理解八分のお勧め

腹八分という言葉がある。なかなか私は実行出来ずに、腹十二分位までやっと引き下げられた所だ。(汗&笑)

元々、自分に甘く実行力がないので出来てはいないけれど、腹八分でたまたま終わったりすると(出された量が足りなかったりして、、・笑)、それがいかに健康に良いか正しい知恵かしみじみと感じる。私は理解というものも同様に考えた方がよいと思う。

人間は自分のことだって100%の理解なんかあり得ない。私の場合、半世紀以上生きてきて、やっと五割を超えたかどうか。超えていないかもしれない。自分が思うより、もっとどうしようもない人間かもしれない。逆にましかもしれない。(逆のケースは無いか?・笑)

一般的に言うと、一番自分を理解できている凡人で(思想家・哲学者等の専門家は除くという意味)精々80%という所だろうか。そんな人間同士が理解しようとするのだから、もっとも自分を分かっている同士だって80%×80%の64%だ。(まだ、この程度の計算は出来るみたい、、。・笑)

自分を理解してもらったと思う時の快感、嬉しさ、安堵感は何にも代えがたい。けれど、それはごく稀にしか起こらない。100%なんてことはあり得ない。そう感じたとしたら、それはどちらかの誤解に因る所が大きい。だから、その快感=満腹感をいつも求めてはいけないのだと思う。

人はそれぞれ生きてきた道も個性も何もかも違う。独特のものだ。自分が経験してもいないことを本当に理解することは至難の業だし、その経験をくぐって語っている人の言葉自体、どこまで理解出来るかというと、これもまた甚だ怪しい。

相手が理解してくれないからと、とことん相手に理解させようと気張るのは無駄な努力だし、お互いに傷を深めるだけだと思う。それ以上踏み込まないでも、何年も後になって同じ経験をすると、「ああ、あの時、あの人はこんな気持ちでこの言葉を使っていたのか」と突然理解したりする。100%とは勿論行かないまでも。

私などは両親とも既にあの世に逝ってしまい、その時の両親の年になって、あるいは両親が昔経験したのと同じ経験をして初めて、ああ、そうだったのかと臍を噛むような事が多い。

今、ここで相手に100%理解させよう、理解してもらおう、などと考えるのは辞めて、腹八分同様、相手が今わかってくれたレベルで、とりあえず満足しておくのが良いと思う。深追いは禁物だ。

分かる人は分かる。分からない人は分からない。あるいは分かろうとしない。絶対に分かりたくないと思っている人だっている。そんな人でも永遠に分からないとも限らない。逆に、こちらの方が分かっていなかっただけのこともある。(私と私の両親のように)

理解八分(理解の場合は80%の意味ではなく、8%の方と思っておいた方が良いかも?)、理解してくれなくて当たり前。誤解されて当たり前。いつかは分かってくれるかも知れないし、永遠に分かってくれないかも知れない。分かる気なんて最後までサラサラ無いかもしれない。神のみぞ知る。

そう思うようになってから、私は楽になった。誤解されたなと思っても、話して分かりそうな相手なら一応話すけれど、完全な理解は求めない。分かってもらえる所まで分かってもらえればそれでよい。話しても分かりそうもない頑固そうな相手(オットであることが多い・笑)は放っておく。時間が経てば分かってくれる日もあるかもしれない。

とことん理解してもらおう、などと思わなくなってから誤解して去られても、去る人は追わずと達観出来るようになった。オットの口から突然、私が前言っていたような意見が出てきたりもする。(笑)

とことん、自分の言い分を今の相手に分からせようと思うから、熱くなったり傷つくのだと思う。それだけ相手に愛情があるのだとも思うけれど、間違った愛情表現だと思う。試しに理解八分をお勧めする。私はお蔭で喧嘩が大分減ったし(完全に無くなった訳ではない・笑)、ストレスが激減した。世の中には、このストレスがたまらん!という人も居るから、万人向きではないかもしれないけれど、、、(笑)。
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by bs2005 | 2008-10-12 05:04 | 異論・曲論  

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