カテゴリ:絆( 65 )

 

容疑者の家は友人の家!

もう7、8年になるのだろうか。正確に覚えていないのだけど、テニス友達の一人でご主人がボストンの大学の教授として招かれ、ボストンに引っ越した友人が居る。

数年に一度帰ってくる度に、彼女を囲んでランチをしたりしていた。その友人がかなり久しぶりにまた帰ってきて、彼女の友人の家に泊まっているので、そこで夕食を共にしようと友人達に連絡が来た。いつもはもっと集まるのだが、今回はSFジャイアンツがワールドシリーズの真っ最中のせいか、数はあまり多くなかったけど私は出かけて行った。

彼女に初めて会った頃は、ずけずけとものをいうし、テニスで一緒に組むと、あれこれと注文がうるさい、それで苦手で避けていたのに、いつの間にか全然苦手じゃなくなり親しくなった。彼女が来るなら是非会いたいと思ったし、彼女の方も「あなたには是非来てもらいたかったのよ」と喜んでくれた。初めの頃を考えると、いつの間にそうなったのかと不思議な感じがする。

最近、色々大変らしいという噂を聞いていたのだけど、会ったら、そんなことは微塵も感じさせない、全然変わらない意気軒昂とした彼女だった。ユーモアのセンスも少しも衰えていず、大いに笑わせてもらった。少人数ならではのこじんまりとした親密な雰囲気の中で、ワールドシリーズを見ながらコマーシャルの合間に、そして終わった後に会話を楽しんだ。勿論、ジャイアンツの第二戦の圧勝を一緒に歓声を挙げて喜びもした。

色々笑わせてもらった話の中で驚いた話は、彼女の今住んでいる家がABCの新しいドラマ・シリーズの1シーン(3分前後の放送時間)になるという。彼女の家が容疑者の家になるというのが、何となく彼女に似合った話に思えて、そこも笑ってしまった。

出演する女性が彼女の家の居間に居たと云うのもへ~っという感じだ。"Desperate Housewives"の主要な女優陣の中の50代後半の女優と名前を言ったのだけど、ピンと来なかった。そんな年代の女性が主役陣に居たっけ?皆もっと若い感じだけどと思いながら、その女優よりもテレビ撮影の方に興味が湧いてその話を聞いていた。

帰ってから、検索でその番組を調べて主役の名前を見て驚いた。彼女の家に来たのは正にそのドラマの主役で、"Desperate Housewives"の中でもひときわしっとりと色っぽい女性だった。40代とばかり思い込んでいた。画面から想像するよりずっと小柄で、すごく痩せていたけれど、すごくプロフェッショナルな静かな女性だったという。撮影クルーも実にプロフェッショナルだったそう。

その新シリーズは"Body of Proof"で、彼女の家は第九話か第十話に放送されるという。楽しみだ。
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by bs2005 | 2010-10-30 05:00 |  

For he is a jolly good fellow.

今朝未明に悲しい知らせをメールの中に見つけた。先週の金曜日の早朝に、大好きな友人が亡くなっていた。

とても親しくさせてもらっていた友人J。思い出はあり過ぎる位。私よりずっと年上で、引退したお医者さんだから、分からないアメリカの生活上のことから、健康上のこと、困ったときには何でも相談していた。私のジョークの切り返しが面白いからとよくいろいろなことに誘ってくれた。冗談の大好きな、いつも笑っているような人だった。

亡くなってみて皆が「いつも朗らかで楽しく、嫌なことを言ったり、したりすることの一切無い優しい人だった」と口を揃えて言う。本当に優しく楽しい人だった。怒りっぽい私を笑っていさめてくれたり、本音で付き合えた友人だった。

とても親しくさせてもらっていたのに、J.が肝臓移植を待っていたこと、亡くなる前は肝臓癌を患っていたことを全く知らなかった。人一倍元気でタフな人だったので、年齢的には80歳近いけれど、あと十年、二十年は軽く行けるだろうと思い込んでいた。回りの友人も殆ど癌のことは知らなかった。

5月、娘の出産の為に日本に戻る前日にたまたま電話をくれた。7月、戻った頃、出産は無事だったかと電話をくれた。J.は産婦人科医だったので、破水した娘に不安を抱えて飛び立つ私を安心させてくれた。二回ともいつもと変わらぬ朗らかで冗談好きなJ. だった。

肝臓癌で亡くなったことを知ったときは、何で教えてくれなかったのか、何で言ってくれなかったのかと思った。水くさいじゃないかと。5月にはもう分かっていた筈だ。7月には別れのつもりでかけてきたのかもしれない。でも、そんなことはおくびにも出さなかった。だから私も何も気づかず、いつもと同じように冗談を言って「又ね」と軽い気持ちで電話を切った。

訃報を聞いたときは、だから、そのことがとても辛かった。言ってくれたら、すぐにでも会いに行ったのに。もう一度会いたかったのに、、、と。

でも今思うのは、いつも朗らかで冗談ばかり言っていたJ, 弱った自分を見せたくなかったのかもしれない。私に心配をかけたくなかったのかもしれない。いつも楽しい自分を見せていたかったのかもしれない。私にかけてきたのも、そんな病気を忘れたかったのかもしれない。

For he is a jolly good fellow. (だって彼は陽気な善いやつなんだもの)

キング牧師と変わらない年代の黒人として生まれ、黒人のハンディを背負いながら医者になったJ.。同年代の中では珍しい存在だったろう。それだけ、ものすごい努力と苦労をしてきたのだろうけれど、一度も差別に関する苦い言葉を聞いたことが無い。いつもお茶目な笑顔を絶やさない人だった。白人にも沢山友人が居た。

ただ一つだけおかしそうに笑って話してくれた差別の話。昔、何もかも黒人と白人が違う施設を使わされていた頃、友人達とドライブしていた時、間違ってガソリンスタンドの白人用のポンプを使ってしまった。オーナーは飛び出して来て、今取ったガソリンを戻せという。謝ってお金は払うのだからと言っても、元に戻せと怒っている。入れてしまったものを今更と困っていたら、そのオーナーはホースを持ち出して、自分の口で吸い出して戻したのだそうだ。J. はお茶目な目で「あの人、身体壊して長生きできなかったと思うよ」と笑っていた。

辛い話や暗い話はしない人だった。いつも私をからかってきて、私もそれに切り返すのが忙しくて、そんなJ.を尊敬している、なんてひとことも言ったことがなかった。私の方も、J. をおちょくるようなことばかり言っていた。面と向かって褒めたり、感謝の言葉を改めて言った記憶が無い。

そうして何も知らず突然訪れた別れ。J.は既にもうお骨になっているという。今日、カリフォルニアらしい広くて大きく抜けるように明るい空を見て、「もうこの空の下のどこにもJ. はいないのだ」と痛切に思った。たまらなく淋しかった。

何で言ってくれなかったのという思いは消えないけれど、J. は初めて会った15年近く前から最後まで、いつもjolly good fellowだった。何も教えてくれなかったのも、きっとそれがJ.のスタイルだったのだろうと自分を慰めている。

さようなら、J. いつも有難う。あなたのことは忘れないよ。沢山の楽しい思い出、有難う。さようなら、jolly good fellow、J. とってもとっても淋しいよ。

関連記事:obituary



<American version>

For he's a jolly good fellow, for he's a jolly good fellow
For he's a jolly good fellow , which nobody can deny
Which nobody can deny, which nobody can deny
For he's a jolly good fellow, for he's a jolly good fellow
For he's a jolly good fellow , which nobody can deny!

この歌は引退、昇進、誕生日などを祝うときの歌だそうで、祝福の歌だそうです。亡くなったときには不似合いの歌かもしれませんが、jolly good fellow というのは正にJ.そのもので、J.の人生をJ.らしく全うしたことを祝福したいです。

jolly: 陽気な、明るい、素敵な
jolly fellow: 愉快な男、面白い男
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by bs2005 | 2010-08-24 17:21 |  

今を生きる

三度目の癌に襲われた友人と半年ぶり位に会った。メールで話はしていたのだけど、お互いに忙しく、会う機会が無いまま時間が過ぎてしまった。

抗癌治療の効果が上がらず、医療的には為す術もない状態に陥っている状態の彼女と会うのは正直怖くもあった。どれだけ衰弱していることか、どんなに辛い思いをしていることか、、。

でも、最近のメールで医者から「余命はせいぜい5年」と言われたと言いながらも明るい文面だったこと、私が勝手に想像していたのは余命一年も無いのではと思われたのに5年というのは思ったほど悪くはないのかもしれないと希望を持ったこと、そして彼女自身が「皆、もう私は死んだと思っている感じだ。そっと邪魔をしないようにと気遣ってくれているようだけど、私はむしろ邪魔をしてもらいたい」という言葉に勇気付けられ、思い切って散歩に誘った。

会ったらこちらの胸がつぶれるほどの弱り方なのではと、会うまではびくついていたけれど、会ってみたら驚くほど元気だった。知らない人が見たら、彼女がそんな深刻な段階にいる癌患者だとは夢にも思わないだろう。言われても冗談としか思わないだろう。

元々、すごく体を鍛えている人で食生活にも人一倍気を使っている人だったので健康、頑丈そのものに見える。見えるだけでなく、歩くのもしゃきしゃきとしている。1時間半ほどバードウォッチングをしながら広い自然豊かな湖のある公園を歩いたのだけど、こちらが彼女のペースに追いつくのにふ~ふー言う位だった。嬉しい驚きだった。

「全然体力的にも見かけでも(健康だった)以前と変わらないね。誰もあなたが病気だとは思わないだろうね。」と言ったら、「以前と同じよ。自分でも痛みも苦痛も無いし、弱ったとも感じない。そう言うと医者には今にそうは行かなくなるから気をつけろと釘をさされるのだけどね。」と笑って言う。

そして「強いていえば良い方に変わったわね。」という。どういうことかと聞いてみたら、こういう経験をして、自分は以前よりずっと人に対して寛容に優しくなれた。人との関係もよくなったし、毎日が楽しいという。

「いやなヤツと思うような人も、今はそういう人であるのは何か理由があるのだろう、それなりに哀しさを抱えているのだろう、可哀想だと思うようになったので嫌う気持ちが無くなった」という。

「以前はそんな風には全然思わなかったのだけど、人はどんなささやかなことでも、その人の住む世界に貢献し得るのだとわかった。たとえばスーパーで袋詰めをしているアルバイトの男の子が優しく接してくれる、そんなことで私はすごく明るく優しい気持ちにさせられる。その日一日、明るい気分になれる。そうやって彼は立派に社会や人に対して貢献しているのだと思う。」という。

彼女の母親との関係も良くなったという。以前からすごく仲のよい母子関係だったので、「前からそうじゃない?」と言ったら、彼女の母親は、自分と意見が異ならない限りは世界一素敵な母親なのだけど、意見が異なると、時にはとても意地悪だったのだという。そんなことは聞いたことがなかったから驚いたのだけど、そんな人だったので、違う意見、好ましくない意見を言うときは聞いてくれなかったり、さえぎって徹底的に論破するタイプの人だったのだという。友人の頑固さもそんな母親譲りだったのかもしれない。

その母親が、彼女がどんな葬式をして欲しいかというような話をすると、以前の彼女なら、そんなことを話すのはいけないとか、間違っている、とか言うのに、何も言わずに淡々と穏やかに聞いてくれるのみならず、情報をくれたりするのだという。静かに優しく寄り添って聞いてくれるのだという。

それを聞いてとても切なくなった。母親はもう80はとうに超えている筈だ。その人が自分の娘が自分より先立つことになりそうであるのみならず、その彼女の葬式の話まで彼女の口から聞かされる。どんなに辛いことだろう。それでも、その娘が相談しておきたい気持ちを第一に考えるから、自分のそんな気持ちを抑えて、和やかに話し相手になることが出来るのだろう。親の究極の愛のようなものを感じた。

友人はそんなことを淡々とにこやかに話しながら、「自分がこういう目にあわなかったら、自分は今の境地になれなかったと思う。自分には必要な経験だった。だから、何故他の人じゃなく自分がこんな目に?なんて少しも思わない」と言った。

彼女は病気以前と同じボランティアの仕事も週二回続けている。昨日はそれで7時間も働いたという。以前から続けている週二回の仕事も続けている。家の中のペンキ塗りの仕事もやり、旅行にも数回出かけ、今はイエーメンやブラジル、その他の遠方への旅行をいくつか計画している。毎日充実して忙しい。

散歩を終えて、彼女は私よりよっぽど、今を生きていると思った。



参照:コメントの中で頃子さんが紹介してくださった頃子さんの記事『understand』
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by bs2005 | 2010-07-11 18:23 |  

人を救うもの

rip-offで書いたように、車のディーラーやガソリンスタンドのぼったくりに散々カモにされてきた私だが、loaner(無料貸与車)で書いたガソリン・スタンドは全然違った。今どき、修理の間に車を無料貸与してくれるところなんて珍しい。そういう好意を見せてくれるところはやはり他とは違った。

その時貸してくれた車は大分埃だらけになっていて、前が見にくい位だったので、フロントグラスを洗うついでに車全体を洗って返した。洗っただけで、既に色があせているような車だったのでワックスを塗るところまではしていない。それだけのことなのに、そのガソリンスタンドのオーナーは感激してくれて、そこから良い関係が始まった。

ちょっと具合が悪かったり、不安があったりすると大丈夫かと相談に行く。何かの液が足りていないような時は、無料で足してくれたり、長距離のドライブに出かけるというと無料で簡単なチェックをしてくれたり、、、そんなことが度々。

今日も電気系統がおかしかったので寄った。置いていけば今日中に直しておくというので置いて行った。家から歩いて帰れる距離なので車が無くても過ごせる時は、私もロ-ナーを借りないで家まで歩いて帰るようにしている。

今日中と言っていたけど2時間もしない内に「出来た」と電話がかかってきたので、ジンジャーの散歩を兼ねて歩いて取りに行った。いくつかの部品を換えたけれど高額のものははないから、私が修理代を決めてくれればそれでよいという。それでは困るというと、「1時間以内の労働だから普通は120ドル(最低限)の労賃+部品だけど、他ならぬあなただから今日は部品も込みで50ドルにしよう」と言ってくれて、それで話がまとまる。

こちらでは、ぼったくりが当たり前のような車の業界、トヨタが最近槍玉に挙げられたけれど、大体、他も似たようなものという認識が普通だ。隙あればお客からお金を搾り取ろうとしている、そんな感じ。そんな中で、こういう関係を持てているということは何だか奇跡のようだ。

最近、めげることが続いていたので、こんな好意がやけに嬉しく、かさついた心が救われた気がした。70ドル+部品代のディスカウントが、私にとってどんなに大きなものだったか彼には思いも及ばないだろう。金額の問題ではない。そこにそんな人と人との関係があることが嬉しかった。改めて人を救うものは絆、と実感しながら家に戻った。
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by bs2005 | 2010-03-23 06:18 |  

瑞々しく軽やかな先輩たち

一ヶ月以上前になってしまいましたが、私のやや愚痴交じりの「伸び盛り」という記事に、『七十代万歳!』というブログをお持ちのヒサコさんから、こんなコメントを頂きました。

  伸びようとすれば、その時が伸び盛りでしょう。
  私は75歳半で「語り」を始めましたが、これぞ天職でしたね。”
  水を得た魚”状態です。生まれて初めて、ピタッと来るものに出会って精進しています。
  だから私も伸び盛り!!


私は60代に突入し、自分の記憶力・集中力の著しい低下は言うに及ばず、色々な面での老化に直面して、やれやれと思うことの多い昨今でしたが、75歳半で天職に巡り合うという言葉に新鮮な感激を覚えました。70代後半で「水を得た魚」、何て瑞々しい言葉でしょうか。75歳半と言えば、まだ15年も先、そんな先にそんな感覚に出会える可能性があると思うだけで、何だか勇気付けられ、慰められました。

この記事にはムイさんも「ははは 私もそう思っている能天気です」という軽やかなコメントも頂きました。ムイさんは私より少し年長らしいのですが、正確なところは知りません。いずれにしても、自分より年長の方々の瑞々しさ、軽やかさを見せて頂くと、自分も老け込んでいられないという気になります。

先輩!今後とも、これからやって来る日々に夢を与え続けてくださいね♪
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by bs2005 | 2010-03-22 12:06 |  

2010年に向けての個人的エール

Rくん、Hさん、明けましておめでとう!

「社会の役に立つ人間になるために頑張る」と抱負を伝えてくれたRくんへ

  そんな息苦しい考えは捨てなさい。
  社会の役に立たなくてよいのです。
  そんなこと頑張らなくてよいのです。

  それよりも、自分を愛し、慈しみ、自分の役に立つ人間になってください。
  自分の足を引っ張ったり、貶めたりせず、自分の中から輝く命になってください。
  一人一人がそうなれば自然に社会は明るく輝くものになるでしょう。

いつも周りを気遣い、自分を犠牲にして疲れ果てているHさんへ

  人間はこうでなければならないという牢獄から自分を解放してあげて下さい。
  人間は醜く弱いものです。あなただって弱くて醜くて構わないのです。
  一人だけそんなに立派な人間になろうとしなくてよいのです。
  自分だけそんなに「いい人」にならなくて構わないのです。

  人間は元々、そんなに大したものでも立派なものでもありません。
  そのままの人間を愛し、慈しみ、ゆったりと自他の弱さも醜さも、
  そのまま受け止め、赦して上げればよいのです。

  そうすれば、そんなに自分を痛めつけなくても、
  自然にゆったりと周りを包む「善い人」になるでしょう。
  一人一人がそうなれば自然に社会は温かく優しいものになるでしょう。


末筆ながら皆様に

  明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
  皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申しあげます。

                 2010年1月1日(アメリカ時間)


注:この個人的エールは、あくまで特定の個性、状況にいる個人にむけたものなので、違う個人に対しては全く逆の内容のエールを送り得るという前提の基で書いています。一般論では書いていません。この二人だけではなく、同じような個性、状況の中でもがいている人にも伝わるものがあるかもしれないという願いをこめつつ、、。

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by bs2005 | 2010-01-01 23:59 |  

Thank you for being you.

アメリカ人の友人の中に私がとても尊敬し、好感を持っている人が何人か居る。その中には、自分たちの私的な深いことまで話す友人も居ないわけではないのだけど、むしろ、大好きだけど距離を持った付き合いをしている友人の方が多い。相手の事情は殆どお互いに知らないというような付き合いの方が多い。

そういう友人の一人、こちらの周りに何かがあるととても優しい気遣いをしてくれる思いやりのある人だ。でも、彼女の悩みは聞いたことがない。ユーモアのセンスたっぷりの人で、すごく知的であらゆることに有能な人だけど、アメリカ人にありがちな「自分が、自分が」というところがない。相手の立場に立てる謙虚で控えめな人だ。勿論、強い人でもある。

そんな彼女が一年位前から、人生の大きな転機を迎え、一つの決断に向かって歩み出していたこと、そして最近、最終的な結論ー辛くて勇気ある結論を出したことを知った。彼女がそんな時期を迎えていたことも、悩んだり苦しんだりしていただろうことにも全く気づかなかった。ずっと、いつもと変わらぬ強く愉快で優しい、他の人のことを気遣う人だった。

彼女が選択したことだから結論の正しさには一つの疑いも持っていない私だけど、どんなに正しい選択だって、計り知れないほど辛く悲しい場合がある。ほとんど彼女はそれを表に出さないけれど、何かの瞬間にふとその深い悲しみを感じさせる。人に甘えない人だけに余計切なくなる。

彼女の力になって上げたいが、彼女はしっかりと自立したキャリア・ウーマンだし、聡明だし、強い女性。英語も満足でなく、アメリカで自立する力も持っていない私が彼女の力になれることなど何もない。そもそも私を必要とさえしていない。ただ慰めのメールを送ったり、ハグしたり、そんなことしか出来ない。それだって、アメリカの文化の中では育っていないから、適切なことを言えているかどうか、踏み込み過ぎているかもしれない。

他の件で彼女にメールを送るついでに、自分のそんなもどかしさを伝え、「適切なことさえ言えない、何も力になれない自分の無力さを痛感している。私に出来ることは祈る位だけど、一生懸命祈っているから」というようなことをちらりと書いた。

彼女から返事が来た。

You do so much for me just by being the person that you are. I just am grateful for having met you. Thank you for being you.

(あなたがそういう人であることだけで、私にはとても大きな力になっています。あなたに出会えて良かったです。あなたでいてくれて有難う。)

私は何度も何度も読んで泣いた。私は彼女の力に全然なれていないけれど、私の方がそんな彼女から大きな力をもらった。私も彼女にThank YOU for being you.(私こそ、あなたがあなたでいてくれることに感謝しています。)と送った。
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by bs2005 | 2009-06-25 11:56 |  

あまりにもアメリカ的な、、、、

あるアメリカ人のテニス友達の急死の知らせを受けた。子どもさんの一人がまだ高校生というのだから、50歳そこそこなのではと思う。自宅の庭で倒れて冷たくなっているところを、翌朝訪れた彼女の身内によって発見されたのだそうだ。

テニス友達と言っても、最近は会うこともなかった。私が頭の怪我からやっとコートに復帰した頃、彼女は肩だか背中だかを痛めてすれ違いになった。彼女とは本当にごく表面的な付き合いだった。テニスをして別れるだけの、、。心の中をさらけ出して語るようなことはお互いに一切無かった。そういう機会さえ無かった。色々の深い事情を聞いたのは彼女が亡くなってからだった。

彼女はスタイルもよく、あでやかな顔立ちが目を引いた。超エリートの仕事を持っていた。テニスも上手だった。初めて会った頃は、とても大きな家に住んでいるという噂で、ハンサムで同じく超エリートのご主人との間に、可愛い子ども二人に恵まれているとかで、いつも朗らかに笑っている人だった。全てを手中にしている感じの人だった。その頃、嫌な思いをしたことはない。まだ付き合い始めたばかりだったからかもしれない。

それから数年経って、幸せそのものに見えた彼女が、二人の子どもを引き取って離婚したと聞いた。すごく傷つけあう離婚だったらしいと人の噂にちらりと聞いた。亡くなってから聞いた話では、離婚まもなく夫には新しい彼女との間に赤ちゃんが生まれて、そのことにも彼女は深く傷ついたのだともいう。でも私が会うときは変わらぬ彼女だった。辛そうな様子は見たことが無い。

二、三年もしない内にずっと年下の素敵な男性と再婚することになったと、それも人づてに聞いた。とてもその結婚を喜んでいたとも。

その頃から一、二年経った頃だろうか。自分勝手なことを言ったり、ゲームの約束に来なかったり、逆に約束していないのにやって来たり、、と、いいかげんな彼女の面を知るようになったのは。こんな人だったのかと思った。しかし、基本的に大したことじゃないので笑って許すか、冗談交じりに文句を言いながらも、こちらが彼女の我儘に折れるという感じで付き合っていた。

最後に彼女とやりとりをしたのはメールでだった。会うことはなくなっていたのだけど、たまたま、或る件が彼女に絡んでいて、彼女は非常に自分勝手なことを言った。私一人のことならば折れたのだけど、他の人が絡んでくるので、今度は簡単に折れるわけには行かなかった。

彼女の言い分はどんどんエスカレートして行った。回りの人が「そんなことを言うなんて彼女はおかしい、何か他に問題を抱えているのでは」というほど、筋の通らない言い分を繰り返し、こちらの言い分は一切理解しようともしなかった。

話は平行線のままで、私はもう話し合うのは止めようと言った。これ以上話し合っても無駄としか思えなかったからだ。お互いに不機嫌なまま、メールのやり取りは終わった。それが彼女との最後だった。それからほんの半年ばかりの今、仲たがいしたまま、彼女は逝ってしまった。言い争ったことは、命の重さに比べれば本当に取るに足らないことだったのに、もう取り返しはつかない。

私の別の友人が彼女の死を教えてくれた。彼女自身、昔は亡くなった彼女とよくテニスをしたけれど、深い付き合いはなく、最近の彼女のことは知らなかった。詳しい事情を知る人からその死を知らされ、残された子供達の為にお葬式に沢山の人が来て、彼らにとって沢山の人に愛された母親というイメージの葬式であって欲しいと、出来る限り知らせたのだという。

知らせた人々も最近の彼女のことは知らず驚いていたという。けれど、その友人の努力の甲斐あってか、葬式には沢山の人が訪れ、盛大なものだったそうだ。どれだけの人が本当の彼女を知り、彼女の本当の心の内や苦しみを知っていたのかは分からないけれども、、。

詳しい事情を知っている人の話によると、彼女の二度目の結婚も、数年もしない内に駄目になっていたのだという。そして最近はアルコール中毒が悪化し、病院に通ったり、彼女の飲酒を止めようとする支援グループが家に来たりしていたのだけど、それも効き目が無くという状態だったのだそうだ。彼女のアルコール中毒がいつから始まったのかまでは分からない。ただ約束にいい加減になっていたのはお酒のせいだったらしい。

彼女がどうして倒れていたのか、倒れた段階で見つかっていれば助かったのか、そういうことも分からない。子供さん達が何故家に居なかったのか、子供さん達は最近は前夫に引き取られていたのか、それも分からない。分かっているのは彼女はたった一人で逝ってしまったということだけ。彼女の最期の瞬間がどんなものだったのかは誰も知らない。

今、頭に浮かぶのは、不思議なことに最近の彼女ではなく、ずっと昔の初めて会った頃の、幸せな結婚生活の中でキラキラ輝いていた眩しいような笑顔ばかり、、。

本当の自分は全然私に見せなかった彼女、それを知らなかったばかりか、彼女が苦しんでいるのかもと思い測ることもしようとしなかった私。お互いにたった一度の人生なのに、本当には一度も出会わず、すれ違うばかりで唐突に終わってしまった彼女とのご縁。

どうぞ今は心安らかにありますように。合掌。
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by bs2005 | 2009-05-26 03:47 |  

潮のうねりの中で、、、

今日、ある店で買い物をしていたら、声を掛けてきた人が居る。見たら、二度目の癌にかかって抗癌治療を半年受けていたアメリカ人の友人だった。昨日、抗癌治療が終わったとメールをもらったばかりで、半年以上会っていなかった友人なのに、彼女の住む町から大分離れたお店で昨日の今日、偶然会うなんてご縁だな~と思いつつ、しっかり生還祝いのハグをしあった。

いつも信念をしっかり持って生きている彼女らしく、全く毛のない頭を隠そうともせず、堂々と買い物をしていた。以前メールで素敵なカツラを手に入れたと書いてあったので、無いからしていないのではないのだと思う。その全く毛のない頭は癌を乗り越えた誇りの証のように見え、普通なら気の毒に思う所だけど、こちらまでその頭の輝きを誇らしく思うほどだった。

彼女の最初の癌は治療法のない特殊な癌だった。手術も出来ないし、抗癌治療すら出来ないという。彼女のお兄さんがお医者さんということで、まだ人体実験段階の薬を服用することによって彼女は辛うじてその危機を乗り越えた。

それ自体、奇跡のようなことだったので、二度目の癌に罹って、今度はリンパ腺まで広がっていると聞いたときには、聞いているこちらの方が絶望的な気分だった。一人の人に二度もこんな奇跡が起きるものかどうか危ぶんだ。

それでも彼女は驚くほど前向きな姿勢で、その癌と闘ってきた。そして今、私の目の前に居る彼女は、完全に身体のどこにも癌細胞は無くなり、もう薬も飲まなくてよくなったのだと晴れ晴れと笑ってみせた。その言葉を裏付けるように肌もつやつやと輝き、みるからに健康そうな力強い感じだった。

「凶の力と勝負脳」の記事を書いた頃、私の周りにはこれでもか、これでもかと凶が押し寄せていた。記事で書いたことはそういう中のほんの一例に過ぎなかった。これ以上書くのは辛すぎて、たまたまその中の一つを書いただけだった。

大事な大事な人を思いがけない若さで失った友人も居る。車椅子生活を余儀なくされた、などというのは珍しくない。生きているだけで有難いと思えるほど、不運な話を次から次へと聞き続けてきた。まるで私が不運をそこら中にばらまいているような気すらした程である。

先日、その大事な大事な人を失った人から、とても素敵な画集が届いた。私のカードに励まされたというお礼と共に、今、桜が眩しいほど美しいです。桜の実物は届けられないから、せめて絵で桜を届けたかったので、と書かれてあった。

とてつもなく辛い思いから立ち直る過程で目にしみる桜の眩しさは、私の想像を超えるものだろう。そういう辛さから立ち上がる過程で感じられるからこその眩しさなのだろうと思う。家を出る気にもなれず、何もする力も無かった彼女が、私に送ることを思いついただけでなく、それを実行に移す気力まで戻ってきたことが何よりも嬉しかった。

先日の記事でも、もう一つ紹介したけれど、こんな風にここのところ、凶に見舞われていた人々から、今度は次々に明るい知らせが入る。こちらの方も書き切れない位だ。凶の知らせばかりだったひと頃とまるで様変わり。

凶というものを、人はこうして乗り越えていくのだと目の当たりにして勇気付けられると同時に、人生というのはまるで潮の満ち引きのようだなと思う。人間には潮の流れを変える力は無いけれど、引く時は一緒に悲しみ、満ちる時は一緒に喜びを分かち合う、、、そんなうねりの中で、人と人は寄り添って生きていくものなのだろう。
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by bs2005 | 2009-05-13 07:15 |  

感動した或る友人からのメール

「凶の力と勝負脳」の記事で突然お母様が不慮の事故で下半身不随になられた友人のことを書きました。当初は色々辛い思いをしていた彼女、その彼女から最近、近況を知らせるメールをもらいました。素晴らしい内容で、同じように凶に見舞われた人、今、試練のど真ん中にいる人に勇気を与えるものだと思いましたので、彼女のお許しを得て、ここにご紹介します。彼女のお母様は今、リハビリ専門の病院に入院中です。

母のことですが、高齢の為、リハビリがはかどっているとは言えませんが、月に一度の二泊三日の母との時間を楽しめるようになりました。何かをやってあげるというより、一緒に楽しむ事が、母にとっても充実した時間になっているとしみじみ感じています。

たわいの無い話をして、二人でおなかをよじって笑ったり、買い物にいったり、花をみたり、お菓子を食べたり、特別なことじゃなく、ふつうの生活。病院にいても出来る限り、昼間は起きて体を起こし、車椅子で動くようにしむけています。体を寝かせているのと、起こしているのだけでも、筋肉には違うような気がします。

そして、下半身不随になったからこそ、母の体をしっかり抱きかかえたり、手を握ったり、スキンシップが出来るようになったこと。これは人間としてよかった気がします。元気だったら照れくさかったことが不自由だからこそ、存分にできる。不自由だからこそのプラスの面、何事にもあるなと気づかされました。

どんな時も、前向きに生きていけば、絶対に幸せになれると感じています!
なんちゃって~


半年も経たない内に、ここまで気持ちを切り替えてプラスの面に目を向け、明るくお母様を支えているT子さん、友人として本当に誇りに思います。今までも、いつも明るく楽しい彼女と出会えた幸運を感じてきましたが、改めてそのご縁に感謝の気持ちで一杯です。
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by bs2005 | 2009-04-30 12:50 |