  

どちらも必死、、、

シュレッダーが壊れて数ヶ月経つ。個人情報を守る為には不可欠の道具である。シュレッダーにかけられないので、捨てられない書類が溜まっていた。

すぐ買わなかったのは、いつも買う店は毎月のように割引券を送ってくる。それを待っていた。なのに、待っても待ってもなかなか来ない。じっと我慢の子だった。

いつもに比べて大分間が空いた感じがしたけど、それがやっと昨日届いた。喜び勇んで、お店に駆けつけ、前買ったものより少々高かったけれど、売り場にあった中では一番安い79ドルのシュレッダーを抱えてレジに行った。割引券は、50ドル以上の買い物をしたら10ドル引いてくれるというもの。

すると、そのレジの人が「この券はシュレッダー類には適用されません」と言う。それを聞いて、考えるまでもなく間髪入れずに私の口から出てきた言葉は、「じゃ、要りません。」

すると相手は慌てて「何とかしましょう。」と言って即座に10ドル引いてくれた。適用されないと言った舌の根も乾かぬ内に、、、。

不景気の時って、売る方も買う方も、恥も外聞も無くなるものだな~とシミジミ、、、。この場合、どちらかと言えば買う方の破廉恥度の方が高い気がするけれど、、(汗)。
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by bs2005 | 2009-01-29 12:54 | 能天気  

罪と罰ーヘンリーさんへの返信に代えて (その2)

「裁判と死刑ーヘンリーさんへの返信に代えて (その1)」で、出来るだけ早く(その2)を書きますと言ったのに、もう二週間以上経ってしまいました。すみません。

テーマが重く難しいのと、お忙しいヘンリーさんにはこんな駄文を読む暇はないだろうし、他に読んでいる方はおられないかも知れないし、段々、書かなくても良いかという気にまでなりかかってしまって、ますます遅くなってしまいました。(汗)

相変わらず確固とした立場は選び切れていず、迷ったままですが、これから死刑判決の絡む裁判への関与を求められる方もおられるかも知れません。今日の報道によると国民の63%が死刑判決への関与に反対しているそうですが、迷いは迷いのままの記事でも、そうしたことを考えるもう一つのきっかけになれば、と思って重い腰を上げることにしました。

前置きが長くなってしまいましたが、更生可能性という判断が基準になるのではないかという私の意見に関して、ヘンリーさんはこう書かれています。(その1)と重複しますが、再度引用させて頂きます。

私は正真正銘の極悪犯を間近に見たどころか、個室で面と向って治療をしたこともあるので知っていますが、この世には「更生能力ゼロ」の人間が想像以上にたくさんいます。更生させる、という観念自体が既になにかロマンチックな夢でしかないというのが私の見た現実です。そんな夢みたいな観念を基準に判決を下すことには大反対です。これって、つまり私は死刑制度反対ということになるのでしょうね。

(その1)で、そもそも裁判というものは人間が犯した罪を裁くという意味において、観念からも主観からも自由にはなりえない、客観的データにのみ基づくとしたら、判決はコンピューター任せに出来る筈で、そもそも裁くという行為の難しさはそういう具合に行かないところにあると述べましたので、ここでは更生可能性と言う時の私の考えていることを書きたいと思います。

私自身は幸い(?)、更生能力ゼロの人間に直接接したことはありません。ただ、そういう存在があることも、少なくないことも間接的知識の枠内ですが知っています。そういう存在が少なくないということに、疑問を挟む余地は無いと思います。

逆にだからこそ、更生可能性がある場合、それを考慮に入れない訳には行かないのではないかと思います。更生不可能な人間が少なくないとしたら、逆にそういう中で更生可能性を持つ人間を、大勢がそうだという理由で切り捨てることは出来ないのではないかと思うのです。

(その1)でもちらりと書きましたが、私が更生可能性という場合はあくまで人間としての更生可能性です。死刑にするかどうかが問題となるような事件で刑期を終え釈放、社会に復帰するというようなことは考えていません。一生、獄の中で過ごす終身刑のみが死刑の対極にあります。

また、再生「させる」という外からの観点も余り無いのです。人間としての更生というのは、その人の中に良心の目覚めが生まれてくる可能性があるかどうかという意味です。それがちらりとでも見えるか全然見えないかということです。本人の中にそもそも可能性が無い場合に、更生「させる」ということが外から可能なのかは非常に疑問に思います。

罰ということを考えた場合、死刑という形で葬り去ることが本当の意味で罰になるのか私は疑問なのです。犯行を犯した人間に少しでもその良心が芽生えることがあるならば、その良心の呵責の煉獄の中に被告を一生置くことの方が、罰として、また償いとしての意義があるような気がするのです。

その良心が芽生える可能性が無ければ、終身刑にしてもその罰としての意義は無いでしょう。ヘンリーさんの言われるような更生ゼロの被告の死刑は、私の場合は逆にやむを得ないような気がして、死刑反対という立場も取り切れていません。

ただ、私は犯罪という行為に人間の業の究極の姿を見る思いがして、犯罪心理学、犯罪ケースの本はかなり読んでいます。(家族に気味悪がられながら、、・笑)、そういう中で知識として得たものは、いわゆる極悪人と言われる人の育った過程です。

殆どがすさまじい虐待、あるいは徹底した無視、放置、ミルクも与えられない、抱かれることもない、おむつも替えられない、極端な場合はオーブンに投げ込まれるというような、愛情を全くかけられなかった人々であるそうです。

両親共、あるいは片親で、教育のレベルも低く、貧困で、子供を顧みる余裕も育て方も知らず、親自身がひどい虐待の犠牲者だった場合も少なくない、愛されたことが無いから、愛し方もそもそも知らない、愛そのものを知らないという場合が非常に多いのです。親がそもそも居ず、愛情の一切与えられない場所を渡り歩いたような人も居ます。

一方、裕福で社会的に高い地位に居る両親に育てられながら、自分勝手そのものの事件を引き起こす人も少なくありません。そういう場合は物は自由に与えられながら、両親の細やかな人間的愛は受けてきていない、、どちらも決定的に愛情にかけた生い立ちなのです。

人が人を裁くという問題に立ち返ると、完全な人間が居ない以上、完全な親も居る訳がありませんが、そこそこに一生懸命に、それなりの愛し方で子供を育てようとした親に育てられる機会に恵まれた人間が、全く愛の欠如した環境で育った人間に罰を与える資格があるのかという問題にもなってきます。

私は人間は環境に大きく影響される生き物だと思っているので、自分が同じ環境に生まれても、極悪人にならなかったとはとても思えません。また色々読んでいると普通の環境に生まれても、罪を犯すかどうかは紙一重の気もします。何度も犯罪を繰り返す場合は別としても。これから先、全く犯罪と無縁でいられるかも100%の自信はありません。人間というのは追い詰められたら何をするか分からない存在ですから。

そういう具合に考えて行くと、そもそも死刑にする資格は誰にも無いような気もしてきます。そこで考えるべきだろうと思う要素がもう一つ出て来ます。ヘンリーさんが主観的、あいまいとして否定されている「被害者、遺族の心情」の問題です。

ごく最近の例ですが、女性を殺し、発覚を恐れて遺体をトイレに流した事件があります。犯人は、法廷で消え入るような声で「こんなにひどい事件を犯したのだから死刑しか無い。死で償いたい。」と言っているそうです。

私が言ったような更生可能性ということで言えば、少なくとも良心はありそうな犯人ですが、私の心情では、この場合は被害者、遺族のことを考えると死刑にするより他ないのではという気がします。こういう犯罪を死刑にしないということは、遺族に死刑を言い渡すに近いことのように思えてしまうのです。

遺体をトイレに流すというような反社会的な事件は被害者側の心情だけでなく、社会規範を守るという要素も出てくると思いますが、、。

しかし、同時に犯人の望む通りに死刑にして、それで本当の罰になるのか、おのれのおぞましさに一生向き合わせるべきではないのかという考え方もあり得ます。

結局、考えれば考える程、答から遠くなる感じがします。ただ、裁判という制度を認める以上、他人=裁判官がそれをやっている内は良いけれど、自分が裁判員となったら、人に人は裁けないという論理を持ち出すことは許されないと思うのです。制度を認めるということは、人が人を裁くことを認めることに他ならないのですから。

そして、犯罪というものが客観的データだけで決められるような単純なものではない以上、また、客観的データそのものの信憑性が裁判員制度では保障し切れていない以上、(その1)で述べたように、裁判というものは、あいまいなものから逃げられない、主観と主観をぎりぎりまで突き合わせて、個々のケースを具体的に徹底的に論じて、可能な限りの客観性に辿り着くことを目指して行くより他ないものではないかと思います。結局、堂々巡りの返信ですみません。

今更になりますが、ヘンリーさんが結局私の場合は死刑制度反対になるのかもと書かれてましたね。更生可能性の無い極悪人を例に出されたので、むしろ死刑賛成の意見に思えたのですが、あいまいな基準で死刑かどうかを決めるのに反対だから死刑そのものにも反対ということでしょうか。そういう立場もあり得ますね。

私の場合は死刑を完全に否定し切れないからの迷いであるかも知れません。あいまいなものを基準にする位なら、いっそ死刑は完全に否定するという立場の方がすっきりするかもしれませんが、ヘンリーさんが実際に会われたような極悪人を生かし続けるというのも、私にはすんなり納得出来ないので迷いが止まりません。

途中までは同じ考えでも、正反対の結論が出かねない、それが裁くということの難しさ、死刑を語る時の難しさでもあるんでしょうね。こんなまとまりの無い返信がこんなに遅くなってすみませんでした。でも、ヘンリーさんのお蔭でずっと考え続けることが出来ました。有難うございます。
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by bs2005 | 2009-01-28 06:17 | 異論・曲論  

郭公のアメリカ事情

『カッコウの巣の上で』("One Flew Over The Cuckoo's Nest ")の映画がアカデミー賞を獲った頃、タイトルにあるcuckoo's nest というのは精神病院を意味すると聞いた記憶がある。

今日、ニュースを見ていたら、cuckoo は俗語では形容詞としても使われていると知った。

オバマが大統領になったのでイリノイ州の上院議員の席が空いた。後任を決める権限を持った知事がそれで金儲けをしようとして、逮捕されたのは日本でも伝えられたと思う。

彼は、今だに強気で「自分は何も悪いことをしていない」と色々のマスコミに登場しているのだけど、その中のインタビューで獄中に入った時の気持ちを訊かれて、「(同じ獄中体験を持つ)マンデラ、キング牧師、ガンジーに思いを馳せた」みたいなことを言った。

それで更に失笑と顰蹙を買っている。マスコミでも、こともあろうに誰と比べているんだ!という感じで報道されているのだが、イリノイ州議会の大物らしい人がその感想を訊かれて、一言、「クックー」。

こういう場合のcuckooは、「頭がおかしい、気が狂って、正気でない、正気を失って、常軌を逸した」という意味を持った形容詞だそうだ。

日本の童謡では輪唱などで親しまれ、私はカッコウには、ほのぼのとしたイメージしか持っていない。漢字で書くと「郭公」とやんごとなき人みたいですらある。

それがその人の口から出た「クックー」という音は、あきれ果てている感じを実にうまく表現していた。ちょっとカッコウに気の毒な感じがした。
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by bs2005 | 2009-01-27 05:24 | こんな日本語表現  

座右の銘

好きな言葉、大事にしている言葉は色々あるけれど、自分が実生活の中で一番実践しているもの、画に描いた餅になっていないものは何かな~と考えてみると、「転んでもただでは起きない」という言葉になるような気がする。

つまづいても、挫折しても、何かを掴んで立ち上がる。その経験を無駄にしない、、、というと、聞こえが良いけれど、最近の例、、、、、

玄米を炊くつもりで炊飯器に入れたまま、スイッチを炊飯に切り替えるのを忘れて保温のまま、半炊きのようになってしまった。とても不味くて食べられそうもない。おかゆにでもするより他無いだろうと、小口に分けて冷凍してあったが、そもそもそんなにおかゆを食べない。そのままになっていた。

友人がオートミールがコレステロールを下げるのに良いと言う。乳製品は控えるように言われているけれど、豆乳で食べる手があるなと思ったが、最近、オートミールは買い置きしていない。ふと、そうだ、あれを使ってみようと思った。外側が大分茶色くなりつつあったバナナを輪切りにして、これも小分けにして冷凍したのがある。

今日の昼、早速その三つを小鍋に入れてぐつぐつと煮てみた。玄米特有のつぶつぶ感が、オートミールによく似た食感になっている。元は玄米と豆乳なのに、オートミールのようなので、コーヒーと一緒に食べられる。好みで蜂蜜やジャムを入れても楽しめる。しめた!と思って、こういうのが「転んでもただでは起きないってことよね」と悦に入る。

非常に低レベルで転んで、非常にせこい形で立ち上がる私だから、この言葉を実践に生かせているんだな~と思いながら、もう一つの言葉を思い出した。「身の丈に合わせて生きる」、、こちらも実践しているってことよ!と開き直ることにした。
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by bs2005 | 2009-01-26 06:21 | 能天気  

遠くて近いような、近くて遠いような、、

大好きな友人、私以上に熱心なオバマ支持者の奮戦ぶりは以前にご紹介したのだが、オバマの当選後、私が就任式に出かけると言うとー結局あきらめたのだけどーちょっと驚いた顔をしていたが、何も言わなかった。

私の方も、あんなに熱心に応援していたのに行く気は無いのかな?世界中どこにでも出かけて行くフットワークの軽さの人なのに、、と思ったけれど、何も訊かなかった。

就任式前日一緒にテニスをした。最初、何も言わなかったので、私が行くと言ったのを忘れているんだろうと、こちらからも取りやめたことをわざわざ言わずにいた。

それが途中で思い出したようで、「あれ?就任式に行くんじゃなかったっけ?何故今日、ここに居るの?」と訊いてきたので、止めたのよ、と話したら、それが正解だと言った。そしてそこから色々な話を聞かせてくれた。

何を隠そう、、って別に隠していたわけでもないけど(笑)、彼女はD.C.で生まれて育ったのだそうだ。そしてあそこで生まれて育った人間は、ああいうイベントには参加しないものなんだと言った。それがどれだけクレージーなものか、とことん知っているからだそうだ。

そう言えば、1999年にニューヨークのカウントダウンに出かけた時、このイベントに来るのはよそ者だけだと言っていた。確かに周りは色々な国の言葉やなまりのある英語が飛び交っていた。そんなものなんだろう。

何を隠そう、、って、これも別に隠していた訳じゃないけれど(笑)、彼女はチェルシー・クリントンが通った、そして今度からオバマ夫妻の子供達が通う学校に通っていたのだそうだ。だから、彼女の親友には名前を聞けば誰でも知っている両親を持っている人も多く、そういう人たちの暮らしぶりを間近に見て、気の毒に思ってきたという。自分は普通の家庭で育って良かったと思ったのだという。そして政権交代の度にクラスメートの半分は入れ替わったのだとも。

彼女はD.C.の高校時代に、同じくD.C.に生まれて育ったご主人とデートするようになり、多少の紆余曲折はありながら結婚に至るのだけど、結婚した頃、ご主人はエヌエッチケーに勤めていたという。NHK以外にそういう名前の会社があるのかなと思ったら、正にそのNHKで、ワシントン支局で唯一のアメリカ人で、ブロークン・イングリッシュに囲まれながら、こういう人を取材したいと言われる度に、調査して見つけて来たりする仕事をしていたのだそうだ。二年ほどで辞めてカリフォルニアに移って来たのだという。

それぞれの国の首都で生まれて育った彼女と私が、何のご縁か知り合って、ともにオバマを応援し、ブロークン・イングリッシュに付き合って仕事をしていたご主人に代わって、今は彼女が私のブロークン・イングリッシュに付き合ってくれている。何だか人の縁の面白さを感じてしまった。人と人の関係は、遠くて近いような、近くて遠いような、、、
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by bs2005 | 2009-01-24 13:38 |  

Damages - season 2

以前、記事で取り上げたグレン・クロース主演のDamages、テレビ番組とは思えない上質のサスペンスと言いましたが、昨年のゴールデングローブ賞を獲得しました。

その番組の続編が最近、始まりました。続編には、ウィリアム・ハートというこれも名優がグレン・クロースとからんで熱演しています。NHKでもその内やるのではないかと思います。こちらではFX局でやっています。お見逃しなく。
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by bs2005 | 2009-01-22 16:09 | お目を拝借  

台湾式定額給付金

定額給付金の振込み料だけで150億円も掛かるのだとか、、。ますます膨大な無駄遣いの感が強くします。

先日のNHKのニュースで見ましたが、台湾でも同じような給付が行われたのだそうですね。ただ決定的に違うのは現金でのばらまきではなく、券を発行し、使用期限を設けたものだそうです。また、それを使って買い物をすると、その店でその倍額位の割引券がもらえたり、航空券なども、その券を使うとすごく安くなるとか、、。

これならば、タンス預金のようにしまいこまれる恐れもなく、短期間の内に波状的な経済効果もある。振り込み料も要らない。使わない場合も税金の無駄にはならない。どうしてもばらまきたいなら、せめてこんな形にしてもらいたいです。

日本政府は台湾政府にも大きく差をつけられ、頭の悪さを露呈してしまった感じがしますね~。(涙)
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by bs2005 | 2009-01-22 07:43 | 異論・曲論  

オバマの言葉の読み方

当選してからのオバマを見ていて、今まであまり気づかなかったオバマの側面に気づかされました。選挙中は彼の理想主義の面が強く前面に出ていましたが、彼は単なる理想主義ではないのです。非常な現実主義者でもあります。多分、今までのどの大統領よりもそうだと思います。そして私はそれを心強く思っています。

昨日の演説を改めて読み返してみると、彼のその面がはっきり分かります。彼はそれを崇高な理想を語る形で伝えたので、そしてアメリカ国民は嬉しさと興奮のあまり、彼のメッセージを本当には分かっていないで、彼が国民に求めたもののずっしりとした重み、変化を理解しきれていないだろうと思います。

アメリカで長く暮らしてみると、情緒的平和論が全く無力であることを思い知らされます。戦争が悪であると言っても仕方がないのです。核兵器がどんなに怖ろしいものかと言っても仕方がないのです。子供も含めた一般市民(他国)が犠牲になっていることの問題をいくら言っても仕方がないのです。全部、無力なアプローチでしかないのです。

最近のガザ攻撃の真っ最中に、民主党のペローシ議員を先頭にしたイスラエル擁護の決議が圧倒的多数で可決されました。国際世論の圧倒的なイスラエル非難がありながら。アメリカのイスラエル寄りは骨の髄まで染み込んだ業病のようなものです。それを非難したって何も始まらないのです。

情緒的なアプローチは力を持っていないのです。悲しくてもそれが現実です。情緒的な煽動に簡単に乗りやすい、非常に情緒的な特性を持つ日本人には理解しがたいことなのですが、、。

オバマがはっきりイスラエル抗議をしなかったこと、選挙中もイスラエル擁護を明確にしたことなどから、オバマもそう変わらないかもという日本での論評をよく聞きます。私も選挙中はひょっとしてと思いました。アフガニスタンへの兵力増強を彼が選挙中から訴えてきたことも、記事にも何度か書きましたが、不安に思って来ました。

今、私は彼の現実主義的アプローチの姿勢を見てきて、彼の緻密な計算を感じます。イスラエルを非難したり抗議したりするのは簡単ですが、この国でそれをやっても何も始まらないのです。擁護するという立場を示さなければ、何も動かせないのです。でも、イスラエルを擁護しながら同時にパレスチナの人々の立場に立って、そちらも擁護するという立場があり得る、彼はこれからそれを見せて行ってくれると思います。

主要なポストにイスラエル寄りの人達を起用したことも不安の材料に挙げられていますが、イスラエルを刺激しないように、イスラエルを巻き込みつつ、事を穏便に進めて行くためには、これも必要な手だったように思います。全ては、先ずイスラエルを擁護するという立場を打ち出すことから始めた彼なりのしたたかで現実的な戦略、深謀遠慮だと今は確信しています。

オバマはアメリカの善魔性を初めて克服してくれる大統領になるのでは、と、私のオバマへの期待はますます熱く、現実的なものになりつつあります。私の中でオバマは完全にケネディを超えた存在になりました。選挙中からオバマを熱烈に支持してきましたが、今、オバマは私が思ったよりも遥かに凄い人なのだという確信で満たしてくれています。

オバマに会ったこともないアンタなんかに何故オバマの本音が分かるのか、単なる買い被り、勘違いだろうと言われるでしょう。確かにそうかも知れませんが、彼の演説はそういう言葉では言いませんでしたが、「アメリカを守る道」を説いたものだと思います。それが私の信じる「日本を守る道」と、本質的に同じだから分かるのです。何がアメリカで無力か分かるからです。オバさんの勘違いも時には大当たりになるのではと期待せずにはいられないのです。

アフガニスタンも、先ずテロリストをやっつける、アメリカを守る、アメリカの正義と自由を守ると言わなければ、誰もついてこないのです。軍事的強化で先ず国民を安心させなければ誰もついて来ないのです。でも、彼が本当に目指しているのは、もっと根源的解決だと思います。彼の本当の狙いはそちらにあると私はあの演説で確信しました。

どこでそう思ったかというと、以下の部分です。彼はアフガニスタンやパレスチナの現実を日本の政治家よりははるかに理解し、同情を持っていると思います。ペシャワール会はオバマに沢山の知恵を与えられる存在だと思います。また、地球温暖化に対しても、経済の発展がそがれるというようなことを口実にできないアメリカ国民の責任というものを明示していると思います。

貧しい国々の人々には、我々が一緒に汗を流すことを約束する。農地が豊かになり、きれいな水が流れるようにし、空腹を満たすとともに、飢えた心も満たす。そして我々のように比較的豊かな国々は、国外での苦しみに無関心でいたり、影響を気にとめずに、地球の資源を浪費はできない。世界は既に変革しており、我々もそれに合わせて変わらなければならない。


これから、アメリカの国民はオバマが言ったアメリカ人が払わなければならない犠牲、責任の言葉の重みを知って行くのだと思います。そこからは今のような圧倒的支持は得られなくなるでしょう。そして正にそこからがオバマの真価が本当に問われる時だと思います。

でも、私は彼の用心深さ、現実的なアプローチ、したたかさを備えた理想主義に改めて、選挙中よりも、もっと大きな期待と希望を持つようになりました。北朝鮮の拉致問題も、オバマなら今までと全然違うアプローチになるでしょう。首脳会談で麻生さんは彼が本当に目指しているものにはっきりと目を据えて、拉致問題、ペシャワール会の活動、伊勢崎さん等々の活動をきちんと伝えるべきでしょう。

又、イスラエル寄りという業病を持ったアメリカの中で、言ってみれば孤軍奮闘しなければならないオバマに対して、今までのようなアメリカ追随を貫くことは、日本にもオバマの目指すアメリカにとっても益になりません。アメリカの外の同盟国の中からはっきり、アメリカはそれでは駄目だ、変わらなければ駄目だと言ってくれる国を彼は必要としているのです。

アメリカの中でイスラエル非難をしても動くものが無いからこそ、日本はきちんと独自の立場で、外から、アフガニスタンの展望や今回のガザ攻撃の問題などもはっきり言っていく必要があります。アメリカがイスラエル寄りだから日本も曖昧に、などという追随は誰の為にもならないのです。

あの麻生さんにこういう姿勢を期待するのは叶わぬ夢かもしれませんが、、、

参考資料:
アラブ対イスラエルの百年戦争
視点・論点{ガザ停戦の意味」
視点・論点「ガザ”戦争”の出口」
おはようコラム「イスラエル・ハマス 停戦は可能か」
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by bs2005 | 2009-01-22 03:52 | ドラマ・ド・オバマ  

オバマ・モメント

パレードの途中で車から降りて歩き出したオバマ夫妻

ワシントンの地域の人たちに開かれたNeiborhood Inaugural Ballでビヨンセの歌う"At Last"に合わせて踊るオバマ夫妻(最高にロマンチックで素敵な二人でした。ちなみにNeiborhood Inaugural Ballは、今回初めてとか。オバマらしい企画です。切符も無料から25ドルという安さ)
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by bs2005 | 2009-01-21 10:45 | ドラマ・ド・オバマ