カテゴリ:異論・曲論( 205 )

 

「アメリカ経済回復のぶん的見通し」の天邪鬼的修正

「アメリカ経済回復のぶん的見通し」を書いた頃は、経済専門家、評論家の間では、この不況の回復は何年掛かるか分からない、先が見えないという声が圧倒的でした。

私は年末か来年早々にはかなり回復して株価も1万ドルに戻すだろうと書きました。職を失っていない人々がいつまでも、マネーゲームから離れていられるとは思えなかったからです。周りの空気からも、そういうウズウズしたものを感じていました。

そして「オッホン、でもね、、」を書いた頃、専門家の殆どがアメリカ経済は年末までに回復するだろうと言い出しました。私は、専門家がそう言い出した頃から逆に不安を持ち始めました。

そして今、私は修正します。株価は一時的に9000ドルを超えることがあっても、当分、1万ドルまでは復活しないでしょう。経済も数年は良くならないでしょう。良くなるには職を失ってしまった人が多すぎます。アメリカでも日本でも、、。経済復活の可能性を残す限界を超えてしまいました。職を失っていない人々が引っ張り上げるには重過ぎる負荷になってしまいました。

以前は、職を失った人以外は、マネーゲームへの参加にウズウズしているだろうと書きましたが、その職を失った人の数がここまでになってしまったら、消費はこれから、もっともっと冷え込むでしょう。普通の投資家は、そんな空気の中で、もうそんな気にはなれないでしょう。私自身、もうそんなウズウズした雰囲気は感じません。日増しに冷え込んでいる消費を感じるのみです。

年末に向かって良くなるよりは悪くなるかもしれません。専門家は日本の短観の数字の良さを喜んだり、今日のアメリカの株価の下落も一時的寄り戻しと言ってるらしいですが、そんな甘いものではないでしょう。

この経済は、格差の一方で良い思いをしている人々が、圧倒的多数の庶民が苦しんでいる状態で、経済の発展はありえないのだと骨身にしみて理解するまではーそれが何年掛かるのか、永遠に来ないのか分かりませんがー回復しないでしょう。庶民を置いてきぼりにした経済の回復はあり得ない、、一人勝ちの繁栄は無い、、、当たり前のことと思うんですが、、。
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by bs2005 | 2009-07-03 02:18 | 異論・曲論  

オッホン!、、、でもネ、、、

わずか二ヶ月前に私が「アメリカ経済回復のぶん的見通し」で、へっぴり腰ながら、早ければ今年の末にはアメリカ経済は回復しているかもしれないと書いた頃、マスメディアで語る専門家は皆、「この不況は先が全く見えない」とか「回復には数年かかるだろう」と悲観的な予想をしていた。

それからたったの二ヶ月、先日こちらで聞いていたニュースでは今、殆どの専門家は今年の年末か、早ければ来年早々にはアメリカ経済はかなり回復しているだろうと言い出しているのだという。

オッホン!私が言っていたことじゃないか!専門家なんてそんなもの。過去のデータと机上の理論ばかりに頼っているから、生の現実と向き合うオバサンの直観に負けるのだ。とは言っても、今、彼らが言っていることが当たる保証はない。彼らもそう言い出したということで、逆に私は予想に自信を失いつつある。初めから自信は無かったけれど。(笑)

奇しくも今日はGMの破産申請の日。その日にアメリカの株は急騰した。GMの破産で泣く多くの労働者の一方、投機でお金を稼ぐ人々は元気付く。2ヶ月前にもっともらしい顔で、数年も回復にはかかると言った人々が舌の根も乾かない内に、まるでそんなことは言わなかったように今年の年末にはと言い出す。複雑な思いを禁じえない。

アメリカの経済の回復もしょせんはこんなものだろう。株価は年末どころか8月には1万ドルに戻っているかもしれない。順調に回復は進むかもしれない。でも、失業した人々が仕事を得て今より少しでも安定した生活を取り戻せるのはずっとずっと先のことだろう。日本も同様だろう。景気回復の傍らで庶民は置き去りにされて行く。

いつの時代も、戦争であれ、不況であれ、庶民が割りを食うこの社会のありかた、これが変わることなどいつかはあるのだろうか。
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by bs2005 | 2009-06-02 07:11 | 異論・曲論  

自分達が散々やってきたことなのに、、、

「日本“感染源”扱い…韓国の「危険国」指定に大揺れ」という記事を読んだ。

韓国は19日、日本を「危険地域」に指定し、日本から航空機や船で入国したすべての乗客の追跡調査や機内検疫を強化する方針を打ち出した。いまや日本はすっかりアジアの“感染源”扱いだという。

それに対し、日本の医師からは韓国の措置に異論が噴出、 「日本は、地域の診療所の充実度が世界でも突出して高い。国民皆保険制度も確立しており、少しでも異変を感じたらまじめに医師の診察を受ける習慣ができている。他の国は感染者数が少ないのではなく、診療習慣や診療機関の数、検査体制などの面で日本ほど正確に実態を把握できていないだけと思われます」こう憤るのは、東京慈恵会医科大の浦島充佳・准教授。だとか。

韓国はアメリカ・カナダ・メキシコに対する日本の対応を模範にしているだけではないのか。自分達が散々やってきたことをされたからと言って、こんな文句が言えるのだろうか。言えるとしたら、自分たちがやっていた時に異議を唱えていた人間だけだと思うけれど。

あのやりかたが正しいと思うならば文句は言えない。日本の診療体制がどうであれ、今や日本は世界第四位の感染国なのだから。今になって大揺れになったり、こんなことを言うのは、アメリカ、カナダ、メキシコに対しても、アジアに対しても失礼だ。何故、そんなことも分からないのか?今更、こんなことを言うのは恥ずかしすぎる、、。

言えることがあるとしたら、機内検疫で症状が既に出ていても陰性となった感染者があったこと、潜伏期の患者には無効であること、追跡調査も相当の準備と人員が必要であり、困難であること、機内検疫をやるならごくわずかの特定の国からの便だけを選んでも今の段階では有効性が低いこと、それより国内医療体制の整備に全力を尽くした方が良いこと、無駄に騒いで医療拒否やら過剰反応を引き起こさないこと等々、日本が学んだことを教えてあげる位だろう。
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by bs2005 | 2009-05-22 23:47 | 異論・曲論  

何かがとても間違っている、、、

少し前に新型インフルかもと疑いがかけられた高校生の通っていた学校の校長が、新型ではないという結果に涙をこぼして安心している姿が報道されていた。今度の洗足学園では、感染した女子高校生が「申し訳ないと伝えて欲しい」と言っていたと学校の関係者が涙ぐんでいた。まるで犯罪でも犯したかのような恐縮ぶりだ。

彼女たちはアメリカで食事以外マスクを外さなかったし、極力感染予防に努めていたという。そうだろう。模擬国連に参加するような真面目で優秀な生徒たち、きっと周りから浮き上がるほど真面目にやっていたのだろう。そこまでしたって罹る時は罹る。罹らない時は罹らない。予防の徹底を宣伝をするのは良いけれど、いいかげん、罹る時は罹るということも徹底した方がよい。

そうでないと、罹った人間はこんな風に肩身の狭い思いをすることになる。何度も言うけれど、生半可なことでは感染を防げないから、このインフルエンザは怖いのだ。完全に防ぎ切れるものではない。罹るかどうかは半分以上、運みたいなものだ。

私の娘はアメリカの感染都市に住み、公共の交通機関を利用して、毎日、人込みの中を観光客も沢山通る街のど真ん中のオフィス街にマスクもせず、通っている。回りも同じだ。そして彼女の知る限り、新型インフルにかかった人は居ない。知人の知り合いにも居ない。皆、元気に通勤している。

私の住む町もそうだ。彼女の居るところほどじゃないけれど、感染者は住んでいる。でも、町でマスクをしている人間は居ない。行事もお祭りも例年通りにやっている。私も回りに新型インフルに罹った人を知らない。友人、知人の間でも聞かない。勿論、罹って申し訳ないなんて話はどこでも聞いたことがない。

どこに居たって、マスクをしようが、予防に励もうが、罹る時は罹る。罹らない時は罹らない。罹ったことにこんなに肩身の狭い思いをしなければならない日本、まるで魔女狩りのようにさえ見える。アメリカとは大違いだ。

こちらに住む私の友人の日本のお母様は長期入院している。もう80代半ば。彼女は頻繁に帰国してお見舞いに行っていた。先日もその予定だった。でも、キャンセルを余儀なくされた。お母様の入院している病院から、アメリカからの方は病院内に入っては困ると断られたのだという。

彼女は新型インフルには罹っていないし、元気そのものだ。発熱もしていない。彼女の周りにもそういう人は一人も居ない。でもそういうことだそうだ。アメリカに住む人間はそれだけでクロということなのだろう。

彼女のお母様は今すぐ命にどうのこうのということはないけれど、高齢だからいつそうなるか分からない。アメリカに住んでいる人間は病院に居る親の死に目にも会えないことになる。圧倒的大多数は新型インフルと無縁に暮らしているというのに、、。この論理で言えば、その内、神戸在住の人も病院での臨終に立ち会えなくなる。

今、医療機関ではマスクがなくなっていて、診療にあたる人間がマスクがかけられなくなる事態が早晩来るかも知れないという。過剰反応は禁物だけど、閉鎖された空間の中ではマスクはした方がしないよりは良いという。ましてやそういう閉じられた空間で発熱した人間を相手にする医療者には、心理的にも絶対必要なものだ。完全に安全を保証するものでないとは言え、無防備にさらされるのは気の毒でしかない。マスクの効用に疑問があっても、マスクの不在は医療拒否に繫がりかねない。

それなのに、マスクは売り切れて7月まで手に入らないという。その頃には新型は収まっているだろう。医療機関にはこういうことが起こらないように、公的機関は医療機関に渡る分は確保しておくべきだった。30年近く前のトイペ騒動を思い出す。マスクが安全を保証するものでもないし、ここまで必要かどうかも疑問なのに、町中がパニックを起こして、肝心のあるべき場所にマスクがない。医療関係者どころか、罹った人間こそマスクが必要なのに、下手をすると罹った患者にもマスクは入手困難になるかもしれない。

今度の新型インフルの日本での騒ぎ方を見ていると、何かがとても間違っている感じを否めない。そして、それは日本の本質的あり方から来ているように見える。科学的に現実的に対応できない。感情的、非科学的に対応して肝腎の現実的対応はお粗末。

政府は当初、新型インフルを強毒性のものとして対応していたが弱毒性のものへの切り替えがうまく行っていないのだと言う。水際作戦も強毒性のものとしての対応だったと言い訳がましく言っている。

弱毒性のものさえ食い止められなかった水際作戦、そして国内感染の事態になったら、医療拒否だの医療体制の不備が目に付くばかりか、医療関係者はマスクさえ充分でないという。当初の想定通りの強毒性のものだったら、今頃日本は圧倒的な死者を出しているだろう。

今回の新型インフルへの対応、国内体制の不備は徹底的に反省するべきだし、マスコミ、報道のありかたも反省するべきだ。そうでないと、来るべき強毒性のインフルエンザに日本は現実的な対応が出来ないだろう。弱毒性のものに対してさえ、こうなのだから。
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by bs2005 | 2009-05-22 00:08 | 異論・曲論  

まことしやかな国 ニッポン

水際で感染を食い止めると言う。水際死守と叫ぶ人も居る。だけど潜伏期の患者はどんどんスルーする。感染は既にアメリカ、カナダ、メキシコだけじゃないのに、その三カ国からの便だけ検疫をして、他の便はスルー。ザルのごとき検疫体制でありながら水際阻止と言い続ける。あたかも本当にそれが出来るかのように、本当にそれを実行しているかのように。

国内で感染患者がごく当然にも見つかったら、今度は感染拡大を阻止するという。マスクと手洗い、消毒であたかも感染拡大が防げるかのように、あたかもまだ間に合うかのように。

新型インフルエンザが怖いのは、そもそも生半可な手段では感染を阻止できないからではないのか。感染を阻止できないものを拡大だって阻止できるわけがない。たかが知れている。今に日本のあちこちに患者が雨後の竹の子のように現れる。

そうなっても季節性のものとそう変わらないのだから騒ぐにあたらない。季節性のものだって毎年死者は出ている。パニックに陥ることはない。少なくとも今の段階では、季節のインフルエンザと同じように行動していれば良い。

弱毒性のものに対して、町中がマスクをしたり、患者の出ていない学校を閉鎖したり、修学旅行をやめたり、用心深いのは結構だけど、そんなことをしても感染するものは感染する。拡大するものは拡大する。もう既に止められる段階をとっくに過ぎている。感染は拡大すると覚悟を決めた方が、ずっと現実的で生産的な対応が出来ると思う。

問題は感染が拡大したときに、どこまでそれに対処できるかだ。いかに医療拒否を起こさない、需要にスムーズにきめ細かく対処できる医療体制を作るかということだ。時間稼ぎの意味しかなかった水際作戦が、時間稼ぎとしてさえ役立ってこなかったことは、今の対処のお粗末な遅れ方を見ても明らかだ。

水際阻止などというポーズ以上のものでないものをまことしやかに本気でやって、そちらにエネルギーを無駄に費やし過ぎたから、こうなる。水際作戦などという特殊な作戦に長々とうつつを抜かしている間に、もっと他の国での対処の仕方を勉強し、参考にしてやるべきことが沢山あったのではないか。

弱毒性と分かったあとでも依然として過剰反応しているくせに、肝心のことが立ち遅れているこんな国が他にあるのだろうか?日本に行ったアメリカ人は、成田での水中眼鏡をかけたかのような検疫官たちのものものしさに、SFホラー映画の世界に居るみたいな気持ちにさせられたと笑っているという。

外国から見たら何もかも異常な感じは否めない。そしてここまで大騒ぎして、今や感染数世界第四位だとか、、。情けなくなってくる。

今度こそ、同じ間違いは犯さず、感染拡大は前提にして動くべきだ。ザルのごとき水際作戦で国内感染を阻止できるような幻想を与え続け、今度は感染拡大阻止を声高に叫んで、そんなことが出来るかのような幻想を政府もマスコミも専門家も広げている。どこまでまことしやかな国なのだろうか、ニッポンは?

関連過去記事:「水際作戦」の日本性
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by bs2005 | 2009-05-19 23:47 | 異論・曲論  

「水際作戦」の日本性

私の住んでいる市内で、家から車で5分ほどの学校が新型インフルエンザ(swine flu)の為に閉鎖になった。その為、その周囲の学校もいくつか閉鎖になったという。

こう書くと、日本の皆さんは、さぞ緊迫した雰囲気を想像されることだろう。でも、町にはそんな雰囲気は一切無い。マスクを掛けた人間も見かけない。私が今度の騒ぎでマスクをしているのを見たのはたった一人。それも日本人。まあ先ず見かけない。普段と全然変わらない雰囲気だ。緊迫感はゼロである。発熱センターなどというのも聞かない。皆、何も気にせずそのまま医者のところに行っているのだと思う。ニュースなどでの手の徹底した洗い方の指導なども無い。

狂牛騒ぎのときもそうだった。日本では牛丼が消えたという時に、本家のアメリカではみ~んな平気で血のしたたる牛肉を食べていて、控えているという話を聞いたことがない。日本人以外からは、、、。だから、今のこの全く無頓着な雰囲気はもう驚く気もしない。こちらも無頓着に過ごしている。手だけは日本のテレビ番組で見た洗い方で普段より洗うようにしているけれど、、。

メキシコからの便も一切止められていない、どころか検疫をやっているという話も聞かない。ニュースでもやってないので、そんなことはしていないのだろう。皆、垂れ流し的に入国しているのだと思う。時、既に遅しと云うことかもしれないが、メキシコだけで発生していた時もやってなかったと思う。メキシコからの便を止めないことに疑問を呈するキャスターは居ても、それに応じる雰囲気は無い。せめて検疫で、罹った人がこれ以上そのまま入国しないようにしよう、などというのは意見すら聞かない。

そもそも、水際作戦、などという発想が無いのだと思う。国境で食い止めると言ったって膨大すぎる。飛行機は勿論、船だって車だって世界中のあちこちから、国内のそこら中にやってくる。とてもやってられない。

水際作戦というのは、島国で出入り口もある程度限られた国にしか出来ないことだろう。イギリスでさえやっているのかどうか?水際作戦をこんなに本気で大々的に真剣にやっている国は、ひょっとすると世界で日本だけかもしれない。

その日本だって今までは何とかやっていられたかもしれないけれど、これが世界中に感染が広がって、一日に大量の便を扱わなければならなくなったとしたら、人員的にも予算的にも時間的にも無理だろう。

感染国だけを厳選して検疫したって、いろんな国を経由して日本には感染していない国から入る人も居るだろう。そもそもアメリカでメキシコ便を止めることすらしないのは、このインフルエンザの発生がずっと前で、メキシコ国内での封じ込めには既に失敗しているからでもあると思う。

専門家によると目下の所は弱毒性なので、普通の風邪と思って治ったからと平気で外国に出かけている人も結構居るだろうと云う。そうすると、そもそもこの水際作戦の有効性も非常に疑問だ。通用するのはごく初期の短期間だけのことだろう。

そして今回たとえ仮にそれに成功しても問題なのは、現段階では弱毒性のインフルエンザに留まっているようだが、これが豚や他の動物と人との間を行き来している間に強毒性になり得るということだ。それは防ぎようがない。そうなった時に、今回の水際作戦が成功して食い留められた日本には、弱毒性の段階で免疫を持てた人間が一人もいないことになる。

免疫がどれほどの効果があるかに疑問はあるにしても、全く無い人間の方が強毒に変わった新型インフルエンザへの抵抗力は弱いだろう。下手すると凶暴化した新型インフルエンザに対して、日本の国民は世界でもっともひ弱な国民になるかもしれない。

その頃には世界中に広がっているだろう。生半可な水際作戦では太刀打ちできない。そうなると、その発想では日本は外国からの便を一切立ち入り禁止にする位しか手が無くなる。第二の鎖国?ごく短期間ならともかく、現代社会で資源もなく食料の自給率も低い日本は立ち行かなくなるだろう。

こうして考えると、水際作戦というのは鎖国主義的、島国的、ややレトロな発想に思える。グローバル化した世界では継続性、有効性、有意義性に非常に疑問がある。アメリカのこんな無頓着さが良いとも思わないけれど、、。

追記:ヒロさんから、とても興味深い記事をご紹介頂きましたので、追記でご紹介します。私の記事では舌足らず(長文なのに・汗)だったと思いますが、この方は今の水際作戦の限界、欺瞞性をとても正確に伝えていると思いました。

「空港レベルで食い止めるやりかたは、塹壕一本に全てを賭ける大昔のやりかたで、縦深を考慮していない。」「ある意味破られて当然の検疫ライン」と医療の専門家として言い切っておられることに快哉を叫びました。是非ご一読を。ヒロさん、有難うございました♪

弱毒性と既に分かった段階で、弱毒性である間に一刻も早く水際作戦は切り替えるべきだと思います。強毒性に変わるまであまり時間が無いかもしれないのですから、そういう勇断が欲しいです。そうでないと、水際を突破された日本は国内で迎え撃つ体制が最も弱い国の一つになるでしょう。現在ですら診察拒否が起きているそうですから。


更に追記:「勝間和代オフィシャルメールマガジン 第27号 (5/6発行) ~ニューヨークから帰ってきました~」より抜粋

ニューヨーク出張から、無事、帰ってきました。ちょうど、豚インフルエンザが騒がれるか、騒がれないかの時期からスタートし、渦中のさなか、成田空港では1時間半ほど検疫で足止めを食らう旅でした。

豚インフルエンザについて、日本の過剰報道のようなことはアメリカでは何もなく、道ゆく人は誰もマスクなんかしていないし、逆に、日本の過熱ぶりがアメリカでニュースになっていたくらいです。大陸国と島国の違いをつくづく感じた旅でした。

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by bs2005 | 2009-05-05 04:18 | 異論・曲論  

「毅然」の落とし穴

北朝鮮のミサイル実験、人工衛星としては失敗のレベルに入るようだが、そもそも本来の目的と見られていたミサイル実験としては、かなりの高度と距離を獲得できたという点で、彼らにとっては成功であり、近隣諸国にとってはますます脅威が増したことは否なめない。

テレビなどを見ていると、政治家やキャスターから「毅然とした対応を」という言葉がよく聞かれる。私自身も「毅然」という言葉は好きだ。自分や日本が毅然とした態度をとれば気分が良い。何だか嬉しくなる。勇ましさに酔ってさえしまう。でも、本当にそれで良いのだろうか?

こんなニュースを見た。敵地攻撃の検討を求める声 北ミサイル発射で自民部会。あまりにも短絡している対応ではないか?北朝鮮が核実験を始めたという時に、麻生さんは「日本も核武装を考慮する論議を始めるべき」と言った。そういう論議もますます活発になりそうだ。先の大戦の反省はどこにあるのだろう?

発射前の迎撃論議が盛んだった頃、韓国の大統領がこんなことを言っていた。あまり浮き足立って迎撃、迎撃と言わない方が良い。迎撃して失敗したら、こちらの防衛能力の弱さを露呈してしまってかえって不利になると。北朝鮮のミサイル実験に関しては同じ気持ちを持ちながら、彼の先を見た冷静さに感心した。

北朝鮮が失敗して日本本土に落ちて来たら、何らかの対応をしないわけには行かないけれど、大騒ぎしてこちらが失敗した時のダメージは確かに大きい。そもそも日本の迎撃能力には疑問がある。ましてや敵地攻撃などと下手に動いて戦争に発展したら、それから先の展望はあるのか?

今回の国連決議も、ロシア、中国は反対している。ここで6カ国会議という枠組みを失う危険性は犯したくないということだ。本音はそれよりも北朝鮮は仲間だということにあるとしても、その論にはそれなりの展望と説得力がある。

麻生さんは「毅然とした対応」と言い、やけに勇ましいけれど毅然としても先の見込みがなければ意味がない。現にアメリカは早々と国連決議はあきらめて議長声明程度にとどめるという中、露の方に同調する勢いらしい。

「敵地攻撃」なんて勇ましいことを言っているけれど、それで短期に効果を挙げたって向こうは当然反撃してくる。中国、ロシアは絶対に日本の味方にはならない。他のアジア諸国だって北朝鮮の味方にならなくても、日本の味方になったりするわけがない。韓国だって絶対にそんなことはしない。うっかり戦争になったら日本は孤立する。とても長期戦は耐えられない。戦争になる前にこちらの矛先を納めるとしたら、毅然として勇ましかった後には余計みっともなく惨めだ。

こんな論議をしている連中の頭には、他のどの国が味方してくれなくたってアメリカが付いているという意識があるのだろう。アメリカが味方してくれるなんて思うこと自体が非現実的だ。拉致問題だって、今度の国連決議程度ですら、国益に合わなければアメリカは日本を簡単に見捨てる。日本を敵に回すよりも中国、ロシアを敵に回すことの方がはるかに国益に合わない。それは大統領がブッシュであろうがオバマであろうが変わらない。

毅然とした対応は良いけれど、もっと長いスパンであらゆる角度から考えるべきだ。毅然とすれば、その時は気分は良くても、それでいつまでも済むわけではない。日本は軍事力で守れる国ではないという辛いけれど現実的な自覚をきちんと持ち、毅然としていなくても、したたかで賢い外交、先の先まで読んだ孤立しない(特にアジアで孤立しない)外交を本気で考えて行かないと日本の明日は無い。毅然としてばかりはいられないという辛くて冷厳な自覚も必要だ。

国際連盟から脱退した時の松岡氏が毅然としていたというので当時の日本国民は熱狂したという。「毅然」に酔う同じ過ちを犯してはならない。ソ連との不可侵条約をあてにしてひどい目にあった日本、一つの大国をあてにした外交の過ちも繰り返してはならない。日米安保条約だってソ連との不可侵条約以上にあてになる保証は無い。

日本が目指すべきなのは、虎の威を借りながらの毅然とした外交ではなく、したたかで現実的、落ち着いて主体的な外交である。

追記:松岡さんの国連脱退を調べようと検索したら、こんな記事が!既にここまで言い出しているんですね~。あの戦争から一体何を学んだのでしょうか。全く情けない限り。戦争体験も無いくせにこんなことを軽々に言って、ヒサコさんヒサコさんのお兄様はどんなに口惜しい思いをされるでしょうか。

過去関連記事:
  軍事力で日本は守れるかー真に強い国を目指して
  日本を守る道
  したたか外交の一提案
  日本に求められるしたたかさ
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by bs2005 | 2009-04-09 00:48 | 異論・曲論  

「アメリカは何処に行くのかーらふぃさんへの返信に代えて(最終回)」

らふぃさんの「国民統合のための儀式としての就任式」では、アメリカという国にとって、国民統合がどんなに死活問題であるかということが、とても的確に丁寧に表現されていると思います。それについて私などが付け加えることは全くありません。

ここで書きたいことは、アメリカにとって「統合」がのっぴきならないものであることによって、「統合」が一人歩きし、肥大化してしまっている問題です。そのことが今日の世界におけるアメリカの多くの問題を引き起こし、国内の諸問題も引き起こしてきている面を見逃せないということです。

「統合」の為にアメリカの素晴らしさを強調し過ぎて、傲慢なアメリカの善魔性を生み出している面、「統合」にマイナスになるような発言を許さないpolitically correctnessの風土が出来てしまっている問題、その「統合」を守ろうとする思想を、支配層が自分達の都合の良いように利用してきた現実、等々の問題があります。

らふぃさんのご指摘ーアメリカの政経分離は国の成立過程から見るべき概念で、政治を宗教の影響から守るものではなく、宗教を政治から守る為のものーは、アメリカの善魔性についてずっと考えてきた私にとっては、一つの大きい謎が解けたような思いがしました。この国を成立させたときの統合の核にあった思想=宗教が、不可侵のものとしてあったことに、その善魔性の発生基盤があったのだと思えたのです。

らふぃさんは、その政教分離の考え方がアメリカ人自身の中でも忘れられてきている傾向があり、それはイスラムを初めとした他の宗教の文化圏からの人々の存在感が大きくなってきていることとも関係しているだろうと述べられています。私もその通りだと思います。そして、それはアメリカが開かれた存在であろうとする限り、不可避かつ不可逆な過程だろうとも思います。

アメリカという国はその成立そのものの中に、当初の「統合」の思想を覆す芽をはらんだ存在だったのだと思います。多様な国からの人々を受け入れるというその前提そのものがそれまでの「統合」と常に抵触し、それまでの「統合」の思想に狭義に拘る限り、歪み、矛盾、ジレンマを不断に生み、抱え込んで行かざるを得ない存在なのだと思います。

比喩的に言えば、アメリカはその成立の思想、統合の思想の中にそもそも、「統合」を崩す「鬼子」的存在を孕んでいたのだと思います。開かれ変わり続けて行く存在を目指す「鬼子」が、、。

10年ほど前に亡くなった私の大事なアメリカ人の友人は、「アメリカという国は壮大な実験に挑んだ国なのだ。異なる文化、人種、そういう人々が共存して一緒に平和にお互いを尊重しあって暮らして行けるかどうかという実験に、、。今まで、この実験の全てがうまく行ったとは思わない。これからも沢山失敗し、つまづいて行くだろう。でも、私はこの国はいつか必ず、その実験に成功すると信じたい。そう信じることが私なりのこの国の愛し方であり、誇りだ。」というようなことを言ったことがあります。

沢山の違う文化の人々を受け入れて行く過程は、最初の「統合」の思想に拘ることも、最初の「政教分離」の考えに固執することも、またある層だけに都合のよい「統合」の思想を押し付けることも通用しないのだと思います。

今、「統合」そのものの中味が厳しく尖鋭に問われ、変化を求められている時代なのだと思います。

私達は何を拠り所に統合できるのか。その為にはどう変わって行かなければならないのか、それは統合に値いする思想であるのか、この国は統合に値する存在なのかという根源的問いを、その「鬼子」が突きつけているのだと思います。その問いからもう逃げることは出来ない所まで追い詰められた時代なのだと思います。

その意味で「変化」と「希望」を旗印に登場したオバマの存在はとても象徴的だったし、彼があそこまでの支持を得たのも、彼の個人的魅力を超えて、時代そのものが要求した存在だったのだと思います。

彼が就任演説で語ったアメリカ人の戻るべき原点が、余分なものを削ぎ落とした非常にシンプルなものだったのは、「統合」を問い直す意味でとても意義があったと思います。

今、アメリカが「統合」する為に必要なのは、「統合」に余分なものが何かを問い直して行く行為で、そこに色々の理想やら思想やら歴史を投げ込むべきではないし、むしろ削ぎ落としていくべきだと私は考えます。

「人権と自由を守り、多様な価値を認め開かれた存在であること、その理想の実現を目指す国」それ以外のことは、「統合」の思想からむしろ削ぎ落として行くこと、可能な限りシンプルなものにして行くこと、それこそが真にアメリカを統合させ、この「壮大な実験」を成功させる道に繋がって行くのではないでしょうか。オバマはそうした道へアメリカを導こうとしていて、彼の就任演説はその試みの一つのように私には思えます。(完)

参考記事:
「アメリカは何処に行くのかーらふぃさんへの返信に代えて(その1)」
「アメリカは何処に行くのかーらふぃさんへの返信に代えて(その2)」
「Patriotism - この神聖にして不可侵なるもの」

どの位の方が、この長すぎる、そして間が空きすぎた連載にお付き合い下さったのか、アクセス数を見ない主義の私には分かりませんが(ごく少数であろうということだけは自信を持って言えますが・汗)、お付き合いくださった方、私のへんちくりんな異論・曲論にお付き合い下さり、本当に有難うございました。言うまでもありませんが、これがアメリカの多数意見ではありません。いつもの勝手な思い込みによる異見です。(汗) それに耳を傾けて下さいましたこと、心よりお礼申し上げます♪
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by bs2005 | 2009-03-05 15:55 | 異論・曲論  

「殺人事件時効撤廃」大賛成!

世田谷一家殺人事件の被害者のお父様が、会の責任者になって宙(そら)の会というのが出来たそうですね。殺人事件の時効撤廃を求める署名活動をされるとか。大賛成です!沢山の署名が集まることをお祈りします。出来たら、私も日本に飛んで行って署名したい位です。

今まで何度か記事の中で触れてきましたが、アメリカでは(全州かどうかは知らないのですが多分)殺人に時効はありません。それで最近相次いで、50年以上前の犯人がDNAなどで判明したりしています。DNAだけでなく、将来、今の技術では見つけられない方法で犯人を見つけたり、確定したりする技術が出来るかもしれません。時効がその時の犯人逮捕の壁になってはいけないと思います。

何よりも、人一人の命を奪った罪がたった25年で時効を迎え、犯人が大手を振って歩けるようになるなどということは全く容認できません。愛する人を奪われた苦しみ、悲しみは永遠、無限であるという意味で宙の会と名づけられたとか。完全に被害者家族の気持ちを理解することは勿論出来ませんが、同情は禁じ得ません。

署名運動が大成功されますように♪
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by bs2005 | 2009-03-01 02:53 | 異論・曲論  

首相を公選制に!

麻生さんが口を開く度に、支持率は落ち、国民は政治に絶望し、、、。麻生さんの首のすげかえもそう遠くなさそうですね。本人が自分から放り出すか、放り出されるかの違いはあっても、過去二人よりも短期になりそう、、。、。

三分の二決議を錦の御旗のように振り回していますが、そもそも三分の二まで議席を確保出来たのは、郵政民営化に国民が賛同したからで、その時の国民は四分化を知らなかったなんて、よくも言えたものです。確かに詳細までは国民に分かる形で知らされていなかったとはいえ、四分化くらい、有権者の誰でも知っていたと思います。麻生さんと違って漢字読めますから、、、。

まあ、麻生さんのように箸にも棒にもかからないのを相手にしていても仕方が無いし、次に誰を選ぼうと今の自民党では首のすげ替え以上にならないでしょう。民主党が政権を握っても、それは同じだと思います。

誰がなっても同じ状況だからこそ、そろそろ首相公選制を本気で考えませんか?今までも記事の中では、公選制でなければと言ってきましたが、今日は一本の記事という形で訴えたいと思います。遅ればせながら、、。

日本人は情緒に流されやすいので、そういう傾向への不安はあります。また、衆愚政治が公選で選ぶ首相というのは、とんでもない人になりかねないです。でも、今だってとんでもないんですから、そこの所は幸か不幸か、そう気にしなくて良い感じがします。それにこういう重大なギリギリの所での国民の選択は賢明なものである可能性は高いと思います。少なくても自民党や民主党内部での選択よりは。

公選制というものに一抹の不安は持っていたのですが、今回オバマの選挙で寄付に参加していたので、その陣営および周囲からメールが沢山送られ、公選制というものはただ国のトップを直接選び、民意を直接に反映できるという以上の意味があると思いました。

国民が直接政治に関係し、繋がりを持ち、その候補者との繋がりを持てるだけでなく、その候補者を支持する人々との繋がりが広がるのですね。ばらばらに顔も見えない形で存在している一般国民が繋がり、顔の見える関係になり、自分達の声を国政に反映できる、、。そういう中で、政治への関心ももっと強く、かつ主体的なものに変わって行きます。

今までの大統領公選制がそういうものになり得ていたかどうかは不明ですが、少なくともオバマの運動はそういうものへと成長して行きました。

首相公選にしないと日本はもう没落一途ではないでしょうか。公選にすることは、ただ首相を直接選ぶという以上の大きい意義があります。本気で実現の道を考えませんか?

追記:「本気で」という意味は、憲法改正という大きな壁の前で怖じけるはもう止めて、、という意味です。憲法と日本の将来とどちらが大事かと考えたら、公選制への道を本気で考えられるのではないかと?でも、9条破棄を本気で考えている人達もそう考えているんでしょうね~。(息)
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by bs2005 | 2009-02-17 05:00 | 異論・曲論