カテゴリ:異論・曲論( 205 )

 

決定的に欠けるもの

ブログを始めた頃から、このまま行けば日本はとんでもないことになると警鐘を鳴らし続けてきた。アジアの国が日本を追い抜くのに10年も掛かると思っている国民は日本人だけだとも度々言い続けてきた。弱小ブログの悲しさで、そんなことをいくら言っても結局、今のどうしようもない事態に陥っているのは、情けないというより哀しい。

何よりも決定的なのはスピード感の無さである。政治にしても経済にしても、既に始まっていた凋落の状況を切り抜けて行く為に打つ手を出していくのが遅すぎる。出す以前に考える段階でもたついている。何も決まらない、、。

日本の論議のあり方、決定過程の時間の掛かり方、それが諸悪の根源のように思う。

こちらで日本とビジネスの関係を持つアメリカ人が一番呆れていたことは、日本人は長時間の会議を何度もするということだった。アメリカ人は一回の会議は大抵一時間で済む。議論をそこである程度したら持ち帰り、次には先に進むということで、決定にかかる時間も短い。毎回だらだら、あ~でもないこ~でもないという延々とした議論の繰り返しに付き合うのは苦痛で仕方が無いとも言っていた。

裏の根回しとか、長時間の会議が当たり前のように行われてきて、日本人はスピードの欠如への危機感を持たな過ぎたのだと思う。

ビジネスを日本に持ち込んでも返事が来るまでに延々と時間がかかる。その間によその国があっという間に契約を済ませて良い話を持って行ってしまう。そんなことも嫌というほど見てきた。

裁判員制度の時にも散々言ったことだけど、そもそもきちんとしたディベート教育が為されていないので、論議を合理的に冷静にスピード感を持ってフェアに出来ないというようなことが諸々の決定を遅らせ、世界のスピードにどんどん取り残されている今の日本を生み出しているように思える。

決めるのに時間が掛かりすぎる、ひどい時は何も決まらないまま終わる、、、。これは日本人のディベート能力の低さによるのだと思う。根が深いだけに克服は簡単ではないだろう。ますます暗澹としてくる。
[PR]

by bs2005 | 2010-11-03 23:40 | 異論・曲論  

「ヒロシマ、ナガサキ、日本の降伏」

今年は広島、長崎の原爆慰霊祭に今まで無かった核保有国の参加が見られた。オバマのプラハ演説のおかげという感じの報道がされている。あの演説が貢献しなかったとは言わないけれど、見失ってはいけないこと、それは核保有国が突然、博愛に目覚めたからでも、平和の大事さに目覚めたからでもないということだ。オバマの演説自体、高邁な理想を語っているけれど、それだけが彼を突き動かしたのではない。もっとしたたかな現実的計算がある。

極論を言えば、9・11が無ければ、どの核保有国も態度を変えなかっただろう。それ以前までは自分達だけが核を持ち、核の脅威に脅えずに済む体制を維持できていたから。必要なのは持とうとする国を牽制することだけだった。しかし、今やそんなことをしたって、いつテロリストが核を手に入れて攻撃してくるか分からない。そうなって初めて、核を持つことのマイナスと核の脅威を彼らも肌身で知った。今まではプラスだけだったのに。

何度も書いてきたけれど、核廃絶をいくら情緒的に訴えても決定的な効果は得られない。核を持つことのマイナスを理論的に説得していかなければ意味は無い。アメリカ人は小学生の頃から、自由と平和の為に、人類博愛の為に日本に原爆を落とすことは必要だった、人道的な理由で落としたのだと信じ込まされている。情緒的に平和の大切さや博愛を訴えても無駄な一つの理由はここにある。こうした論理に打ち勝つ具体的・現実的な論理が必要である。

その為には具体的にどんなことがアメリカ人の脳に擦り込まれているのか、小学生の歴史教科書の記述をここで紹介しようと思う。以前にご紹介した『アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』からの抜粋(p221,223)である。この本は英文と和文が対訳になっているので、受験生やアメリカで勉強しようとする人、英語の語彙、表現を豊かにしたい人などにも向いている本である。

ヒロシマ、ナガサキ、日本の降伏

ドイツが敗北したにもかかわらず、日本は降伏を拒みつづけていました。あらゆる戦線で敗北を喫した日本は、中国と東南アジアで征服した領土から撤退していました。しかし、依然として本土には200万の兵士がいたのです。日本の民間人も、侵攻に抵抗するため武装していました。トルーマン大統領は日本人が死ぬまで戦うよう訓練されていることを知っていました。また日本に攻め込めば、多くのアメリカ人が犠牲になると確信していました。ですから日本に降伏させるために2発の原子爆弾を投下するように命じたのです。
 1945年8月6日、最初の爆弾が広島に投下されました。巨大な火の玉の一度の閃光で、8万人もの人が一瞬にして亡くなりました。火傷や放射能の影響で、何万人もの人が後に亡くなりました。市の大部分は焼失してしまいました。
 広島の爆撃のあとでさえ、日本政府はアメリカの要求する降伏を拒否しました。3日後には2発目の爆弾が投下されました。今度は長崎市です。ここにきてやっと、国中が破壊されるのを恐れた日本政府は連合国に降伏することを承諾しました。
 第二次世界大戦は終わりました。6年にわたる戦争で、世界中で約4000万の人が命を落としました。世界史上もっとも過酷な戦争の1つが、恐るべき新兵器(*a terrifying new weapon)によって終焉を迎えたのです。


*この箇所だけ、英文も紹介しておきます。
  
関連記事:
   米元高官らによる「核兵器のない世界」提言記事のご紹介
   核の傘ではなく、非核の傘に入ろう!
[PR]

by bs2005 | 2010-08-13 05:57 | 異論・曲論  

首相がくるくる代わる国の行き着く先

民主党の中で、「消費税で負けた」という理由付けのもとに、小沢氏グループを中心に菅さんを下ろそうという動きがあるという。何て愚かしいことだろう。まず第一に消費税で負けたと思うのが大間違い。しかも小沢グループから代表が出たら、もっと支持率が下がるということにも気づかない愚かさには開いた口が塞がらない。

しかし、それ以上にもっと愚かしいのは、こんなに首相をくるくる変えるということが国際政治の場で、どんなにマイナスか丸っきり分かっていないことだ。

先日、米国務次官補:くるくる代わる日本の首相に懸念という記事が出た。アメリカの高官が公的にこういう発言をするのは珍しいそうで、非常に遠慮がちなものだったけど、私としてはよく言ってくれたという気持ちだった。よほど腹に据えかねたのだろうが、アメリカの政治に関わる者なら誰でも思っている本音だからだ。 「トップがくるくる交代する国を相手にしても仕方ない」。会社だってトップがくるくる替われば信頼は限りなく失われて行くだろう。ましてや国のトップなのだ。

この記事が出て、民主党の中の菅さん下ろしも少しは収まるかと思った矢先の民主党の党内抗争、何て国際感覚の無いことだろう。小沢グループのことしか考えていないのだろうか。首のすげ替えが日本の国際政治の場面に於いて、どれだけ発言力を弱めるか、思いも寄らないのだろうか。こういう発言すら知らない程、勉強不足なのだろうか。

アメリカの大統領の任期は4年で、一度選んだらよほどの事が無い限り、途中で降りるということも降ろされるということも無い。ニクソンが降ろされたのはそれ程大きい事件だったのだ。基本的にはどんなに支持率が下がろうが、ぼろくそに言われようが、辞めるわけには行かない。

ブッシュさんなんか政権の後期は四面楚歌だったが、途中で政権を投げ出すという発想は全く無かっただろうし、日本のすぐ辞める首相の感覚は理解に苦しんだことだろう。半分、それが出来るのは羨ましかったかもしれないが、それでも歯を食いしばって大統領の任期を全うし、石もて追われる感じで終わったけれど、気のせいかほっとして嬉しそうにみえた。

日本の首相だって、日本の与党だって、政権を担当するということはそれだけの覚悟と忍耐が必要な筈だ。国民だってそうだ。一度選んだからには選んだ責任、選ばれた責任がある。よほどのことが無い限り、自分から辞めたり、自分達が選んだ代表の首のすげ替えをするべきではない。しかもこんなに短期に無責任過ぎる。支持率が下がった位のことで辞めてもらっては困るのだ。とことん地べたを這ってでも、日本の政治を良くするために過ちは訂正しつつも、先に進んでもらいたい。

アメリカの大統領がころころ代わったら、世界はどんなに混乱するだろうか。日本の首相なら、そんなに影響しないのは残念ながら事実だけど、その程度の国だと自分で認めているようなものだし、国際政治の場で信頼して頂けなくて結構と言っていることと同じだと思ったら、そう簡単に首のすげ替えは考えられない筈だ。

首相がくるくる代わる国は、国際社会でまともに相手にしてもらえないという事をもっと、強く深く理解するべきである。そういう国の行き着く先は暗い。せめて「誰がやっても同じ」という国民の深い絶望を理解した次元で動くべきである。コップの中の責任論は無責任過ぎる。
[PR]

by bs2005 | 2010-07-30 03:34 | 異論・曲論  

本当に「消費税のせい」なの?

鳩山さんから菅さんに代わって、一気に上がった支持率が、菅さんが消費税のことを言い出したばっかりに選挙には負けるし、支持率がガタ落ちしたということをよく聞くけれど、本当にそうなのか?

勿論、全く影響を受けなかったわけではないだろうし、あの提示の仕方とその後の曖昧な態度は影響しなかったと言えば嘘になるだろうけど、それでも消費税がそんなに左右したとは思えない。そうだとしたら、消費税を10%にと言いだしっぺの自民党が、あんなに議席を獲得するとは思えない。上げる時期はともかく、今のままの消費税で済むと思っている国民は少ないだろう。民主党はもっと根の深いところで負けたのだと思う。

民主党が、今の状態を「消費税をいきなり持ち出したから」、などという薄っぺらな観点から見る限り、民主党の支持は落ち続けるのではないだろうか。そもそも鳩山さんから鳩山内閣の中枢に居た菅さんに変わっただけで、あんなに支持率がころりと変わること自体、実に無責任かつ無内容な国民の対応だったと思う。気まぐれに上がったものがあっという間に下がるのは目に見えていた。政治家のお粗末さは日本の国民のお粗末さをそのまま反映しているのだろう。

政策を通すことも放棄して、あんな根拠のないムード的で無責任きわまる支持率の上昇をあてにして、選挙になだれこんだ民主党の浅はかなご都合主義、そこには先見の明も、物事を本質的に見る視点も全然無い。そもそも、その体質こそが選挙の大敗を招いたのだと思う。その本質的問題は、今度は民主党の代表選が迫っているからと言って、会期を短くしようという態度にも顕著に表れ、消費税を仮想敵にすることで無反省のまま温存されている。

軽率に選挙になだれ込まなければ通っていただろう政策も、ねじれ国会になってしまっては簡単には通るまい。国民にとって通った方が良かった政策かどうかは別としても、自分達が信じて賭けている筈の政策を、そもそも真剣に実現する気があったのか甚だ疑わしい。これが政策政党のやることだろうか。

野党だった民主党が与党になって、すぐまともな政治をするとは思っていなかったけれど、その浅はかさ、ご都合主義、先見の明の無さには呆れてしまう。選挙と首のすげ替えしか考えていないようだ。そしてそれは野党も全く同じ、、日本は一体どうなってしまうのだろうか。世界は待ってくれない。世界の中でどんどん置いてきぼりにされていく日本、悲しくなるばかりだ。
[PR]

by bs2005 | 2010-07-23 04:23 | 異論・曲論  

オバマの演説にあって日本の政治家の演説に無いもの

先日、アメリカで揉めに揉め続けた国民皆健康保険法が成立した。まだまだ前途は多難だし、揉め続けているのだけど、ほんの二ヶ月位前は、マスコミも、もう成立は無理だろうと匙を投げていた感がある。

その頃、オバマは「自分はあきらめていないし、成立が無理だとも思っていない」と言って果敢に市民集会などのキャンペーンに動いていたけれど、市民集会も反対勢力が多く押しかけていたし、そう見込みはありそうに見えなかった。八方塞りの感が強かった。

それがここの所、急展開して成立するかもという勢いになってきても、皆最初は、半信半疑。ぎりぎりまで本当に成立するのか?という感じだったけれど、見事にオバマはやってのけた。この法律の中味自体、1000ページ近いもので普通の庶民で本当に内容を熟知している人は殆ど居ないだろう。報道陣や政治家を見ていても、どこまで熟知しているのか怪しいものだ。ちゃんと詳細をかいつまんで説明しようとする人が居ない。成立するかどうかの政争ばかりが扱われて、肝心の中味が具体的に詳細に論じられることが殆ど無い。

だから内容そのものに関してはっきり言ってよく分からない。現在の余りにも多くの人が保険に入れず、病気になっても治療を受けられない状態、自己負担で保険に入ろうとしたら夫婦で月額10万円以上は軽くかかってしまう現実、それが放置されたままで良い筈はないけれど、今度の法が長い眼で見て本当に国民の為になるものかどうかよく分からない。

それでも、あの絶望的な状況からここまで辿りついたオバマの指導力と意志の強さには脱帽した。それで調印の日の報道も初めから終わりまで全部見た。オバマの演説やそれを聞く人々の感動ぶりは、何しろアメリカで初めての国民皆保険という悲願がかなっただけに、すごいものだった。

そしてその時の演説の中で、オバマはここに至るまでの道のりの困難さとそれを支え、前進させて来た人々の健闘ぶりに触れ賞賛すると共にこんな風なことを言った。

私達は困難に立ち向かった時、その困難が大きければ大きいほど、より強い覚悟でそれを乗り越えてきた国民である。ひるまず立ち向かって乗り越えてきた国民である。私達の国の歴史はそういう国の歴史だ。不安や恐れに道を譲ることを断固として拒否してきた国民である。道がどんなに遠く困難でも、それが正しい道であれば、勇気と忍耐と犠牲を惜しまずにやってきた国民である。これが私達の誇るべき伝統である。これがアメリカである。私達の愛するアメリカは常にそういう挑戦を引き受ける国だったし、これからもそうなのだ。

今回の演説の正確な再現ではないけれど、オバマがよく言うこれまでの言い方を交えてまとめるとこんな感じになる。これを聞くと、アメリカ人でない私まで何だか感動して発奮さえしてしまう。オバマの演説が感動的な秘密はこんな所にもあるような気がする。アメリカの大国主義的傲慢さによって犠牲にされてきたような国、敵対してきている国からみたら、「いい気になるのもいい加減にしろ」というような自己陶酔的なものにしか聞こえないだろうとは思っても、やはり高揚してしまう。アメリカ人でなくても、せめてそのような人でありたいと思ってしまう。

翻って日本の政治家からこういうことを聞いた記憶が無い。「壊滅的な敗戦から立ち上がって勤勉さと実直さでひたすら前に向かってきた、驚異的忍耐力と精神性を持った国民である」とか、「世界で唯一の被爆体験の中から立ちあがり、平和憲法の下、世界の平和の先頭を切ってきた国民」とか「律儀さによって世界に貢献してきた国」とか言っても良いところだ。かなりの誇張があったとしても、言うだけなら許されるのではないだろうか。

上記はあまりうまい例ではないけれど、政治的指導者には日本としての独自のよさ、誇りにするべきものを明確に提示しようとする姿勢が欲しい。多少、オバマのように自己陶酔的ないい気なものだって、その目的が果たされるならば構わないのではないか。自分達の国に誇りと夢と希望を与える(特に若い世代に)、そういう意図を明確に持った演説を聞きたいものだ。

安部さんの「美しい国 ニッポン」も志としてはそんな意図があったのかもしれないが、あまりに空疎で説得力が無かった。オバマのように、圧倒的説得力を持ってそんなことの出来る政治家、私達日本人が何者であるかを指し示すことが出来るようなスケールの大きい政治家の出現を私は渇望する。
[PR]

by bs2005 | 2010-03-28 00:23 | 異論・曲論  

米公聴会への危惧

日本での公聴会に対する報道、発言などを聞いていると深い危惧を抱かずにいられない。そもそも、アメリカの公聴会の怖さというものがトヨタを初め、多くの人が分かっていないように思う。日本の議会におけるふやけた公聴会の延長線上で考えているのではないだろうか。’

アメリカの公聴会だって議員はスタンドプレーを目指し、自分を売り込むチャンスとして利用する野心は充分にある。自分の選挙区への利益誘導の下心もある。それでも公正性に関してはかなり厳密に守られている。個々の議員の思惑は何であれ、公聴会は全体としてはそれを超えた重みを持つ。

米政府は今やGMなどの株主だからトヨタ叩きをしているなどという発言は、公聴会というものに対してそもそも誤解していると思う。アメリカの中のごく一部のそういう発言を引用しているけれど、そういう発言をしている人々は元々民主政権のすることには何でもけちをつけようという非常に偏った人々で、誰もがそれを理解している。この公聴会がトヨタ叩きの為にされていると本気で思っている人は居ないだろう。トヨタに壊滅的な打撃を与えることにひそかに快哉を叫んでいる人々が一部に居ることは否めないだろうが、そういう被害者意識でいる限り、今日の公聴会はトヨタにとって悲惨な結果になるだろう。

昨日の公聴会に関して「批判が前面に出ていてショックを受けた」というトヨタの社内の反応も報道されていたけれど、その反応自体にこちらが驚いてしまう。そもそもアメリカの公聴会というのは、問題があると認められた個人や団体を追求する場である。ご意見を拝聴する場ではない。批判が前面に出る場である。認識が甘すぎる。何だと思っていたのだろうか。GMやアメリカの金融機関の公聴会だって、あれ以上に厳しいものだった。

また日本の報道の中で、証言した女性が「安全性の問題をトヨタに訴えたのに取り合ってもらえなかったと涙ながらに語った」という報道がされている。彼女は取り合ってもらえなかったことを泣いたのではない。アクセルを踏んでいないのにもかかわらず、ブレーキを踏んでも、ギアをニュートラルにしても、バックにしても、サイドブレーキを踏んでも、エンジンを止めても、160キロのスピードが落ちない状態に陥ったとき、彼女は完全に死を覚悟した。そのときに最後にご主人の声をもう一度聞きたいと思ったと言う。その生々しい瞬間を思い出して声を詰まらせ泣いたのである。

取り合ってもらえなかったから泣いたのと、その時の死を覚悟した絶望的な気持ちを思い出して泣くのは次元が違う。こういう深刻な状況に追い込まれた消費者の苦情を取り合わなかったことは大いに問題であるけれど、そもそもこういう消費者の気持ちに寄り添った経営でないのでは?ということが問題にされている。こういう巧妙なすり替え報道の仕方は、報道関係者も今回の問題の本質、深刻さが分かっていないように思う。

公聴会はまさにこういう消費者の心情に立ち、痛みに寄り添って行われているものだ。議員にとっては厳しい追及の姿勢を見せることで、それを有権者にどれだけアピールできるかの腕の見せ所でもある。これに対抗するには、こちらも空疎な言葉や綺麗事ではなく、消費者本位の姿勢の真実を厳密に証明してみせなければならない。これが分かっていないかぎり、今日の公聴会はトヨタにとって壊滅的なものになるだろう。

国際的企業として成長してきた筈のトヨタが、どこまで企業としての国際的普遍的基準を守れていたか、その国際性が問われているときに、公聴会を現地の社長任せにして乗り切ろうとし、その国際性の欠如をさらしてしまったトヨタおよび日本の報道、私は危惧せずにいられない。
[PR]

by bs2005 | 2010-02-25 01:09 | 異論・曲論  

民主党の危うさ

まだ政権交代したばかり、慣れないことも多いだろうし、色々気になることはあるけれど、今までびくとも動かなかった色々のことが動き出しているのを見るのは心地良い面もあるし、まあ、長い眼で見て行こうと思っていた。アメリカに対しての屈辱的なまでの迎合ぶりが一変したのも、心地よく見ていた。

しかし、先日『生活ほっとモーニング』で色々の質問に答えていた長浜博行厚労副大臣の話を聞いて黙っていられなくなった。全部を見ている時間は無かったので、気になったのは一つだけなのだが、民主党の本質的危うさがそこに表われているような気がした。

それは「国庫に限りがあるし、国債を増やすわけにも行かない状況で、こども手当てに所得制限を設けないのは、ばらまきではないのか」という質問に対してである。

長浜氏は、これに対して「子供は社会で育てるものだ。個人が育てるだけのものではない。だからどの子供に対しても、親の所得に関係なく支給したい。子供は社会で育てるものだという民主党のメッセージを伝える為にも、こども手当ては、所得制限なく支給したい」と答えた。

こども手当てそのものには反対ではないけれど、個々の家庭に配るよりも、保育所その他の社会設備への投資をするべきだという議論は、定額給付金の時にも似たような議論があった筈だ。その時、民主党はそういう立場から定額給付金に反対していたと思う。あの立場から見ると、今度のこの説明は大いに疑問を感じてしまう。ましてや、この手当てが膨大な国家予算の一因ともなっているのだから。

子供は社会で育てるものという意見には全く異論はないけれど、それがお金を平等に出すということとどういう理論的関係があるのだろうか。社会で育てるということは、そういう物質的・金銭的ことではなく、社会全体で子供を見守って行くという精神・態度が先ず最も肝要だと思う。

一つの党がメッセージを国民に伝える為に、お金を支給するというのもおかしいと思う。メッセージはお金で伝えるべきものだろうか?

無駄な予算を削減して三兆円を生み出す過程にも大いに疑問がある。過疎地の医師不足を解消する予算も削除されそうだという。他にも、こども手当てを所得制限なしで給付することよりも無駄と言えるのかというような項目が削減対象になっている。

今の民主党を見ていると、マニフェストの実現=メッセージを伝えるということが、一人歩きして、非常に頭でっかちな動き方をしているように思う。民主党に一票を投じた人々が、マニフェストそのものを丸ごと支持していたようには世論調査で見てもとても思えない。マニフェスト先ずありきというような姿勢には危うさを禁じえない。

一つの党が方向性とビジョンを示そうとする意欲は買うけれど、それが優先課題になってしまっては本末転倒だと思う。長浜さんのような見解が民主党を動かすものだとすると、その行き着く先はどういうものになってしまうのだろうか。

国民の実感を大事にし、地に着いた政策をきめ細かく実現して行く中で、メッセージは自然に伝わっていくものだし、その中でマニフェストも柔軟に修正されて行くべきものだと思う。先ず現実ありきだ。

せっかく動き始めた時代の流れ、、民主党は慎重に謙虚に進んで欲しい。この危うさが次の選挙での民主党の惨敗、ひいては自民党の以前の体質のままの復活を呼び込んでしまうことだけはごめんだから。
[PR]

by bs2005 | 2009-10-25 15:12 | 異論・曲論  

続:まことしやかな国 ニッポン

「まことしやかな国 ニッポン」の記事で、新インフルエンザへの対応が日本のまことしやかさを如何に鮮明に表わしてしまっているかを書いた。

肝心なのは水際で感染を阻止するなどいう、まことしやかなだけで、何の現実性もない対策ではなく、感染拡大を前提にして、それへの医療体制作りに全力を尽くすべきこと、強毒化した場合に可能な限り備えるべきであることも書いてきた。

私のようなど素人の意見などいくら書いても仕方ないから、感染の専門家の記事も紹介した。こういう厚生労働省への諮問を行う人が秋の再発期での100万人の死者が出かねないという警鐘を与えていること、すでに国内に感染が広がっている現実、そういうことから、少しは再発期への医療体制への努力を払っているのかと多少の期待はしていた。期待というより祈る気持ちだった。

今までの状態から見れば期待できるとも思えなかったけれど、何しろ人命がかかっている。あの水際作戦の無効性が白日の下に晒された段階で、あれに費やした膨大なエネルギーを、確実にやってくる秋の再発への備えに多少は回してもらわなければ、とんでもないことになる。今度こそまともに取り組んでもらいたい、そう思っていた。

しかし、最近の流行の中で、政府は、国内の新型インフルに対応する医療体制の調査を始めた、というニュースを聞いて愕然とした。もうとっくにやっているべきことではないか。水際作戦をやめた時には既に始めているべきことだった筈だ。一体、今まで何をしていたのだろうか。

その上、最新のニュースを聞くと、新型インフルのワクチンの国内生産の不足分は輸入するつもりだという。その場合、日本ばかりが大量に輸入したら国際非難を受けるかもしれない。輸入した中から途上国にも回すべきだろう、などという議論を紹介している。輸入するとしても質が問題だとも心配しているという。

一体、どこの国がこのワクチンを輸出すると思っているのだろうか。質が良かろうが悪かろうが、どこの国でもよその国に回している余裕は無い。どこの国でも圧倒的に不足している。それでも回すとしたら、医療設備の徹底的に遅れている途上国にだけ、上げたくはないけれど人道的な理由から仕方なく回す、それで精一杯だろう。

一体、どこの国が自分の国でも作る力のある国に輸出したりすると思っているのか。医療の最も進んでいるアメリカだって圧倒的に不足している。自分達が貰いたい位なのにそんな酔狂な余裕は無い。新型インフルの強毒化、強毒化しないにしても秋以降冬に向かっての圧倒的流行に対する認識が甘すぎる。

どの国も自分の国の国民を守るのに必死でそれだって覚束ないというのに、自分で自分の国を守るべき先進国なのに怠惰故に守りきれない国まで、誰が面倒みるというのか。自分の国がよその国にそんなことをすることを許す国民は居ないだろう。居るとしたら、その薬がそもそも効果の甚だしく疑わしい頼りにならない怪しげな薬で、よそに上げても痛くも痒くもない場合だけだろう。

輸入は国からではなく製薬会社からだから、などと思っているのだろうか。この薬に関しては多分政府が介入して輸出は許可しない位のことはするだろう。そうしなければ自分の国を守れないのだから。たとえ政府が介入しなくたって、自分の国をないがしろにして、よその国に輸出する製薬会社は無いだろう。そんなことをしたら四面楚歌の非難を浴びるに決まっている。それ位の目先は効くだろう。

大量に輸入すると国際批判を受けるかも、などという心配は無用だ。そもそもそんな輸入は出来っこない。輸入できなくても、圧倒的に足りなくても、自分の国の分を途上国には多少は寄付しなければならない。そうしなければ国際批判を受ける、それが今の日本の立場だ。先進国を日ごろ自負しているなら、助けるべき立場としてのプライドを持つべきだ。

よほど幸運に恵まれて、どこかのお人よしで寛容な国が日本に多少の輸出をしてくれるという奇跡のようなことが起きたとしても、その量はごく僅かだろう。限られた量の中から日本にだけ回す義理のある国なんて無い。多量に輸入したら、、なんて心配するには及ばない。相変わらず、何とまことしやかな、能天気な心配をしているのだろうか。どこまで依存した甘ったれた国なのだろうか。



追記:こんなときに、圧倒的なワクチンの量を生産して途上国を初め、世界に貢献して、日本が世界に無くてはならない大事な国であることを示す。それが日本を守る道だ。北朝鮮からの核の脅威に対してだって、拉致問題だって、世界を味方につける絶好の機会だ。核武装だの軍備強化だの考えている暇に、本気でワクチンを作って、量はそれでも足りなくても、途上国に回す量はどこの国にも負けない位できたら、日本の存在感は全然違ったのに、、、なんて夢物語を考えてしまう、、、(涙)

[PR]

by bs2005 | 2009-08-25 15:46 | 異論・曲論  

日本の記者のだらしなさ

麻生さんは長崎慰霊祭での「核廃絶に向けてあらゆる努力を」と言った舌の根も乾かない内に、アメリカに核の不先制使用宣言を求めることに関して質問されると、旧態以前の核の傘論、核の抑止効果論を振り回した。

数年前に核保有の議論もされるべきと言った彼が、その発言の撤回も反省もしていないのだから、彼があの慰霊祭で言っていた言葉を本気にしていた国民は居ないだろうけれど、そういう質問をしたならば、何故もっと詰め寄らないのだろう。

核の抑止効果そのものが既に失われていると米の元高官は言っている。それよりもテロリストなどに使われてしまう可能性の方を危惧している。そういう意見に関してはどう思うのか。

核の傘より非核の傘という運動を始めている国々もある。それに対してどう思うのか。

*オバマ大統領のプラハでの演説が彼が現実的にはどういうことを考え危惧し、現実的にはどういう長期的展望を持って進ませようとしているのか、それを麻生さんはどう理論的に推察しているのか。

*それに対して被爆国として、廃絶に向けてどういう現実的理論的長期的展望の提起の用意があるのか。慰霊祭で「ありとあらゆる努力」という発言を支える具体的内容、現実的計画を持っているのか?等々、等々。

いくらでも詰め寄って訊くべきことはあった筈だ。アメリカの記者会見では記者が大統領や政府の高官に理論的に詰め寄って、堂々の論陣展開を行うことも珍しくない。見ていてもスリリングだ。こういう過程を通して政治家の方も、もっと詰めて考えて行く。議論は政治家や国会だけに任せていれば良いという姿勢は無い。

日本の記者会見は、お伺いを立てるだけか、詰め寄っても感情論で詰め寄るだけ。もっと背骨のしゃんとした記者は居ないのだろうか。感情論で詰め寄る暇があるのなら、もう少し出来ることはある筈だ。

記者だけの責任でもないだろう。記者会見のあり方を変えて行く、もっと根本的には新聞社、テレビ会社等々の企業的体質そのものから来ているのだろう。そうだとしても、やはり記者にはもっと気骨を持ってもらいたい。政治家だけでなく、記者には記者の立場からの核廃絶に向かっての動きがあるべきだ。被爆国の記者としての責任がある筈だ。報道を担う会社にもその責任がある。

理想論、情緒に訴えるだけではもう間に合わないところまで来ているという危惧に支えられて、オバマはあの演説を行っている。核兵器を使用した唯一の国としての道義的責任まで踏み込んで触れた所に彼の理想主義が見られるとは言え、それだけではない。自分の生きている間に実現する展望の低さを伝えるところに彼の現実感覚も見られる。

オバマの現実主義、国益を代表しての信念を日本の政治家は理解していないから、理想論では慰霊祭のように語りながら、現実では腰砕けの非核論になる。それに対峙する記者も同様に理解していないから突っ込めないのだろう。報道がこのレベルでは、日本に本当のディベートが育つのはいつのことか。
[PR]

by bs2005 | 2009-08-10 03:26 | 異論・曲論  

「予想外」と言う方に驚いてしまう

都議選の直後に麻生さんが解散予告をしたというので、議員やメディアが「予想外」と驚いていた。こちらはそう驚く方に驚いてしまった。あれ以外に麻生さんが取れる道は無かったではないか。彼が自分の手でと再三言っている以上、当然過ぎる帰結だったと思う。

自分の手でと思っているなら、長引かせれば長引かせるほどおろされてしまう可能性は高くなる。民主党は不信任案を出すと言っている。彼にとって良いことは何も無い。自分の手でと本気で思っていないとすれば、過去の二人の総理のように、もうとっくに投げ出していただろう。

本気で思っていたら、もうこれしか手は無い。都議選の前から、そうするだろうと私は思っていた。何だかんだ言っても、彼は「バカヤロー解散」をした吉田茂元総理の孫、最後に開き直って勝負に出るのはDNAの中にある筈だ。

政治ゲームに骨の髄までやられた議員連中が、驚くのはまだ驚くまでもないだろうけど、その政治家と同じ次元で驚いているメディアに驚いてしまう。冷静に考えれば、当然の帰結としてあり得たことではないか。客観的に冷静に見る視点が全く無い。政治家と同じ次元で右往左往している。

報道を見ていても解散の現象的な話ばかり。政策論ではなく派閥の動きに終始している。日本の政治の貧困はメディアにも大いに責任があると思う。政策論議が一向に進展しないのは、メディアのあり方にまずその原因があると言ってもよい。

政策で政党を語り、政策を本質的レベルで比較、一歩踏み込んで論じる報道が中心に無い。もっぱら人の動きを追っていて、政策に関しては誰でも出来るような批判でお茶を濁している。解説者が出てくるときはまだしも、キャスターの意見などは素人でも言えるようなことばかり。政権交代が行われたら、細かいところまで日本の政治はどう変わり得るのか、あるいは変わらないのか、綿密な検討はどこからも聞こえてこない。

アメリカの報道にも沢山問題はあるけれど、本質から離れた政治家の裏での動きなどこんなに長々と得意げに論じたりしない。深く本質的な政策論議がもっぱら中心だ。素人でも言えるようなことは言っていない。

日本のメディアはそういう姿勢だから、ちょっと落ち着いて考えれば簡単に見えるようなことが見えずに予想外と驚き、大騒ぎし、そのことに羞恥も感じていない。改めて日本の報道に幻滅した。

大体、麻生おろしと大騒ぎしている議員にも呆れる。麻生さんをかばうつもりはないけれど、今の自民党への批判は麻生さんだけに対するものではない。そもそも、二人も総理が途中で投げ出すところまで自民党は追い詰められ末期症状を起こしている。それを首をすげかえただけで何とか切り抜けられると本気で思っているのだろうか。

その根本的愚かさを指摘することもなく、ただ当面の麻生おろしの動きばかり追いかけているメディア。スターのスキャンダルを追いかけるお昼のワイドショーと少しも変わらない。一緒に右往左往するしか能は無いのだろうか。
[PR]

by bs2005 | 2009-07-16 01:18 | 異論・曲論