アメリカは何処に行くのかーらふぃさんへの返信に代えて(その2)

「アメリカは何処に行くのかーらふぃさんへの返信に代えて(その1)」で、らふぃさんの大変興味深い啓蒙的コメントをご紹介しました。大分間が空いてしまいましたが、そのコメントへのお返事を書きたいと思います。コメントもご紹介したかったし、以前にお断りしたように私のお返事も長くなりそうなので、こうした記事の形にさせて頂きました。

(その1)と大分、間が空いてしまった上に、前置きが長くなりましたが、そろそろ本題に、、、。前半はらふぃさんのコメント、記事に触れ、後半はそれに加え、今までも何度か述べているアメリカの報道の問題を今までより具体的に触れています。


1.「統合」の核

らふぃさんの言われた「アメリカと宗教の関係は、日本の感覚で見詰めると完全に見誤ってしまう部分」は私も完全に見誤ってました。

私が二度目にこちらに来た頃は、学校や公的施設などで「十戒」が貼られていることへの抗議が起きたり、訴訟が盛んに起き出している時で、日本で学んだ「政教分離」の概念がそのまま通用してしまう状況だったので、国によって違うという発想すら出てきませんでした。とても目を啓いてもらった感じです。

アメリカに来て驚いたのは教育の場における宗教の影響が非常に大きいことでした。

ダーウィンの起源論など、日本では当たり前の理論として教えられるものが、人間は神の創造されたものとして、20世紀だというのに、この理論を教育の場に持ち込むことに反対する勢力の強さに驚きました。私の目からすれば、宗教を教育の場に持ち込んでいるとしか思えなかったので、らふぃさんのコメントで、そういうことだったのかと深く納得できました。

アメリカ人は多様な人種、文化、背景、歴史を持った人々の集合体ですから、彼らにとって「統合」が「のっぴきならないものであること」は感じてきましたが、その統合の中核にあるものは、「自由と民主主義の理念、平等・公平による人種の融合の理念」としか考えて来ませんでした。「統合」の一つの要素としての「宗教」という観点は、私の中で完全に抜け落ちていたものです。

私に限らず、日本人は一般的に無宗教(文化的影響は別として)なので、見落としやすい部分かなとも思いました。「見えざる国教」という観点はとても重要なものだろうと思いました。らふぃさんにいささかなりとも啓蒙して頂いた御蔭で、たまたま読んだオバマの就任式に触れた「オバマの見事な宗教対策」も、非常に興味深く、また理解もしやすかったです。

また、らふぃさんが「国民統合のための儀式としての就任式」の中で述べられていた「アメリカ人はジレンマの塊である。このジレンマがどこから来るかと言えば、「理念」から来る。「理念」と「現実」の間のギャップに苦しんだり、目を背けたりするジレンマの塊なのである。」という言葉にも深く深く頷きました。

「アメリカは、ソ連亡き今、世界で唯一の「理念の共和国」となっている。(略)しかしジレンマは必ず来る。理念の全てが実現することはありえないからだ。(略)二種類の「自由」が対立する。アメリカ人は「自由」を最大の共通認識とする一方で、「自由」の意味の受け止め方を常に模索し、悩んでいる。そして、置かれた状況によって異なるそれぞれの「自由」の意味を戦わせ続けてきた。」等々のご指摘は、感じていながら言葉に出来なかったものを的確に目前に取り出して頂いたような快感を感じました。(注:長文の為、全部を引用できないので、略した部分を共感していないというわけではありません。詳細はらふぃさんの本文の方をご覧下さい。)

アメリカを語る場合、「理念」の共和国という概念はとても重要であるように思います。

2.報道の問題


「アメリカにおいては圧倒的に多数を占める大都会から遠く離れた農村地帯の住民は、報道以外に世界の動きに触れる術を持たない。世界中から訪れる人々が切磋琢磨して情報交換を行う空気を知らない。彼らはただ、自分たちが正しいと教え込まれた「自由」を信じて、政権が推し進めた戦争を後押しした。民主主義こそが世界を救うと信じた極めて善良な人々なのだ。」


ここも正に言いえて妙で、アメリカの庶民の状況をとてもよく表現していると思いました。そしてらふぃさんが、報復に反対の立場を打ち出したオルブライト氏が報道からシャットアウトされた例を挙げておられるように、庶民が、唯一世界の動きに触れる報道の実態にも、非常に問題があります。politically incorrect の報道は出来ないがんじがらめの風土があります。政府の批判も民主、共和両党への批判も活発にされますが、全てpolitically correct の範囲に留まるものです。

また、庶民にとっては一番身近な報道媒体のテレビで、日本の場合は、NHKを中心に素晴らしいドキュメンタリー、旅行記などが日常的に放送され、日本を一歩も出たこともない人でも、世界の色々な国の庶民の姿を初め、ガザの現状、イランの人々の現状、アフガニスタンの現状などを、完全な形では勿論無くても、かなり詳細に見ることが出来ます。同じ人間としての共感を育てる基盤があると思います。

こちらでは大多数の庶民に届く形でそういう詳細を見られる番組は殆ど見られません。結果として、イスラムとかsocialismと聞くだけで震え上がるような庶民が沢山居ます。この感覚は、日本の戦時中の鬼畜米英に似たものを感じます。彼らにも家族があり、人間として同じ苦しみ、喜びがあるのだという感覚が育っていない感じがします。

テレビの政治評論家、キャスターなどでも、この政策はsocialsmだと言うだけで批判になっていると思っているような傾向が強いです。そこで終わってしまって、何故それがいけないのかという内容に行かない、そういう中味の検証抜きのレッテル貼り批判がまかり通っています。そういう人達は、「日本の資本主義は資本主義じゃない。資本主義を装った社会主義だ」と言い、それで論議が済んだように思っています。

たまたま先日、そういうレッテル貼りの論議が続いた中で途中から参加した評論家が「socialismだから悪と直ちに言えない。そういうものが必要な段階に来ているのかもしれない。そういう検討も必要だ。」と言った時は、非常に新鮮な感じがしました。そういう視点が、もっと増えて欲しいです。

こんなに世界中から沢山の生身の人々が集まって、人種の多様さに関しては圧倒的な国である筈のアメリカなのに、日本人よりもはるかに世界の民衆の生の生活・実態に無知である理由は報道だけのせいでもありません。

その国から来ている人々も、それを積極的にアメリカの庶民に伝えていないと思います。伝えても当たり障りの無い範囲に限られていると思います。それは一つには人種差別への恐れや、アメリカに溶け込まなければという心的プレッシャーと、もう一つはpolitically incorrect への恐れから、沈黙してしまうからではないかと思います。本音はその民族の中だけで語り合っていて、外には余り伝わっていない、というような傾向があると思います。

にも拘らず、沢山の人種が一緒に暮らしているということで、他の国より世界のことは分かっている幻想があり、世界に対して目が開かれていないことへの自覚が非常に乏しいのも、とても危険なことだと思います。こうした事が指導者の号令ですぐに燃え上がってしまうアメリカの「好戦性」を生んでしまっているように思います。

自国の外で起きていることに無知のまま放置されていることは、自国の若者の兵士としての現実にも無知という事になってしまっていますし、世界で行っている非政府団体による援助も、場合によっては大国主義的傲慢、西洋的価値観の押し付けとして受け止められていることにも無知になっていると思います。だから、アメリカはこんなに世界に尽くしているのに、、という考えから抜け出られません。

兵士の問題はアメリカ兵の暴行等の問題に留まりません。NHKスペシャルで州兵としてイラクに送り込まれた若者達が、呆れるほどのお粗末な装備で戦地に送り込まれ死んでいっている現状、その現実に打ちのめされた彼らが涙ぐみながら、弟妹に大学の費用の為に州兵に応募したりするなと呼びかける姿が報道されていましたが、アメリカ国内ではこういう事は、一切報道されません。

戦争をしてでも、自分達の利害を守ろうという勢力には真に都合のよい基盤があると思います。単純過ぎるかも知れませんが、NHKスペシャルを見ていると、この番組がアメリカの庶民に届く形で放送されたら、アメリカの世論は大きく変わるのではないだろうかと思わずに居られないことがよくあります。



案じた通りに長くなってしまいました。(汗) まだタイトルの「アメリカは何処に行くのか」という部分まで辿り着いていないので、申し訳ありませんが、続きは(その3)で、、。ここまで長くなるとは自分でも思っていなかったのです。すみませ~ん。(汗、汗、汗)



関連過去記事:
  「オバマの言葉の読み方」
  「善魔の思想を支えるもの」
  Patirotism - この神聖にして不可侵なるもの
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by bs2005 | 2009-02-15 03:54 | 異論・曲論  

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