カテゴリ:徒然の瞑想( 176 )

 

キャンドルライト追悼会に参加して

キャンドルライト追悼式に参加してきました。会場には、色とりどりの紙が置いてあり、被災者達を励ますメッセージを書いて下さいとありました。

沢山そういうメッセージが集まって被災者のもとに届くのは、これだけ多くの人が心に留めて祈っていることの表れであり、多ければ多いほど良いだろう、書くべきだと頭では思うのですが、どうしても書けませんでした。

言葉を失う、というのはこういうことを言うのかなと思いました。書けないことに後ろめたさを感じながらも、「頑張って下さい」というのも、「くじけずにあきらめずに希望を失わずに」というのも、そうしなくても生きていける今の自分が言うことにすごく抵抗を感じてしまったのです。

そしてそのとき、痛切に胸を打ったのは被災者達の孤独の深さでした。頑張らなくては生きていけない、あきらめては生きていけない境遇に突き落とされた人々同士にしか共有できない孤独の深さ、その深淵の深さに圧倒されて書けなかったのだと今は思います。

これから私に出来ることは本当に限られていますが、せめて、その孤独への深い敬意と謙虚さを忘れずにいたいと今の私は思っています。被災地の方々、何も言葉を送れずにすみませんでした。どうかどうかご自愛ください。
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by bs2005 | 2011-03-29 12:28 | 徒然の瞑想  

2010年は「分かりやすい人」を目指そう!

新年早々の記事はピンポイントのエールでしたが、二つ目のこの記事は一般向けのエール。新年特集二弾目です^^。

一つ目の記事は、Rくん、Hさんを頭に置きながらのものでしたが、世の中には逆に「もっと社会の役に立てヨナ~!」「自分のことばっかり考えていないで少しは社会意識に目覚めたら?」なんて言いたくなる輩も少なくなく、また、「少しはいい人になる努力や気遣いをしたらドーナノ?」と言いたくなるのも居ますよね?^^;

そういうことはありながらも、敢えて過激なまでにピンポイントで言い切ってしまった根本にあるものは、要するに「もっと自分を楽にしてあげたら?息を吸い込むだけじゃ苦しくなっちゃうよ。もっと思い切って息を吐き出したら?」というメッセージだったと思います。そしてそれをもう少し突き進めると、結局のところ、もっと分かりやすい人になろうよ!ということのような気がします。

こうあるべき、こうすべきという考えに縛られてしまうと、つまる所は自分の欲求を極力抑え、従って周りからはその人が本当にしたい事が見えなくなってくるように思います。要するに本音が見えない人になってしまう。本音が見えない人というのは、相手の警戒を呼ぶし、人間関係の中で垣根が出来てしまいます。

そうして結果的には自分一人が垣根の外で、皆のため或いは社会の為に自分を犠牲にして頑張っているのに孤独感にさいなまれ、垣根の中には、自分から見ると我がまま放題、自己犠牲なんてさらさら考えてもいない人たちが仲良く談笑しているという感じになります。そうすると、自分はこんなに自分を犠牲にしているのにと、そういう人々に対して無意識ながらも怒りが湧いてきたりもしかねません。そうして垣根はますます高くなってしまいます。

多少、わがままでも、滑稽でも、分かりやすい人というのは、本音が自然に見えてくる人だと思います。高見盛のファンが多いですが、彼のあのパフォーマンスが好きという人たちも、あのオーバーなまでの動きよりも、勝負の前に緊張して気合を入れようと必死になっている彼のわかりやすさ、勝ったらそっくり返りそうになって堂々と帰り、負けたら今にも泣き出しそうに下を向いて帰る彼の分かりやすさを愛しているような気がします。たとえ彼が横綱にならなくても、彼が人格高潔な人でなくても、やはり彼を愛し続けるでしょう。

本音丸出しというのも辟易とする場合がありますが、適度に本音が見える分かりやすい人というのは受け入れられやすいものです。欠点があっても愛される人(欠点にも程度がありますが。^^)は分かりやすい人です。そういう人になる為には、今まで自分を犠牲にしてきた人、押し殺してきた人は、勇気を出して多少はわがままになってみる(=自分を大事に第一にする)と、周りから見て分かりやすくなってくるように思います。^^

いい人で頑張ってきた人は、初めは周りが戸惑うかもしれません。「いい人」というのは、往々にして周りにとって「都合のいい人」ですから、都合が悪くなると周りは怒るかもしれません。でも、時間が経てば慣れます。自分だって我がままなんだから仕方ないかと、、(笑) 

わがままになることを恐れずに分かりやすい人を目指しましょう!長い眼で見れば、これがお互いの垣根を取り払い、自分が楽になれる道だと思います。
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by bs2005 | 2010-01-04 01:17 | 徒然の瞑想  

マドンナの言葉

私の一番の財産は、打たれ強いことね。

どんなことも乗り越えて生きて行ける。ゴキブリみたいにネ。

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by bs2005 | 2009-12-26 03:16 | 徒然の瞑想  

テッド・ケネディ 逝く

ほんの数日前にテッド・ケネディ(エドワード・ケネディ)の後任を至急知事が選ぶようにという依頼があったというニュースを聞いたとき、彼の臨終が迫っていると感じましたが、それから本当にわずかの時間で訃報に接しました。

亡くなってから、改めて彼の偉大さに打たれる思いです。

私達の世代では、彼が起こした自動車事故でのスキャンダルや、ケネディ大統領、ロバート・ケネディと常に比べられ、兄弟の中で一番能力の低いのが残った、などと公然と言われたり、という印象が強かった人で、偉大でカリスマ性の強かった兄たち以上の評価は生前、一度もされたことがないと思います。

それは大統領選挑戦での敗退にも表れていたと思いますが、今、亡くなってみて、彼が議員としての長い政治生活の中で成し遂げてきたことの多さ、大きさ、熱意、党派を超えた人を結びつけてきた能力、努力、そうしたことの凄さに改めて驚かされます。

そして、長く生きた分、実際になしとげたことの大きさは有名な二人の兄達をしのいでいたのではと思います。常に比べられ、その陰に甘んじてきた人ですが、今、彼なりに二人の兄を既に超えていた部分もあり、彼もまた彼ら兄弟の最後の幕を引くに相応しい巨星だったのだと感じています。

オバマ支持表明演説


彼が支持を表明しなければオバマの大統領当選も無かった可能性は非常に高いと思います。ヒラリーが猛反撃を開始した矢先での表明であっただけに、、。最後の最後まで大きい影響力を持った人でした。

追悼の言葉はテレビでもずっと続いています。オバマが偉大なる章の終焉という通り、ついにケネディ時代の終わりが来た感じでもあり、子供の頃、JFKに強烈に憧れ、それからずっとケネディ家の人々を見てきた世代としては感慨が深いです。

大富豪の家に生まれながら、最後まで名も無き人々に寄り添って、その痛みを自分のものとして生き抜いたテッド・ケネディ、、、ケネディ家の精神をしっかり自分の人生の核に持ち続けていた彼のご冥福を心からお祈りします。

オバマの追悼スピーチ


追記:今日寝ぼけ眼でちらりと見たのですが、ある地方紙のトップの見出しに Ted is most important Kennedy.と1ページ丸々(と言っても普通の新聞紙の大きさじゃありませんが)に書いてありました。亡くなってみると彼が40年以上も議員として成し遂げた業績の大きさに、昔は散々叩かれた彼こそが一番この国に尽くしてくれたケネディだったのだという思いを沢山の人がしているのだろうな~と思いました。
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by bs2005 | 2009-08-27 01:25 | 徒然の瞑想  

人生は神様の宿題

最近、色々の人生を見てきて、人生は神様がポイと手渡した宿題、あるいはパズルのようなもの、そんな風に感じるようになってきた。人にやってもらっても解いたことにはならないし、出された宿題に文句を言っても始まらない、、そんなもの。

以前は何か試練に遭うと、それが神様のくれた宿題のように感じた。でも、今はそうではなくて、人生まるごと、そのまま、それ自体が神様の宿題と感じる。人はたった一度しかないチャンスを与えられて、文字通り一生を賭けてそれに取り組んで行くものなのだろう、と。

はたから見ると、苛酷すぎる宿題だったり、とても解けるようには見えない難解なパズルだったりしても、きっと神様には神様の計算とお見通しがおありなのだろう。それぞれの人にふさわしいもの、必要なものをお与えになっているのだろう。たとえ力量を超えるものであったとしても、そのことにもきっと意味があるのだろう。

ごく稀には易し過ぎるパズル、楽すぎる宿題を与えられている人も居るかも知れない。でも、そういう宿題を終えても、パズルを解けても、達成感も充実感も低いことだろう。辛すぎる宿題、難解すぎるパズルは、神様がこちらの力をそれだけ買って下さっているということかもしれない。

まだ宿題の全容も、パズルの全体像も私には見えていないし、夏休みの宿題をふ~ふ~言いながらやっていたように、私もそうやって、人生の最後を迎えた時に、にっこり笑って胸を張って「ちゃんと片付けました!」というのか、「すみませ~ん、全部は間に合いませんでした」というのか分からないけれど、とにかく、そんな風に生きていくより他ないのかなと思っている。神様が「結果はどうあれ、よくやった」と言って下さるかどうかは分からないけれど。

今日もせっせと宿題をやるだけサ!ーそう思うと小学生の夏休みに戻ったような、懐かしくてちょっと嬉しい気分になるから我ながら不思議である。
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by bs2005 | 2009-07-25 00:47 | 徒然の瞑想  

万事、塞翁が馬

人間、万事塞翁が馬という言葉を初めて聞いたのは、中学の漢文のクラスだったと思う。人生経験も少ない頃だから、実感としてはよく分からなかった。幸運と思ったことが不運を運んだり、不運と思ったことが結果としては幸運に繋がることがある。そういう単なる運・不運の話としてだけ受け止めていた。

最近はもっと深い意味として受け止めるようになった。そして、この言葉は何て人生の真実を衝いているのだろうと思うようになった。

金融危機のあおりをくらって、最近、私はパートに出ている。それで、前ほどの大量の記事(汗)を書き散らしたり出来なくなったし、ブログ回りの時間も著しく減ってしまった。時間的にはすごく限られた生活を強いられている。当然ゴルフはやめ、テニスも大幅に減らした。家事も限られた時間でやらなければならないので、大好きだった昼寝も殆ど出来ない。

この年で採用してもらえるだけで有難いとはいえ、老体とボケた頭に鞭打つのも、人に叱られこき使われるのもキツイ。最初は特にきつかった。肉体的にも精神的にも。背に腹は変えられない状況でなければ頑張れたかどうか?今は否応もないそういう状況であったことが有難い。お陰でしんどくても新しい楽しみを見つけられた。自分の外にも中にも新しい発見がある。

あの事故のあと1年あまり、身体を縦にするのもしんどい状態だった事を考えると、今の生活は本当に嘘のようだ。好きなことを好き放題出来ない生活も全然辛くない。一日立ちっぱなしでクタクタになる日があっても、それが出来る身体であることが嬉しく有難い。そう思えるのは、ひとえにあの事故のお陰だ。

考えてみると今までの長い人生でも、不運だと思ったり、何でこんな目にというような事が、あとから考えてみると色々なことに繋がって、あれのお陰で、、と思えることが沢山ある。本当に全てに於いて塞翁が馬だなぁとつくづく思う。

今、話題のスーザン・ボイルさんが10年前にチャリティーで出したというCD (Cry Me A River) を聴いた。当時1000枚しか出されなかったものという。聴いてみると今より若い分、声も甘い。歌い方はやはり類い稀な才能を感じる。でも、あの頃あのCDが評判になったとしても、今のようには行かなかっただろう。

あれだけの甘く美しい声を先に聴くと、どんな絶世の美女がと期待してしまう。37歳という年齢はそのギャップに耐えられなかっただろう。47歳という、外見よりも中身を期待される年齢になることが、ごく平凡な容姿の彼女にとっては必要だったのかもしれない。今回のような別の意味での期待を逆手に取った形が最適だったのかもしれない。

彼女の周りでは彼女の歌のうまさを知らない人は居なかっただろうけど、あの頃、特別な注目を浴びなかったのも、その状態が続いていたのも、塞翁が馬だったのだと思う。今の彼女の歌にはあの頃にはない深みがある。あの時でなく今だから良かったのだと思う。人生のタイミングは面白い。


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by bs2005 | 2009-04-21 07:47 | 徒然の瞑想  

柚子と一緒に新しく生きる

柚子と言っても大抵のアメリカ人は首を傾げます。You, zoo? なんて。確かに私は野獣並ではあるけれど、、、。(爆)

大抵のアメリカ人はそもそも柚子を知りません。普通には見かけません。日本食材を買える店でごく限られた期間、入手できますが、情けないような買う気になれないほど貧弱なものが高価です。

そんな柚子を家で育てている或る日本人とお近づきになりました。え?こっちで苗買えるの?と訊いたら、アメリカの安売りのお店でたまたま見つけて、20ドルちょっとで買ったのだけど、その後はもう見かけない。日系の苗の店に行けば時期が合えば買えるかもしれないけど、100ドル以上するかもとのこと。英名は無くて、そのままYUZUなのだとか。

春になったので、その日系のお店に行ってみました。た、高い!税抜きで約130ドル位。お洒落なバラの苗が3、4本買えます。安いバラならもっともっと。アメリカの不況の影響をもろに受けている我が家。手の届かない贅沢品、、、しばらく柚子の木の傍で迷いましたが涙を呑んであきらめました。

失意の内に帰宅してみたら、全く不当な請求書が舞い込んでいます。しかも160ドルと泣く泣くあきらめた柚子より高い!アメリカでは時々、こんな丸っきり不当な請求が来たりします。そんな町に出かけなかったのに駐車違反の請求が来たり、、。

当然ながら、不当であることを訴えて取り消してもらわないと、未払いということでクレジットの経歴に傷がつくのでほったらかしにするわけにも行きません。柚子をあきらめたのに、こんなもの支払ってたまるか~!と頑張って無事取り消してもらいました。

その騒ぎの中で心境の変化が起きました。柚子を泣く泣くあきらめるのがバカらしくなったのです。そうは言っても買うには大義名分が欲しい、、、。

ふと思いつきました。そう、私はつい先日、還暦を迎えたのです。還暦祝いの植樹ってことでイインデナイカイ?私の中の「買イタイ悪魔」がそう囁きました。それで数日後にあの不当な請求額を払った「つもり」の「つもり」貯金ならぬ「つもり」消費。柚子を買ってきました。

買ってはみたものの、植えるためには相当の大きい穴を掘らなければならず、色々大変です。いつもの事ながら、力仕事は腰痛もちのオットには無理です。

数日がかりで少しずつ穴を掘って、植えるにはあと一息のところまで来ました。その分、こちらもすっかり疲れ果て、腰も重くなって痛み始めてきた或る朝、ふと気付きました。今日は母の初めての命日。そうだ!母の一周忌の記念植樹として植えようと。絶対、今日のうちに。

それで疲れた身体に鞭打って植えました。植えているうちに、この柚子との出会い、そもそも話を聞いた頃からの全てがこの日の為にあったような、柚子は母の生まれ変わりのような気がしてきました。

たまたま父の誕生日に我が家にやって来たジンジャーは、父の生まれ変わり。たまたま一周忌にちょうど良いタイミングでやって来た柚子は母の生まれ変わり。これからの私は、この二つの存在に守られて行くような心強さまで感じました。

還暦を迎え初めのスタート地点に巡り戻った私、柚子も新しい土地での再スタート。これからはこの柚子と競争しながら一緒に頑張って、花も実もある人生にして行きたいものです。

植えてから早速二つ咲きました。とっても、とっても小さな可愛い花です。
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向こうはもう一花咲かせてしまった、、、^^;
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by bs2005 | 2009-04-14 06:26 | 徒然の瞑想  

正念場ー続

コメント(0)も全然珍しくない私の記事に、昨日は珍しくも短時間の内に複数の方からコメントを頂いたので、調子に乗って続編を、、(汗&笑)

家を出れば七人の敵がいるといわれる社会の先端で、数々の正念場をくぐり抜けてきた企業戦士のかなり多くの人々が、ここ数年の間に定年を迎えつつある。

でも、彼らにとって本当の正念場はむしろこれからかも知れない。会社という後ろ盾を失って、肩書きを失って、有能な部下も失って、裸の自分に戻ったこれからが人生の本当の正念場。そういう意味で定年は終わりではなく始まりかもしれない。

何かを失った時こそが、真の正念場かもしれない。その時こそ、その人の真価が問われる。

若さ、美しさ、身体能力を含んだ様々の能力、健康、頼りになる人々、、、年を取るということは、そういうものを失い続ける時間でもある。そういう中で、自分は歳月の中でも磨り減って行かない何を得てきたのか、年を取ることは、それが問われる人生の正念場、そんな気がする。
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by bs2005 | 2009-02-07 01:34 | 徒然の瞑想  

伊藤和也さんの写真展

伊藤さんの遺品の中にあった膨大な写真を一人でも多くの人に見てもらいたいと、ご両親が静岡・掛川で写真展を行ったニュースを見ました。改めて伊藤さんの素晴らしさとご苦労、それを乗り越えた業績の凄さを思いました。

彼の撮った写真、彼が残した文、報告書、作業の全てをオバマに伝えたいです。彼がアフガニスタンでの方向を見間違えないように、真の敵を見据えるように。

現地の人が「イトウは何の見返りも求めず、自分たちの為に昼も夜もなく尽くしてくれた。子どもたちはイトウが亡くなったことを知らないので、今でも車の音を聞くと、彼がやってきたと思って集まってくる」と語っていました。

こういう方が殺されたこと、本当に口惜しく悲しいです。
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by bs2005 | 2008-11-17 07:58 | 徒然の瞑想  

バーバの贈り物

実家に同居して、父母の世話をして最期まで看取ってくれた義妹がメールをくれた。

裏の庭のミカンとゆず狩りとせん定を しました。
実は今年は、木が折れんばかりに、実がなりました。
3年ぶり位です。
お向かいのおばあちゃんが 顔を出してくださったので、
おすそわけ させていただきました。
まだまだ 沢山なっています。
ゆずは お風呂に 最適です。
バーバが風邪をひかないように、と送ってくれた
贈り物のように思えました。



母が亡くなって半年余り、、、
こんな風に思ってくれる義妹の優しさと温かさに涙が出た。
心がぽっと温かくなった。
本当に母の義妹家族への贈り物なのだと思う。

こんな優しい人と人生最後の日々を一緒に過ごした父母は、
本当に幸せだったと思う。
R子さん、本当に有難う。
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by bs2005 | 2008-11-11 13:16 | 徒然の瞑想