らふぃさんのコメントに寄せて ー 政治的リーダーの責任

(異常に長いので、お急ぎの方は赤字の所だけお読みになるのお勧めします(汗)

らふぃさんへの質問では、クリントンのルインスキー事件を長々と語る形になってしまいましたが、そもそもは、一国の指導者にとって精神的指導者としての役割がいかに大事か、それを軽視したときに、どんなに国そのものが歪むかについて書きたかったからでした。日本で言えば田中角栄事件がそれにあたると思います。

田中角栄の事件の時も、政治家はクリーンで無くても、堅苦しい道徳を守らなくてもよいのだ、政治をきちんと上手にやれば、というのが角栄擁護論の中で出て来たと思います。

クリントンの場合も、経済を繁栄させ、国家赤字を黒字に転換させた業績のある大統領を女性問題のようなプライベートなことで云々という擁護が盛んになされたと思います。私はこの二つの問題が非常に似た問題をはらんでいると思うのです。

らふぃさんはコメントの中で「アメリカには国教はないけれども、国民の統合のための非常に緩やかで政治的にもどこにも書かれていない、けれども極めて政治的な「見えない国教」があると表現したのです。その意味で、大統領は政治的指導者であると同時に、アメリカ人にとっては精神的指導者でもあるという分析がされています。大統領が政策で弾劾されるより、モラル問題で弾劾されるケースの方が多いのはこのせいかも知れません。」と書かれています。


私はアメリカに限らず、世界のどこでも、そもそも政治的指導者には精神的指導者でもあることが求められていると思います。その要求にその国のトップが答えられているかどうかは別として、、、。人が人の上に立つということは、本質的にそういうものを求められてしまうのだと思うのです。

そして、その求め方が厳しい国とルーズな国の差はあると思いますが、ルーズな国は良い方向に進みません。歴史的に見ても、それがいい加減になった国が皆、滅びたり、弱小国になっています。


どのような基盤で、どのような精神性で、どのような歴史的経緯でというような事になると違いが出てくると思います。アメリカの場合は、らふぃさんの解説してくださったようなことが根拠になっていると思いますが、精神的指導者でもあることが求められているのはアメリカに限らない普遍的なことだと思います。

勿論、らふぃさんがアメリカだけのものとして考えておられる立場で書かれているわけではないとは思いますが、ここのところは明確にしないと、アメリカの善魔性を支える思想と拮抗できなくなると思いますので敢えて明確にしておきたいと思います。

さて、本質的にそれが求められるのは、そもそも政治というものが人間社会を扱うものだからであり、だからこそ、リーダーの道徳性、倫理性というのは、非常に大事な要素であるからです。今日、そのことが資本主義経済のいびつな肥大化によって軽んじられていることは大きな問題だと思うのです。

あの事件の当時、プライバシーの問題、女性問題と片付けようとする人々に、私は田中角栄の問題を例に出して、国のトップの人間の偽証(真実への宣誓の放棄)という非倫理的姿勢をいいかげんに処理してはいけない、それはその国を間違った方向に進めてしまう、その国の精神性を深いところで歪めてしまうと批判しました。

外国人の私がそういう批判をすることはクリントンを批判する人達にも好意的には受け入れられませんでした。その時、私はアメリカ人にとっての大統領というものが、自分の身内のような存在なのだと感じました。自分が身内の批判をすることはあっても、他人に批判されたくないというような、、余談ですが、、。

それはともかく、田中角栄のような政治家が出て、それが力を持ってしまったことは、その後の日本のバブルの時のあり方、ホリエモン的経営者の続出を生む地盤を作ってしまったと私は思います。今日の偽装問題、不正の横行なども深いところでその素地が作られてしまったのだと思います。

あのクリントンの事件の対処の過程で、あれを女性問題、個人的問題と矮小化して片付ける考え方を許してしまったことは、経済、政治がうまく行っていれば他のことはどうでもよいのだという考えに勢いをつけてしまって、それがサブプライムローンのようなものを許し、肥大化することに深い所で繋がったと私は思うのです。


一国のリーダーがどんなに政治をうまく運営し、経済を発展させても、その精神的指導者としての役割を忘れたときに、その国に与えるダメージというのは、もの凄く大きいもので、その大きさというのは、当初は大したことに見えずに軽視されがちですし、固い事言うなという風潮に押し流されがちですが、じわじわと長い時間の中で浮かび上がってくるものだと思います。

何故ならば、リーダーのあり方がそのリーダーと同じ時代を生きる人間に、人間はどう生きるべきか、というより、どう生きてしまってもいいのかというメッセージを送ってしまうからです。ああいう風に生きても成功者になれるのだ、成功者で居続けられるのだと、、。


オバマが大統領になる瞬間を目撃する世代は、人種の云々にかかわらず誰もが大統領になれるのだというメッセージをもらったと思います。非倫理的なことをしたリーダーが大した罰も与えられずに逃げ仰せる姿を見れば、あれ位のことはしてもよいのだ、やり得というのがあるのだ、トップに立てばどんなことをしても守られるのだというメッセージをもらうと思います。

リーダーというものは、その影響力が強ければ強いほど、良きにつけ悪しきにつけ、そういうメッセージを本人の意図とは無縁に送ってしまう存在であり、その流布されてしまったメッセージへの説明責任を持つ存在だと私は思います。

どういうメッセージをその国のリーダーから受け取ってしまうかは、その国の将来の方向を決めかねません。言ってみれば、その国の次の時代のDNAを作ってしまうのだと思います。日本の敗戦を挟んだリーダーの変質が戦後社会に与えた歪み、倫理の喪失もその深刻な例だと思います。だからこそ、リーダーは世界のどの国でも、精神的指導者としても存在することが本質的に深い次元で求められているのだと思います。


この問題に関する限り、私は批判にさらされたリーダーがどんな良い仕事をしたかに全く関心がありません。業績だけに絞れば、クリントンは確かに沢山の業績を挙げた大統領であることは誰の眼からも明らかだし、否定も出来ないと思っています。多くの人に希望を与えた存在であることも理解は出来ます。でも、それはここでの問題とは全く別の次元の問題だと思います。

あのスキャンダルがどこまで真実であったかとか共和党の陰謀であったということにも全く関心がありません。勿論、スキャンダルの当事者、関係者にも一切関心はありません。それぞれ私人である限り、それこそ個人的問題だと思います。その人の人生に起きたことは、それぞれが自己責任として背負って行くより他は無いし、彼らがあの時どういう思いをしたか今どうしているかなどは、他者の関心を拒絶するものだと思います。

ああいうスキャンダルが流されることで真偽は別として国民に伝わってしまうメッセージ(選挙中に妻と有権者に誓ったことを反古にし、神聖な執務室で不適切な行動を取り、夫としても父としても業績さえ挙げれば非道徳な存在であることを歯牙にもかけなくても構わないのだというメッセージ、個人のプライバシーのことなら偽証してもよいのだというメッセージ、法はそういう風に軽く扱えるものなのだというメッセージ、等々)こそが問題だと思うのです。

しつこくなりますが、それが本人の送ろうとしているメッセージであるかどうかは別の次元です。意図するものとは大違いであったとしても、そういうメッセージが伝わってしまった以上、そのメッセージを無力化する全面的責任がリーダーにはあると思うのです。

クリントンはその責任と機会が与えられていた。でも彼はそれをしなかった、そのことが問題なのです。私がクリントン嫌いであるのは、あのスキャンダルの醜悪性とは無縁です。この責任を全うせずに居丈高に振る舞ったからです。


田中角栄に関しても、真実が伝わっていないと彼を擁護する批判は根強くあります。私は、真偽がどうかという問題と実際に伝わってしまったメッセージの問題は次元が違い、そこで第三者が真偽を論じることは無駄ではないと思いますが、あまり意味が無いように思います。

(勿論、虚偽のメッセージを送り続けるメディアの問題はありますが、それもここで論じたい問題からは離れるので敢えて触れません。今までもメディアの問題はそれなりに提起してきたと思いますし、、。)


伝わってしまった否定的なメッセージ、それを無化すること、あるいはポジティブなメッセージに転換することが最も重要だと思うのです。ここで真偽にこだわることは、むしろ、その課題から離れてしまう危険さえあると思うのです。

これはオバマのあの牧師にまつわる陰謀(?)に対する態度が対照的であったことからも言えると思います。オバマはむしろあの機会をあの演説によって素晴らしい人種融合へのメッセージと変えることが出来た。クリントンだって対処の仕方では全然違うメッセージを送れた筈なのです。


私はあのスキャンダルそのものを醜悪だと言い募りたいのではないのです。今までに他の記事で何度も書いてきたように、人間はそもそも限りなく醜悪になってしまう弱さを持った存在です。人間が普遍的に持つ弱さや醜さを言い募りたくないのです。

たとえあのスキャンダルが丸ごと真実だったとしても、クリントンは人間の本質的弱さに触れて、その弱さからどう立ち上がるかという貴重なメッセージだって送れた筈です。共和党の陰謀によって歪められたメッセージであったとしても、それを完全に無化することは出来た筈なのです。リーダーとしての真の資質さえ持っていれば、そしてそれを受け止める国民大衆への信頼さえあれば、、、。

真偽はともあれ、スキャンダルと無縁でいられる政治家は少ないでしょう。それにどう対処するかでその人間の倫理性が問われるし、送ってはいけないメッセージを国民に送ってしまう、そのことを問題にしているのです。一国のリーダーだからこその問題を語っているのです。一般に人の個人的問題にどう対処するかの問題とは全く別の次元で語っているのです。


人間は過ちを犯す存在です。過ちを犯した時にどう対処するか、リーダーはそれを最も厳しい形で求められています。リーダーになる責任というのはそういうことだと思います。有形無形のメッセージを送ってしまうリーダーだからこそ求められる重大な責任です。

順調な時に、立派な人間でいることは比較的簡単なことです。人間は追いつめられた時に、否応も無くその人の本当の姿を表してしまいます。その時こそ、真にリーダーであるかどうかが問われるのだと思います。その責任を全うしなかったリーダーをきちんと批判することも、そのリーダーが伝えてしまったメッセージを無力化する為にはきちんとやらなければいけない
と私は思うのです。らふぃさんには個人批判としか思って頂けないようですが、これが私が批判をしなければならないと思っている理由です。(私は一般的に傲慢な政治家、居丈高な政治家への個人的な嫌悪感が否応も無くあるので、そこからのトーンが、らふぃさんにそう受け取られてしまう原因かとも思いますが、、・汗)

らふぃさんの最新のコメントによると、あの当時共和党には絶対勝ち目のない政治的成功をクリントンは収めていた、だからこその醜悪な陰謀だったということですが、そうであれば尚のこと、あのような対処で、民主党政治の続行の可能性をつぶしてしまった責任は大きいと思います。その陰謀にしてやられた事ー圧勝できた筈のゴアの敗北ーは、リーダーとしての対処の問題を厳しく問われても仕方のないことだと思います。

リーダーとしての倫理性をあのような形で政争の道具に使った共和党の卑劣さをどのように責めても、また同感しても、そもそもリーダーというのはそういう試練にさらされる存在であり、そういう陰謀に巻き込まれるような隙を見せるべきではなかったし、巻き込まれたとしても毅然とした対処が求められる存在だということです。

選挙運動中の夫婦揃った弁明をした立場からも。それを個人的云々と言って逃げることはあの弁明をしたときに許されなくなっていたという理解も必要だと思います。それが嫌なら、そもそもあの時点で個人的問題と突っぱねるべきだったのです。選挙戦術に有利になる時だけそうするような事はできないのです。そういう自覚を持つ事、それがリーダーが負うべき自分の発言への一貫性、生き方への倫理的責任でもあります。


共和党の陰謀、クリントンの業績の詳細、スキャンダルの信憑性、個人的問題への対処のご自身の信条にお触れになったらふぃさんには、私のその基本的立場がご理解頂けていないように思うのは、私の方の誤解でしょうか?私はらふぃさんが述べられたそれらのことには、この問題に関する限り関心が無いのです。全く別の次元で論じているからです。

私がこのことを論じるのにそれらに関心が無いからと言って、らふぃさんの書かれたことが意味が無いということは全くありません。私にとっても、他の読者の方々にとっても、よりアメリカの深い理解につながったと思いますし、貴重なお時間を割いて、あんなに丁寧に詳細に書いて下さったこと、とても感謝しています。そのことも誤解のありませんように。

私があの問題を例として長々と取り上げたのは以上のようなことで、らふぃさんの思われているような角度からではないことを分かって頂ければ幸いですが、これは基本的な立場の違いから来ているものでご理解頂けないものかもしれません。また、ひょっとしてリーダーの倫理性に求める厳しさの世代的、地域的、環境的、或は個人的違いというようなものもあるかも知れません。

いずれにしても、このような形でとことん冷静に語り合えたこと、とても感謝しています。お互いに相手の立場への理解をより深めて行くことで更に深い理解が得られればと思います。また立場は違い続けても、私の真意、共和党支持でなくても、個人批判に興味が無くても、リーダーであるが故に批判しなければいけないと思っている立場ーそれが正しいかどうかは別としてーがあり得るのだということだけでも理解して頂ければ幸甚です。

今回、らふぃさんとヘンリーさんのお蔭で、クリントンに関して私の対極にある方々の考え方、感じ方というものが凄くよく分かって視野が広がった感じがします。立場の違いに臆することなく、丁寧に詳しく対応して下さったお二方には、とてもとても感謝しています。これに懲りず、これからもよろしくお願いします。私がおかしな事を書いたらいつでも遠慮なく来て下さい♪あ、それはいつもの事か?(汗)


私がオバマを一貫して支持してきたのは、彼が家庭(=人間の生活の基本)を大事にする道徳を持っていること、正直さを大事にしていること、彼自身の言葉でよく言うようにアメリカ国民の受け止めを信頼していること、などからリーダーとしての資質に期待しているからですが、これからはリーダーのこういう責任も立派に果たしてくれることを切に祈っています。資質が本当に試されるのは彼が危機に追い込まれたときであることもよく承知していますが。

続けて、らふぃさんの初めのコメントにあった融合の問題を建国の精神、アメリカの見えざる国教について記事にしたいと思っていますが、よろしいでしょうか?やっとクリントンの問題からは離れられると思いますし、離れると約束します。信じて頂けないかも知れませんが、私自身、すごく離れたいのです(笑)。ご異議がなければ、次の記事に進ませて頂きます。

余談ですが、オサマ拘束の情報の真偽性にも以上のことからそんなに関心は持っていないのです。ならば何故引き継ぎがもっときちんとされなかったかとか、国民に知らせる義務をどこまで果たしたかという彼の説明責任に関する素朴な疑問はありますが、ここで述べた存在そのものが送るメッセージへの責任ということとは次元の違うことですし、時間は後ろに戻せないのですから、これ以上言っても仕方の無いことと思っています。オットは非常に拘っているのですけど(笑)。


この記事を読んで下さった方(こんな長いの読んでくれる人、居るのかな〜?)でヘンリーさんのTB記事を読み損なった方は、クリントンの評価に関しては私とは正反対の立場ですが、その内容は素晴らしいものです。是非お読みください。私が書きたい世界の融合のことにも関係してきますので。

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by bs2005 | 2008-11-12 07:29 | 異論・曲論  

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