真のセーフティ・ネット

最近の胸が痛くなるような経済の悪化状況、派遣切りの悲惨な現実、ワーキングプアと言われる人々の状況、そういう問題が論じられる中で、日本社会にセーフティ・ネットが不在であること、それをもたらした政治の貧困が頻繁に論じられるようになってきている。



セーフティ・ネットが無い社会は怖ろしい。一度こけたら奈落の底に落ちかねない。将来が保証されず安心してお金を使えないのに、定額給付金程度のお金で、不況を好転させる程のダイナミックな消費の転換が起きる訳がない。この不況からの脱出には、セーフティ・ネットを作る政策が不可欠だろう。しかし、政策だけの問題だろうか?

先日、ニュースを見ていたら、浅草の駒形橋で毎週木曜日に行われていた食べるものにも事欠いている人々への炊き出しが、三月一杯で中止になると報じていた。

隅田川を管理する東京都から中止の指示が出たのだという。その理由は、(1)一般の通行の支障になる。(2)近くの児童公園で遊ぶ子供の母親達から、不審者が沢山その日に出てくることへの苦情が多い、ということだそうだ。

木曜日はここだけがちゃんとした食べ物を食べられる場所だったと、老年に近い中年男性が顔を曇らせていた。派遣切りにあった人々の話でも、呆れるほど長い期間、まともなものを食べていない。そういう人々にとっては正に命を繋ぐ食であったことだろう。それが中止になる。そんな理由で、、。

炊き出しをやってきたNPO法人 山友会代表のルポ・ジョン氏は、今までも迷惑を掛けないように気を使ってはきたつもりだ。移動すると言っても、今度はそこで同じ問題が起きるだろうと暗い顔をしていた。こんな理由で問題にされるなら、確かにどこに行っても同じだろう。

日本はこんなに冷たい社会になってしまったのだろうか。日本人が筆頭になってやってもよい仕事を外国人にやってもらって、なおかつ中止に追い込む。東京都が率先してやってもよいことだ。

毎日一日中やっていることでもあるまい。どれ位の時間、その日にやっているのか知らないが、一食の時間、そんなに長時間でもあるまい。そして週のうちのたった一日。

その時間の間位、通行の支障があったとしても我慢すれば済むことではないのか。児童公園で遊ぶのだって心配ならその時間を避けるとか、その時間は他の場所に行くとか、家で本を読んで上げるとか、いくらでも対処の仕方はある筈ではないのか。相手は命が懸かっているのだから。

東京都だって、そういう苦情が出てきたら、中止という安易な道を選ばず、その時間に限り、警官なり、何なり、交通整理・治安保持のために人を回せば良い。住民にそういうボランティアを頼んでも良い。暇になった団塊世代の多くがボランティアに新しい活路を求めているとも聞く。先ず継続への支援方法を考えるべきではないのか。

そこで辛うじて命を繋いでいる人々が居るというのに、何て冷たい自分中心の社会になってしまったのだろうか。人道的立場から中止に抗議する一般の声も聞こえてこない。

色々な国で似たような慈善行為はされている。他の国でこんな反応が中止に追い込む程あるのだろうか。あったとしても、だから即、中止というような公的機関の動きがあるのだろうか。単なる私の見聞の狭さかもしれないけれど、アメリカでこんな話を聞いたことが無い。

生き馬の目を抜くような厳しい競争社会のアメリカ、苛烈さではどこの国にも負けないけれど、善意で始まるボランティアの動きを支えようとする動きは一般にも公的機関にもある。教育の場でも、子供達にそういう動きに参加させようとする。スーパーなどでも、折に触れて大きなドラム缶が用意され、そこに缶詰などの食品を気楽に簡単に寄付できるようになっていて、そういう炊き出し等にも協力している。

簡単に転げ落ちる社会であるからこそかもしれないが、転げ落ちた人々に対する同情・温かさは日本よりあるように見える。

児童公園の母親達も、この炊き出しを不審な人々が集まってくる日とだけ捉えないで、ボランティアの人々が頑張っている日として、赤の他人へのこうした善意の意義を教える日として、子供達に教育することだって出来るのではないだろうか。そういう温かい社会で育っているのだと感じれば、子供達に与える心の安定も大きいように思う。

赤の他人にこんなに冷たい社会、普通の生活から転げ落ちてしまった人々にこんなに冷たい社会、、、、セーフティ・ネットの無い政治を何年も許してきてしまった根源のそもそもは、この冷たさにあるのではないだろうか。

真のセーフティ・ネットは政策にではなく、その国を構成する人々の温かさにあるのだと思う。落語の世界だけの話かも知れないけれど、八っつぁん、熊さんの住む長屋にはセーフティ・ネットなど要らなかったように見える。東京と江戸の隔たりは大きい。

三月まではまだ間がある。心ある人々の声で中止が撤回され、日本もまだ捨てたものじゃないと思わせてもらいたいものだ。
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by bs2005 | 2009-02-08 02:53 | 異論・曲論  

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