お金の貢献で何が悪いの?!

今朝、こちらの報道番組で私は見損なったのですが、オットの話によると日本が金融危機に際し、10兆円の援助をすることがとても高く評価されていたそうです。それに比べて中国はたった50億円とはどういうことかというトーンだったとか。

テロ支援、給油補給、日本では散々話題になりますが、日本が油を供給したからと言って、それが貢献として賞賛されたのを私は聞いたことがありません。日本の国際貢献をこれだけ明確に賞賛するのを聞いたのは初めてです。日本が中国よりリーダーシップがあるような国として扱われたのも初めてです。

10兆円の援助自体の評価はともかく、何かというと九条を眼の仇にし、国際貢献を口にする人々への一つの答であることは間違いないように思います。

お金だけ出して済ませようとしている、それでは済まないという日本の評論家は多いです。特に生身の人間の戦争経験に謙虚に向き合うことなく、資料や文献にばかりあたっていっぱしのことを言ったり、日本の戦争責任を歪んで伝えようとする著名評論家などが声高に言ってます。

そう櫻井よし子さん、あなたのような評論家のことですよ!自衛隊のトップで懸賞論文に応募して定年退職(?)した人とかね。

それぞれの国がそれぞれの国にあったやり方で貢献するのが何故悪いのでしょうか。お金だけでなく、ペシャワール会、国境なき医師団、その他、様々な所で貢献しているというのに、その卑劣な矮小化は何でしょう。その時、その場で、何が出来るか、何が本当に有効であるか、そのことが一番問題なのだと思います。

ああいう机上論の現実離れした、生身の人間が必死で伝えるものへの視点が欠落した評論家がもてはやされる日本が情けないです。櫻井よしこさんのようなカリスマ評論家の持つオーラに簡単にやられないようにしてもらいたいものです。もっと生身の人間の体験に耳を傾けて、何が本当か、何がそうでないか自分で見極める眼を持ち、ああいう類いの評論家の言っていることを鵜呑みにしないで、自分の頭で考えることを切に望みます。

本当の歴史は資料に書かれていない部分、葬り去られた部分、声なき声の部分に往々にしてあるのです。

戦後60年経って、良心の呵責を乗り越え、あるいはその悲惨さから眼を背けることをやっと克服し語り始めた人々もいる現実からも、それは言えます。資料に残されていない部分の方にどれだけ真実が埋まっているか分かりません。無惨に死に追いやられた人々はそもそも死人に口無しなのです。往々にして弱者からは記録する力、記録を残す力まで奪われていることを忘れてはいけないと思います。

資料至上主義では見えて来ない真実があり、資料や文献にのめり込む人の落とし穴はそこにあるのです。資料は大事なものですが、それが全てではあり得ません。資料の向こう側まで見通す力が必要です。自分の理論に都合良い生身の人間だけでなく、幅広い反対の立場の生身の人間の声も謙虚に聞く姿勢が必要です。

生身の人間の歴史に向き合い、その真実を見極める力の無い人間には文献にのめり込むより他ないのかもしれませんが、、。
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by bs2005 | 2008-11-16 05:19 | 異論・曲論  

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