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ハイターのこんな利用法

またまた、知らぬは私ばかりなり、、でしょうけど、漂白剤(キッチン・ハイターなど)って、切花を挿した花瓶の水にちょっぴり垂らすと、花の持ちが良くなるんですね。この年まで知らなかった、、、(汗)。水の腐敗を防ぐからかな?

こんな記事を書いているのは、他にも知らない人がひょっとしているかも?というより、最近、「へ~!知らなかった!一つ利口になった!」と感激したようなことを、しばらくするとケロリと忘れて元の知らなかった状態に戻ってしまうからなんですよ~。年取るって怖い、、というか、頭打ったせいでしょうかね~。こんなに忘れっぽいのは、、、?

ひょっとすると、これも昔、どこかで聞いて知ってたのかも?こんな自分がコワイ、、、
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by bs2005 | 2008-04-30 13:11 | 未知と無知  

アメリカ人の友人のメール

母が亡くなった知らせをメールで送ったときに、もらった返事です。家族という視点で考えると、国籍も肌の色も文化の違いも超えて、地球のどの人も少しも違わないのだと、こんな時、強く感じます。

I am so sorry about your mother's passing. What a beautiful way to depart this world and travel to the next. I firmly believe things happen for reasons.

How your mother was able to heal old wounds before she departed was the most honored and kind gift she could give to her family. I am thankful that she waited for your visit.
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by bs2005 | 2008-04-27 06:09 |  

「偶然」という名の奇跡に寄せる想い

今回、日本に戻って「偶然」母の死に立ち会う過程で、私は「偶然」の不思議な力を見せ付けられた思いがします。人の人生に本当の偶然などは無いのかもしれないという思いが改めて強くなっています。全ては大きな力で動かされているような、、、。

続き
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by bs2005 | 2008-04-26 15:14 | 徒然の瞑想  

桜の終わる季節にーもう一つのフィナーレ

お久しぶりです。そうじゃないかと思っていたと言われそうですが、実は日本に帰っていました。今回は成田から実家に辿り着くだけでも大仕事と思われたので、普段着と最小限のものを持って、友人達にも知らせず帰国の途に着きました。二週間の予定でした。

昨年の正月に会った母は大分弱っていて、今年の冬を乗り切れないのではと思いましたが、あれから一年三ヶ月、去年の冬どころか今年の冬も乗り越え、むしろ元気と聞いてましたが、会ってみるとその通り元気で、やれやれと安心しました。

思いがけない程元気だったとは言え、やはり見逃せない衰えもありました。それは気管切開をしている為に必要な痰を取る作業に、三十年ほど前は一回に10分程度、去年でさえ30分程度、長くても1時間で済んでいたのに、今や一度に四時間も掛かることさえあり、更にそれを何回も一日にしなければならないことでした。

気道の直径が7ミリという状態では、これをしないで放置すると直ちに窒息してしまうのです。その後の一週間は、いつも世話をしてくれている義妹に代わって私が主にその作業に付き合っていました。一日の大半はそれで時間が費やされて行きました。母はそれに体力を使い、へとへとになっていましたが、窒息の危険を思えば、休ませる訳にも行かなかったのです。

そんなに頑張っていたのに、私が日本に到着して丁度一週間目に母の状態は急変しました。その前日、かかりつけの病院で異常なしと言われていたのに、、。すったもんだの末に救急車で行きつけの病院にぎりぎりセーフで運び込み、そしていつもの母の奇跡の回復が始まりました。救急隊員に病院まで持たないと言われた程なのに、その三日後には退院と言われました。風邪による感染だが、抗生物質を飲めば痰も普通レベルに収まるだろうと言われました。

その退院予定日にまた急変、退院延期。それでも一週間以内に退院だろうといわれていたのに、翌日、面会で来ていた私の眼の前で再び急変。お医者さん達の懸命の努力にもかかわらず、呼吸が一時止まってしまいました。駆けつけた家族に向かって医者は恐らくその夜持たないだろうと言いました。呼吸が止まっていた時間もあるので、意識が回復しても脳や内臓へのダメージは避けられなかっただろう、安楽死の選択も考えるようにと言いました。

その同じ晩、母は奇跡のように何事も無かったように目覚め、皆と普通に会話をしました。医者は唖然としていました。私達は母のこんな奇跡的カムバックを数え切れないほど見てきたので、又だねと笑いながら深夜、家路に着きました。

翌日はもっと元気でした。私が会ったときは、お腹が空いたと二度も言って、点滴ではなく普通の食事をしたがりました。アメリカから普段着しか殆ど持ってこなかった私が、その日、畳んで運べる超薄手の手頃な価格のハーフ・コートを買い、それを普段着の上に着こんで母に会うと、似合うと喜んでいました。もう全然苦しくないと言ってました。

そして私達は、「じゃ明日ね」と笑顔で手を振り合って別れました。それが意識ある母との最後の時間になりました。

私以外の家族も、母のこの奇跡のカムバックの二日間のお蔭で、アメリカに住む私の次女以外全員が母に会うことが出来たのです。二度の危篤で駆けつけたお蔭で会うべき人間の皆が、母との時間を持てました。色々のことがあり、疎遠になって殆どまともに会えずにいた長男一家とも。

私が帰っていたのも偶然でしたが、オットも東京への出張は珍しいのに、その前日から来ていました。私の次女夫婦は残念でしたが、彼女達はこのお正月に来日し、母との時間を楽しんでいました。彼女達以外は、奇跡のように全員が最後に母との談笑を楽しみ、それぞれの空白の時間を埋め、笑顔で手を振って別れることが出来たのです。

その日、家に戻って夕食を食べているときに、数度目の急変の電話が入ったときも、大慌てで病院に向かいながらも、心の中でまた母はこれも乗り越えてくれるかもと思っていました。最後に会った母があまりに楽そうで、元気だったからです。

でも病院に着いて先生からお話を伺ったとき、その日が最期の日だと思わざるを得ませんでした。いよいよ、もう臨終というとき、母のベッドの回りに皆が呼ばれました。

父の最期に会えず、父に感謝の言葉を言えなかった私は、母の魂がまだそこに居る間にという必死の思いで、母に「有難う」といいました。すると母と不仲でいた時間の長かった私は、「ごめんね。」という言葉がたて続けに出てきて止まらなくなりました。合間に「有難う」を挟みながらも、私が母との別れに一番言いたかった言葉は、自分の母への頑なさに対しての謝罪ばかりでした。私はその二つの言葉を何度も言いながら、同時にその言葉を最期に言う機会を与えてくれた母への深い感謝の思いで一杯でした。

母が完全に逝ってしまったのだと分かった時、私はずっと世話をしてくれていた次男夫婦にお礼を言って、傍にいた次男に感謝を表す意味で手を差し伸べ、握手をしました。すると、何年もずっと頑なに次男夫婦へのねぎらい、感謝の言葉をかけてこなかった長男が、次男に手を差し伸べ、握手をしながら頭を下げました。そして義妹に初めて「有難う」と頭を下げました。

それから、母のそのベッドの傍で、次男は父母の世話をしてくれていた義妹に黙って最敬礼をしました。それに応えて、義妹も彼に最敬礼をして、二人は最敬礼の姿勢のままでしばらく向き合って居ました。お互い無言でしたが、二人がお互いに伝えたかったものは、私にもひしひしと伝わりました。二人の顔は見えなかったけれど、二人とも泣いていたこともはっきり分かりました。夫婦として一番美しい神聖な姿だと思いました。


その日は義妹の誕生日でした。こういう形で彼女を自由にして旅立つことが母の義妹への最後の誕生日プレゼントのように感じました。父の死に目に会えなかった私にも、こんな別れが母の最後の贈り物と感じました。病院のスタッフが綺麗にしてくれた後の母は今までの三十年の闘病の苦しみから本当に解放されたのだと誰もが納得できる、最近は見たこともないような安らかな顔でした。それも私達への贈り物でした。

そんな風に母は、全てのしこりと傷を癒すように、そして私達皆に、愛をさりげなく伝えて旅立ちました。まるで母の自作自演のような、見事なフィナーレでした。その見事さを思うとき、母の旅立ちを淋しく思う気持ちは勿論ですが、悲しんでいては母のその最後の作品にケチをつけるようで、涙ぐむことはあっても、元気にその後の2週間を過ごしてきました。

昨日、成田を後にしました。離陸して日本の土地がどんどん眼下に小さくなって行くのをみたとき、しみじみと、もうこの地上の何処にも母は居ないのだ、今度帰ってきても、私を迎えるあの笑顔はもう無いのだと思い、一気に涙が溢れて地上の風景が霞んで行きました。

追記:去年、これを書いたときは再び公開にする気は全くありませんでした。そして非公開にしたのに、一度公開したものはやり方によって見ることが可能だというアドバイスを頂いて、慌ててコピーをしてオリジナルは削除しました。これはコピーしたものです。

今、気付いたのですが、慌ててそれをしたので、オリジナルのときにコメントを頂いたのに、そちらをコピーしそこなって削除してしまいました。とてもとても心のこもったコメントを頂いたのに、下さった方々すみませんでした。コメントは残っていませんが頂いた温かいお気持ちは私の心に残っています。有難うございました。

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by bs2005 | 2008-04-23 14:07 | 賛辞のあなた