2 日向章一郎氏の『ガラスの仮面』論 (抄)
2005年 06月 08日
(略)
ぼくは思う。なぜあの頃(注:1980年代)のぼくら(注、若者)は、ひたむきにならなかったのだろう?熱くなることを拒否してばかりいたんだろう?
いささか熱くなりすぎていたぼくらの前の世代の否定?それもあるかもしれない。だが、もっと単純な理由だ。
あの頃のぼくらは、傷つくのを恐れていただけなのだ。行動を起こす前に、期待や希望に裏切られることに怯えていた。
『ガラスの仮面』では、決して居丈高にではなく、「人は情熱なしには何も成しえない」ということを語っている。
そしてそれは間違いなく、普遍的な真実だ。
十年あまり前、ぼくが一番圧倒されたのは、この「情熱の大肯定」のパワーのすごさのせいだったのかもしれない。あの頃の風潮にとらわれて気付かないふりをしていただけだったのかもしれない。
美内氏は雑誌『クレア』(1992年9月号)で、次のように語っている。
「私は実か、実ならでっかい実になろう。見た目は華やかじゃないけど、食べたらすごくおいしくて、栄養にもなる。そんなでかい実になろう。」
ひたむきな人生を送っていた人がふと自信を失った時、たとえば「わたしはここにいていいのか?」などと思った時、美内氏のこ<実>ーこの『ガラスの仮面』を読むといい。ここにはいつでも、「情熱の大肯定」、ひいては「人生の大肯定」が表現されているはずだから。(『ガラスの仮面』4 解説より)
by bs2005 | 2005-06-08 08:09 | 忙中閑の果実