カテゴリ:異論・曲論( 205 )

 

「風評被害」という言葉による風評被害

子供を放射能から守ろうとする人々の必死な思いに対して、マスコミを先頭に盛んに「風評被害」という言葉が使われる。

被災地の食料を食べることがあたかも被災地を守るかのような論調で、それを避けることがまるで被災地の人々への同情が足りないことのように、キャンペーンが張られる。

放射能で汚染された食料を食べることが被災地を助けることではない。そういうものを東電と政府が買い上げて、被災地の農家を支えること、それが正しいあり方だ。農地の除染、保証、それが政府のやるべきことであり、マスコミが強く求めるべきことである。こんなキャンペーンの片棒をかつぐことではあってはならない。

風評被害というのは、根拠のないことを元にした被害だ。人々が被災地の食料を避けるのは根拠の無いことではない。そもそも、国が決めた暫定基準というのが信じられない程、高く緩いものであることは、諸外国の多くの専門家が色々の場で指摘している。

EUでは乳幼児の基準がある。日本ではそれすら無い。そして暫定基準というのが、そもそもめちゃくちゃに高い。昨日もベルラーシの専門家がそういう発言をしている。日本同様、チェルノブイリの被害を受けた地域で設定されている基準と比べてもべらぼうに高い。日本の暫定基準値というのは、子供を守ることを全く考慮に入れていない国際的には愕然とされる高さの犯罪的基準である。

その基準で合格したから安全というのが、そもそも全く根拠が無い。正当な不安を元にして、子供を守ろうとしている人々を「風評被害」という言葉でひっくるめて、基準値そのものを一向に見直そうとしない政府、マスコミこそが、風評被害という言葉で、親たちの不安を根拠のない不当なものに仕上げる風評を広げている元凶に他ならない。最近は暫定基準値以下である=安全であるような風評も盛んに発信している。

政府もマスコミも、何故国際的に指摘されていることを知らん顔していられるのか?

最近、怒りと絶望で記事を書く気を殆ど失ってしまった私だけど、政府とマスコミが生み出す風評と日々闘い、子供たちを守ろうと必死でいる日本のお母さん達の頑張りを、ただただ応援する気持ちで一杯だ。
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by bs2005 | 2011-10-13 00:23 | 異論・曲論  

ムーディーズが日本国債を格下げ 「首相交代が頻繁」

「日本の政治文化」でも「首相がくるくる変わる国の行く着く先」でも、警告を出し続けてきたことが、ついに目に見える形で出てしまいました。これでますます日本の国力は大きく衰弱するでしょう。

一度、首相を選んだら、どんな無能な首相であろうと、選んだ人間、あるいは選ぶことを防げなかった人間は、その選択に責任を追わなければなりません。安易に、就任した途端にひきずりおろすような政治文化は、国際的には通用しないことを思い知って欲しいです。古賀さんが言われているように、くるくる変えることで利益を得るのは、自分達の思うように省を動かしたい守旧派の官僚だけです。

そして無能な首相は、長期にわたって針のむしろに座り続ける覚悟を持ってください。それが国際社会の中での責任です。一国のトップを選ぶということは、選ばれた側にも選んだ側にも責任が生じるのです。どちらも中身は違いますが、針のむしろに座り続けなければならないのです。

無能な首相にとことん付き合わなければならないというのは、日本人の常識からは理解しにくいかもしれませんが、民主的な手続きで選ばれた場合は、それが国際社会の常識です。無能なら、くるくる変えてよいというような日本の常識は、世界の非常識なのです。日本の常識は世界には通用しないのです。

オバマが無能とはいいませんが、彼も最初の一年の蜜月期間(アメリカでは新しい大統領の最初の一年は手厳しい批判はしないことになっています。温かく見守ってやろうという大人の文化があるのです)は元気でしたが、最近はすっかり髪の毛に白いものが目立つようになってしまいました。トップに立つことも立たせることも辛いことなのです。どちらも、その責任を安易に放棄することは許されません。

安部さんや鳩山さんのように、針のむしろに座り切る根性もなく、逃げ出しておいてから、えらそうに首相批判をするなんて、国際的にはものすごく恥ずかしいことだと思い知ってもらいたいものです。

今度のこのことを機会に、日本人もいいかげんにこの国際感覚を身に着けて欲しいものです。

首相がくるくる変わることが、どれだけ深刻なマイナスか、今度の代表戦で誰が選ばれるか分かりませんが、深く理解し長期政権を目指して欲しいと切に思います。今度こそ、選ぶ側も、選ばれることを阻止できなかった側も、それだけの重大な覚悟を持って欲しいものです。それが民主主義の覚悟と責任ですから。

古賀さんが言われるように、国際感覚を持たない、世界の変革についていけない国民の国は凋落する他ないのです。
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by bs2005 | 2011-08-24 09:59 | 異論・曲論  

真に絶望的に汚染されているもの

私は今とても憂鬱である。日本人はかくも自分の頭で考えられない国民だったのか。

泊原発再開は、むしろ原発賛成派や、生活の為に必要だという地元の人間こそ反対すべきであった。何故なら、安全が全く保証されていない形での再開だから。安全が保証されない所に生活自体が存在しえないのは、福島原発周辺の避難民の姿だけで充分ではないのか?

賛成派の人々は口を揃えて言っていたと思う。原発の安全が保証されるなら賛成であると。地元の人々は言っていた筈である。原発は地元の経済に必要だから反対しない。安全さえ守ってくれれば、それでよいと。

今回の過程で、その安全の保証が一体どこで守られたというのか。

原子力安全委員会では全く議論らしい議論がされなかった。たった15分で保安院に丸投げだったことはあの動画で明らかである。二重チェックは為されなかった。保安院でどのような議論がされたのか、詳細は一般に向かって明らかにされていない。ストレステストもされていない。

あの福島事故で過去の安全基準では原発の安全は守られないと分かった筈である。では、今回の泊原発で、一体どういう安全基準が適用され、それをどのようにクリアしたのか、詳しいことは一切告げられていない。具体的内容が分からないのに、お上が決めたことだから大丈夫だろうと下駄を預けるというのか?

福島の原発事故を許してしまったのは、正にそういうあなた任せ、お上任せの態度ではなかったか?

ニュースではろくに背景も具体的根拠も示さない。そして言うことが、「北海道には地震がないから、、むにゃむにゃ、、(「だから、ま、いいでしょう」と言わんばかり)」 (by NHK ニュース9、大越キャスター)(注)

その土地で地震が起きなくても津波は来るのである。チリー地震の被害をもう忘れたのだろうか?そしてあれだけの広範な重大な地殻変動が起きた以上、過去に起きなかった所だって、もう地震が起きない保証はない。

私などはそもそも最初から本質的に原発の安全など信じたことはないから、いかに安全と言っても信じる気はないので、具体的チェックがどうされたのか、などということには、そもそもそう関心は無い。そんなものに判断の根拠を置いていないので、、。

しかし、賛成派、容認派の人々は、それが条件だったのではないのか。それが守られなかったのに、一切声を上げないのはどういうことなのだろう?

そして反対派の人々からもろくに泊原発再開への抗議が聞こえてこないのは一体どうしたことだろう?こんな安易な一方的な形での再開を許して、どうして反原発、脱原発が有り得るのか?

あなた方は自分の語っていた言葉にどう責任を持つのか?あなたの言葉はあなたが装う単なる飾りなのか?そんな飾りがあなたを美しく見せることはない。

日本人は放射能に汚染される前に、何らかの菌で頭と精神を汚染されてしまったらしい。

何故、自分の頭で考えないのか?何故、自分が言ったことがこんなに簡単に無視され、踏みにじられているのに平気でいるのか?何故、声を上げないのか?他の人が声を上げないから?自分の信頼する人や組織が何も言わないから?様子見?出る杭になるのがそんなに恐ろしいのか?他人の判断をそんなに仰ぎたいのか?一人になるのがそんなに怖いのか?

今度、日本で再び原発の大事故があっても、世界は今度ほど同情しないだろう。自分で撒いた種と思うだろう。早々に脱原発を決めたことに対し、集団ヒステリーとなじられたイタリア人は「それ見たことか」というだろう。ドイツ人は、あの事故があったのに、どうして日本人はこんなに自立性がなく、お上任せでいられるのか、どこまで能天気な国民かと呆れることだろう。

『原発のウソ』の本を『典型的怖がらせ本』と批判している人が居たけれど、また、うそのうそと称して、批判にならない論点(しかも御用学者からの孫引き)を挙げて論じている人がいたけれど、たとえ小出さんが信頼できなくても、正式の国際的権威がそう言っている。日本のエネルギーは原発に頼らなくても充分足りていると。

政府だって報道だって、正式な国際機関が発表したことを知らない筈はない。それでも、国民を熱中症に脅えさせながら原発は再開された。怖がらせているのはどちらか。

私は殆ど日本人に絶望しそうである。どうして、自分の頭で考えないのか?人の判断を仰ぐのか?自分のことなのに、、。頭も精神もとことん汚染されてしまっているのだろう。出る杭は打たれる菌か、あなた任せ菌か、指示待ちウィルスか?何の菌だか知らないけれど、、、。

注:大体、この発言自体、正確ではない。無責任もいいところで、北海道の安全なんて本気には考えていない報道の姿勢丸出しである。北海道南西沖地震 (泊原発からそう遠くない)、北海道東方沖地震、共に津波も起きて死者も出ている。
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by bs2005 | 2011-08-19 06:31 | 異論・曲論  

日本の政治文化

慶応大法学部の小林良彰教授(政治学)によると、両院のねじれが起きた時の日本とドイツの大きい違いは「両院の意見が異なった場合、日本は十分な話し合いをせずに物別れに終わるが、ドイツでは作業部会が設置され妥協点を探る」ことだそうだ。

日本人の物の考え方にはどうも「オール・オア・ナッシング」の二者択一的傾向があるのではないか。現実的な接点を見つけて妥協しながら前に進んで行くというのが、非常に下手な国民なのかもしれない。お互いに自分の主張に拘泥し平行線から先に進めない。大震災という非常時に於いてさえ、そうなのだから呆れてしまう。民主政治の本質は妥協だ。いかに良質の妥協を導き出すかに掛かっている。「一切の妥協、許すまじ」などと息巻く輩は外国からは青臭い未熟者にしか見えない。

原発に関しても、過去、反対か推進かという二者択一の政争の具にされてしまったことが、安全対策に現実的に取り組むというアプローチを封殺してしまったと言われる。今も、脱原発か否かという二者択一の動議で電力会社の株主総会の議決が行われて、脱原発派にとっては不利な展開になってしまっている。どういうエネルギーをどう開発しながら、どういう時間の中でエネルギーの安全と安定的確保を目指すかという議論が抜けているように見える。今は双方が共にデータを突き合せつつ、一緒に冷静に検討していく委員会のようなものの提起が先ず必要なのではないだろうか。

首相も一年も満たない間に、こいつは駄目だと次々に首をすげかえられる。良いか悪いかの二者択一。アメリカの大統領の任期は4年だから、初めの一年は蜜月期間と言われる。どうせ新米の大統領、駄目なことは山ほどやるだろうけど、一年目の慣れない間は、試用期間のようなもの、寛大に辛抱強く見守ろうという雰囲気がある。その代わり、二年目に入ると急に厳しくなる。蜜月期間は終わったという言い方がされる。その一年の蜜月期間の間に、多くの失敗の中から、政治の現実を学んで成長して欲しいという思いもあるのだろう。

日本の場合は成田離婚みたいなものだ。いきなりケチョン、ケチョン。そして一年そこそこで引きずりおろされるから、初めの一年の失敗から学んだ教訓を生かす場は奪い去られる。次々に新米首相が出てきて未熟なまま、こきおろされ引き摺り下ろされ、また新米首相が出てきて同じことの繰り返し。首相が育つ暇がない。日本の政治が成熟する暇が無い。

サッチャー氏は11年、ブレア氏は10年首相を務めた。小林教授によると「一度選ばれれば政権から引きずり降ろそうとしない政治文化があることが、長期政権の一因だという。オール・オア・ナッシングの文化ではないのだろう。アメリカにも簡単に引き摺り下ろすことを自戒する文化がある。

一度選ばれた人間に対しては、積極的に選んだ人間は勿論、反対した人間もその選択を阻止できなかった以上、自分達が選んだものという意識があるから、簡単に引き摺り下ろすという発想はない。無いからどのように駄目であろうと皆で我慢して育てるしかない。手厳しい批判はするけれど、引き摺り下ろすためではなく良い方向に持って行く為だ。

日本では選挙が民主主義に対する自己の責任ではなく、単なる人気投票のようなものでしかないから、結果に責任を持つ意識が欠如しているのだろうか。自分の党の代表でさえ、人気が無いと思えば引き摺り下ろす。誰が党の代表にしたのかという責任感は全く見られない。次の選挙=人気投票に勝てる人気の取れる代表に一刻も早くすげ替えなければと思うのか。

こんな人気投票でしかないような選挙結果に一喜一憂、大騒ぎして、選挙の結果に責任を取れと迫り、その結果が首相の交代に繋がることも意に介さない与党の姿が、自民から民主に変わっても同じなのは、何たる時間とエネルギーの無駄を繰り返していることか。

アメリカ人は自分達が厳しく批判していても、外国の人間が彼らの大統領を目の前で批判すると嫌な顔をする。それを選んでしまったのは自分達であるという強い自覚があるから、よそ者に自分が面と向かって責められている感じがするのだろう。日本人はその自覚が見えない。日本の民主主義は無責任な未熟なものに外国からは見えるだろう。

八幡和郎氏は、「日本は戦前から独裁者を嫌う傾向があり、“持ち回り”の発想が根強く、長期政権にならないよう、リーダーシップがない人を選んでいる」と分析しているそうだ。

元々リーダーシップが無い人を選んでるのだから「リーダーシップがなってない!」とこきおろして、引きずりおろすのは簡単だ。日本の首相がくるくる変わるのは文化的・構造的必然であり、避けることは出来ないのかもしれない。

首相になるや否や、周りは引き摺り下ろすことに躍起となり、首相はそうされないことに躍起になる。それだけで政権は終わってしまう。それだけで終わらせまいとすれば、居座りを図る腹黒い奴というレッテルは避けられない。

こうやって首相をくるくる変えている間に、国際社会の失笑は嘲笑に完全に変わってしまい、どうせ短期政権で終わると分かっている日本の政府はどの国からもまともには相手にされず、国際社会の色々のことは日本の頭越しに決められて行くことだろう。

日本は外交の場に於ける交渉能力を完全に失い、誰が首相になっても諸外国の言いなりになるより他なく、そのことを国内ではぼろくそに批判され、その次の政権も引きずり下ろされ、悪循環はさらに加速して、政権はますます短命化し、政策は少しも進まず政争のみに明け暮れる一層の果てしない泥沼に落ちて行くことだろう。

日本の政治文化や構造的問題を、世界の政治文化の中でもう一度捉え直し、客観的に見直すことが必要だろう。そして腰を下ろした政権の下で、全ての異なる立場が辛抱強く話し合い、妥協を繰り返しながら、今出来ることを見つけて先に進んで行ける新しい政治的システムの導入が焦眉の課題のように思える。
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by bs2005 | 2011-07-01 12:18 | 異論・曲論  

菅おろしは電力業界の陰謀?

相変わらず被災地そっちのけの政争、日本で一番低レベルのものは政治だなと改めて痛感します。

そして一番分からないのは菅おろし。菅さんが後手、後手の不手際であったことは、誰の眼にも明らかだし、原発問題を正しく処理してきたかは、20ミリシーベルト問題を初めとして大いに疑問です。でも、他の人が同じ立場に居ても、似たようなものだったのではないでしょうか。前代未聞の大天災と大人災が同時に起きた状態で、誰がまともに出来たでしょうか。

それだけでなく、有効な対案を提示できた政治家が他に居たでしょうか?菅さんが辞めて実際にこの人ならと思えるような人も居ず、居ないのみならず、誰も推薦すら出来ず、その後の展望を提示出来ない状態で、何故、「とにかくおろすこと先ずありき」という感じになっているのでしょうか。具体性がどこにも見当たりません。

経団連の有力なメンバーである電力業界、マスコミにも強力な影響力を持ってきた電力業界、長年与党として君臨してきた自民党と強力に連携し、核武装を本音とした原発推進に加担してきた電力業界、この業界が菅おろしの黒幕ではないかと私には思えてなりません。

浜岡原発を停止し、再生可能エネルギーの推進、買取りに進もうとしていること、発電、送電の分離を行おうとしていること、どれを取っても、菅さんが今やろうとしていることは、電力業界にとっては、どんな手段を駆使しても止めたいことでしょう。彼らが音頭をとって根回ししているからこその菅おろしなのではないでしょうか。

何の具体性も無いのに、ただおろすことのみが語られ、先行していることに大きな疑問を抱きます。

今回の災害対応で一番問題なのは、日本には「非常事態宣言」をする法律的根拠が無いことだと思います。アメリカならば大統領なり知事なりが、こうした災害にはただちに〔非常事態宣言」を発し、平常時とは違う迅速な処理がされます。まず法律を通してからなどということを一々やっているから、こんなに後手、後手なのだと思います。

菅さんのせいばかりではないと思うし、繰り返しますが誰がやっても同じで、それどころか谷垣さんや石原さんならもっと駄目だったでしょう。坊ちゃん政治家鳩山さんや利権に聡い小沢さんは言うまでもなく、、。

菅さんには大いに不満がありますが、それがおろす根拠にはならないと思います。被災地の対応が遅れているのを菅さんが下りないせいのようにただ煽っているだけのマスコミも電力業界とグルなのではないかとさえ思ってしまいます。どう考えても今は、首相おろしなどやっている場合じゃない筈で、被災地の対応が遅れているのはそのせいとしか思えません。

今、菅さんがおりることによって得られるものと失うものを天秤にかけると、日本の庶民にとっては失うものの方がはるかに大きいように思えて、私は電力業界への怒りを禁じ得ません。
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by bs2005 | 2011-06-24 03:40 | 異論・曲論  

原発推進の下心

浜岡原発の停止という全く正当な遅すぎる位の決定の後、電力不足ということで各業界は血眼になっている。そして色々なアイデアがどんどん出てきているようでもある。良いことである。

そもそも最初から原発など導入しないで、今の必死さで、どうすれば原発抜きで日本経済を発展させて行くか考えるべきだったし、原発以外のエネルギー開発を本気で考えるべきだったのである。

最初からそうしていれば、今の日本は、こんな目に遭っていないし、再生可能エネルギー技術の先端を走って、世界のモデル国として、世界中から頼られ繁栄を誇っていたことだろう。

原発はコストが安いなどというけれど、事故が起きたときのコストは天文学的なものになる。お金で償えないものの大きさも勘定に入れたら、それこそ超天文学的なことになる。

原発以外のエネルギー開発にあの頃、惜しみなくお金をつぎ込んでいたら、今の国家財政を揺るがしかねない金額よりはるかに少ない金額で済んだはずだ。

今は火力、風力発電、太陽熱のことばかり話題になるけれど、地熱資源は日本は世界第三位、技術は世界有数という。その他にもまだ採算は取れるベースになっていないけれど、発酵エネルギーだの、廃棄プラスチックを利用したもの、等々、いくらでも可能性はあった。節電だってもっと本気で取り組むべきだった。その研究に全精力と国の財力を注ぎ込んでいたら、今の日本は原発なしでも悠々とやって行けた筈だ。

原発を推進してきた自民党政権は、本当はそんなこと分かっていただろう。でも、原発を推進してきた。それは核武装をしたかったからである。だから、原発の中ではより安全なトリウム原発-プルトニウムを生産しない(=核武装の役に立たない)原発のことはおくびにも出さなかった。開発しようとすらしなかった。電力を必要とする業界は目先のコストのことしか考えていなかったから、原発推進に乗っかった。そもそも日本を引っ張る立場の誰も日本の安全なんて真剣に考えていなかった。

先日『ニュース9』で高村薫さんが実に正論を述べておられた。私は『マークスの山』を読んだだけで、何も知らなかったけれど、彼女は長年原発の問題を扱ってこられたのだそうだ。彼女が問題にしてきたこともマス・メディアでは全然取り上げてこられなかった。

彼女の発言の中で一番印象に残ったのは、原発が政争の具に扱われたことが一番の悲劇だった。政治と切り離して、地震国の日本で原発の安全を本当に守れるのかという科学的アプローチが失われたということが今回の原発事故を招いたということ。

推進派の下心に反対派も直対応しすぎてきたかもしれない。今こそ、市民レベルで原発を基本的に問い、日本の進むべき道を探るべきだろう。一時的には日本は経済困窮し、他国に大きく差をつけられるかもしれない。でも「急がば回れ」である。王道を歩むことが長い眼では必ず日本を繁栄に導く。正に「災い転じて福とする」べき時なのだと思う。日本はそれが得意な筈だ。特に庶民は。今こそ市民の力が問われているのだと思う。
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by bs2005 | 2011-05-19 00:59 | 異論・曲論  

真にメルトダウンしたもの

外国の報道では、福島原発はとっくにメルトダウンしていると言われてきた。事故の程度は当初の段階でチェルノブイリ級であること、このまま悪化して行けばそれ以上のものになる可能性があることも。海の汚染を考えれば、私から見ると既にチェルノブイリを超えているように見える。

東電はデータがもう少し出てきて、1号機は地震直後からメルトダウンしていたことが「今」分かったという。保安院は、二号、三号基もメルトダウンしていると認め始めたらしい。今頃認めているのは今までデータが無く、中の様子が分からなかったからだという。

本当にそうだろうか。事故から2ヶ月も経って未だに低温になっていない。三号基は300度を超えて上昇中ともいう。注水量が足りないのだという。こんなに時間が経って、不足している量ではあれ水を入れても、この高温の核燃料。事故直後の温度上昇は凄まじいものだったろう。その時点でメルトダウンしていると考えるのは理論上、当然導き出される結論ではないだろうか。外国の多くの科学者が理論的に導き出していたように、理論的に導き出せていた筈ではないのか。その可能性を否定していたわけではない、なんて言いかたは姑息過ぎる。

ただ真実を認めようとしなかっただけではないのか。パニックを恐れたこともあるだろうが、第一には保身のように見える。それが本当かどうかは分からないけれど、外国の報道によると汚染はもっともっとはるかに広く浸透しているという。国民には広範囲の数字すら与えられていない。日本全土を調べるべきだろうに。調べて教えないだけなのだろうか。数千キロ離れた西海岸でもデータを取り、影響が見られるという話を聞くのに。日本の報道機関はそういう外国の情報をきちんと自らの手で検証しているのだろうか。

核燃料がメルトダウンした時、そして東電が数々の事実を政府にまで隠してきた時、東電の言うことをそのまま呑み込むままだった政府、何の力にもなれなかった原発業界、そして、それらの問題を抉り出し、きちんと批判してこられなかった報道機関、政府発表、東電発表を鵜呑みにして、自分たち独自で突き止めようとしてこなかった彼ら。長年、政府、原発業界の癒着をスルーしてきて、今、東電や政府を批判しながらも、自分たちの今までを一向に反省する様子も無い彼ら。

政府、政治家、原発業界、報道機関の無力さ、無責任さ、姑息さが白日の下に曝され、今、国民は何を信じることも出来ずに、怒りと絶望の淵に突き落とされている。本当にメルトダウンしたものは、彼らに対する国民の幻想である。その事の深刻さを彼らは分かっているのだろうか。その幻想すら無しに、日本はどこへ行けるのか?

追記:鍵コメさんに原発、及び原発事故のことがよりよく分かる分かりやすいサイトを紹介して頂きましたので、皆様にもお伝えします。科学者としての専門的知識から分かりやすく説明してくれています。

武田邦彦 (中部大学) ブログ

氏は、『原発大崩壊!-第2のフクシマは日本中にある』(ベスト新書)を書かれています。
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by bs2005 | 2011-05-18 00:27 | 異論・曲論  

東電の社長は何故、現場に詰めていないのか?

船長は船と運命を共にするという。あれだけの大事故を引き起こして、何故社長は安全な東京に居るのだろう?

彼が居なくたって、会長、副社長、その他の役員に任せれば何とかなる。彼自身が入院とやらでそれを証明している。大体、被災地の人々が劣悪な環境で薬もなく医者にもかかれず、亡くなる人まで出ているというのに、病院の個室にのうのうと入るような人間が、自殺なんか本気でするわけがない。大体、そういう輩でないのは顔を見れば分かる。

被災地に謝りたいとか言っているけど、そんなことより現場で陣頭指揮し、原発と運命を共にする方が、被災地の人々はよほど納得するだろう。

現場で命がけで一ヶ月以上も劣悪な状況で、神経をすり減らし、頑張っている人々の為にだって居るべきだ。社長も命がけで詰めて苦難を共にしていると思えば、彼らの志気は全然違うだろう。

現場には東電以外の下請けの人も沢山居るという。東電以外の方が多いとさえ聞く。自分達の地域を守ろうと命がけで居るのだという。それだけ多くの東電以外の人間にまで命を賭けさせているのだから、社長は当然、役に立とうと立つまいと現場に居るのが、責任と礼儀というものなのじゃないのか。最近はテレビでよくお目にかかるけれど、見る度に腹が立ってしまって、甚だ精神衛生上よろしくない。
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by bs2005 | 2011-04-16 00:53 | 異論・曲論  

生ぬる過ぎやしませんか?

NHKのニュースを見ていたら、原発業界は今まで「事故を起こさないことに重点を置いてきた」ので「事故が起きた後、どうするか」という点に関する関わりが手薄だった。今後はそういうことも考えていかなければいけない、と言っていた。

一見、もっともらしいけど、生ぬる過ぎやしませんか?

普通の頭で考えたら、「自然」に「人間」が敵うわけないのだし、どんな想定外のことが起きるかも分からないのだから、その場合にどうするか、危険きわまる原発の安全を守る為のあらゆる手を尽くしてくるべきだった筈。両方とも必死にやってくるべきだった筈。それが「どんなことがあっても安全」と住民を説得してきたことに対する誠意というものだろう。

前者にいくら重点を置きすぎたって、後者をあそこまで何もしてこなかったことの説明には全くなっていない。彼らは意識的にサボタージュしてきたのだ。儲けにならない部分、経費が掛かるだけの部分、原発推進の妨げになる部分は無視してきただけである。だからこそ、内部告発は握りつぶされたし、外部から警鐘を与えてきた人々の声も無視されてきた。

フランスではそういう事故が起きたらどういう対処をするかという具体的なプランがあり、原発の近くの住民にはいざという時の為にヨード剤も配ってあるという。放射能汚染した水の処理能力もとっくに持っているという。

アメリカも原潜は汚染水を海に流すわけには行かないから、当然フランス同様、汚染水の処理の仕方も知っている。何かが起きたら活躍できるロボットも準備している。日本は何もしてこなかった。外国に頼るより他なかった。頼ってもハードもソフトもゼロから作り上げなければならないから、とても当面は間に合わない。

この事故の処理に数ヶ月は少なくても掛かると最近渋々認めたけれど、どうしてそうなるか、どういう展望のもとに、その数字が出てきているか一切説明が無い。多分、処理するハードとソフトの完成だけでも、それだけ掛かるということなのだろう。

その挙句が諸外国を唖然とさせ激怒させた海への大量放出だ。比較的汚染度が低いと言ったって、高度に汚染された方と比べればの話で、実際にどのレベルの汚染度かは私の知る限り、一切発表されていない。怖くて言えないのだろう。スリーマイル以上であることは既に外国では周知の事実であり、チェルノブイリを超えてしまうのも時間の問題、知らぬは国民ばかりと思っている国は少なくない。

スリーマイルの時には、政府直轄の安全委員会が直ちに直接指揮をとり、主導権を握って処理した。会社に主導権を取らせなかったという。だからこそ、すぐ廃炉の策が取れた。企業の損得を抜きにして動けたから。そしてその時の委員長は現場から1キロの所で記者会見をやった。その姿に国民は事故が起きていても自分達は安全なのだと信じられ、風評被害も起きなかったという。彼は事故を最小限のダメージに抑えたヒーローとして讃えられたとか。

日本の原子力安全・保安院とやらは一体、今まで何をしてきたのか?テレビで他人事のように経過報告を涼しい顔でしていたけど、本来は事故が起きた途端に、自分達が先頭に立って主導的に処理しなければいけなかった筈だ。スリーマイルのように。

原子力の専門家なのだから、フランスやアメリカではとっくに出来ているいざという時の体制の知識位は当然得ていた筈である。そうでなければ完全に給料泥棒である。でも知識は得ていても、するべきことは何もしてこなかった。だから、ああいう場面で雁首を並べて他人事のようにぬらりくらりと報告をするしか出来なかった。彼らに出来ることなど他に何もなかったから。政治はそういう体制を全く作ってこなかったから。

政府は今頃「原子力安全・保安院は原発推進も一緒にやっていたので安全がおろそかになっていた面がある、今後は分離する」と言う。安全、保安を名乗るからには最初から一番にやっていなければならなかった当たり前のこと。こういうことが一切、全くやられてこなかったことは、こちらに重点を置きすぎたとか、気を取られていたとか、そんなことである筈がない。

彼らは意図的にそれを無視し続けてきたのである。気づかぬふりをしてきたのである。言ってみれば確信犯である。それをこんなに生ぬるい言い方をするのは、こういう風潮をマスコミも一切問題にしてこなかったからだ。内部告発、警鐘はマスコミにも届いていた筈だ。彼らが中でどうにもならなければ、最初に接触するのはマスコミであり、反原発勢力だろう。だけど、マスコミは政府と原発業界と一緒になってそういう声を握りつぶしてきた。それはマスコミのトップも企業の論理で動いてきたからだ。その結果が今のこの無残な状態である。

汚染した水の処理も出来ずに海に垂れ流した東電ひいては原発業界の無知と無力は、その怠慢と傲慢から生じてきたものであることは、事故に備えてきた国からみれば火を見るより明らかだろう。一方に神経を注ぎ過ぎて、もう一方が疎かになったというようなことである筈がない。冗談もいい加減にしてもらいたい。

1700万円を自民側に献金=東電役員、07年から3年間-「組織ぐるみ」の指摘もという記事は、この問題の氷山の一角を表わしている。

いざとなったらどうするか何の実践的知識も手段も体制も持たずに、55基も国内に原発を作ってきた国として日本は世界中に生き恥をさらしてしまった。今回の事故は明らかに人災であり、最も責めを負うべきは今までの政治家、原発業界、マスコミ業界のトップで癒着してきた人々である。そして、こういう事態を許してきてしまった日本人皆の責任でもある。

関連記事:
   津波は天災でも原発事故は天災ではない
   人災であることの証拠

追記:参考記事 「現場放棄、東電批判を"自粛"......震災であぶり出される大手メディアの素顔」より

「これまでテレビはもちろん新聞・雑誌など多くのメディアは、東電、そして各電気会社の連合会である電事連から莫大な広告出稿という恩恵にあずかってきました。東電だけで年間220億円以上もの広告費が垂れ流されていた。ゆえにめったなことで東電批判はしない、タブーとなっていた」(メディア事情に詳しい関係者)
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by bs2005 | 2011-04-09 13:03 | 異論・曲論  

津波は天災でも原発事故は天災ではない

元々、私は反原発の立場なので、原発の事故はそれが天災によって引き起こされたものであろうと、そもそも作ったこと自体が人災だと思っている。しかし、今回の場合はどの立場から言っても明白な人災に見える。

一つは、テレビで専門家が明言していたけれど、東電の対応があまりにもお粗末だということ。第一次の空炊き状態は海水を入れていたポンプの燃料だか電池だったかが切れた為だというが、それは元々4時間しか持たないものだから、まめに取り替えていなければならなかったのだとか。

この専門家は、東電はこういう事態に対してのマニュアルは作ってあったかもしれないが、その他の色々の点から見ても、訓練はまともにやっていなかったのではないかという。その通りだとしか思えない。でなければお粗末すぎる。

二つ目は、何と昨日やっと、IAEAの専門家に応援の依頼をしているという。初めから向こうは申し出ていたというのに。アメリカ政府も同じく申し出ていた。スリーマイルの経験を持つ国だ。その後の研究も進んでいただろう。そういう国の申し出を政府高官は「わが国は独力で対処できる」と断ったと聞く。

こういう時は、即応援を求めて可能な限りの知恵を集めるべきではないのか。経験のある国、IAEAのようにそういう知識を集めて持っているであろう組織の力を最初から求めるべきだったのではないのか。三人寄れば文殊の知恵という。手に入る知恵はあらゆる手を尽くして求めるべきだったのではないだろうか。あまりに傲慢すぎる。今更求めたって向こうだってもう手の打ちようがないのではないのか。

こういう基本的な手落ちが起きるというのは、こんなにも危険な原発を導入し、55個も日本中に作りながら、政治家も超党派でこういう事態を想定した訓練をしてこなかったからだろう。

「安全である」と言えば、それで安全になるとでも思っていたのだろうか。こんな危険なものを安全にする為の努力は徹底してされているべきだったのに、そういう努力が200%為されても足りない位なのに、100%にだってはるかに届かない感じがする。誰から見たって今回の事故は人災と認めざるを得ないのではないだろうか。

初めに緊急事態の連絡があって以来、私はメルトダウンが心配で心配でたまらず、家に居られる時間はずっと日本のニュースに釘付けになっている。幸か不幸かCNNもテレビジャパンも24時間やっているので、夜もおちおち眠れず、頻繁に起きてチェックしては、「だから言ったじゃないの~!原発なんか作るなって!」と、寝不足でよれよれになりながら吼えまくっている。

私がいくら言ったって今までだって全く無力で、今頃言ったって状況は同じなのだから仕方ないのだけど、口走らずにいられない。

廃棄物の処理もまだ答が出ていない、今回の地震のような天災にどこまで対処できるか不明である、ミサイルなどを使用したテロ攻撃にあったらひとたまりもない。原発が安全などというのは全くのまやかしでしかない。

どんなにエネルギーが不足しようと、「原発は絶対に使ってはならない禁じ手」という認識を持って、今まで原発の開発に賭けた人的金銭的資源を代替資源の開発に注いでいたら、また本格的節電に取り組み、生活のありかたそのものをとらえ直してきていたら、今日のような事態はそもそも起こらなかった筈である。

もっともっと不便な世の中だったかもしれない、遅々とした歩みだったかもしれない。でも、こういう世の中になっていきなり節電などという不便さに比べたら、もっともっと穏やかな不便さで済んだかもしれない。今回の事故からの回復は、その倍の経費と時間が掛かるかもしれない。「急がば回れ」は正しい。安易な原発ではなく、安全なエネルギーの開発とその開発の度合いに見合った生活様式を選ぶ、という「狭き門」を選ぶべきだったのだと思う。

エコ、温暖化の中での救世主のように原発を扱うのも大間違いだ。餃子さえまともに安全に作れないような国に、原発を多数売って会社が儲かれば済むものではない。こういうことが起こらない保証はどこにもない。

今回の事故は、あらゆるレベルでの傲慢が引き起こした人災である。既に天災で打ちのめされている人々は天災、人災、二重の被災者である。気の毒でたまらない。

参考記事
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by bs2005 | 2011-03-15 07:50 | 異論・曲論