ぶん的幸福論

先日の「小さな」癒し 「大きな」癒し」と逆のこと言ってるじゃないかと言われそうだけど、「誤解を恐れずに」(笑)書いてみようと思う。

あの記事の心理主義のように、全ては気の持ちようと言うつもりはないけれど、結局のところ、自分を幸福に出来るのは自分しか居ないと思う。他人にも環境にもそんなに大きな力は無い。

他人や環境が幸せにしてくれる時間はあるかもしれないけれど、そういう時間はそんなに長く続かない。自分の外にあるものは、自分の内にあるものの力を本来的に持っていないからだ。

自分で自分をどう幸福にするか?それは自分を閉じ込めている殻を自覚し、その自覚によって殻から抜け出た時に生まれる力がもたらすものだと私は思っている。

自分の殻とは何か?

それは、自他に対して「こうでなければならない」「こうであるべき」「こう考えるべき」「こう感じるべき」というような考え方・感じ方ではないかと思う。自分で意識している考え方・感じ方はむしろ問題ではない。問題は自分が無自覚なまま、それが普遍的な真理と思っている場合だ。

無自覚なまま、自分の殻になってしまっている考え方・感じ方はどこから生じるのか?私は育った環境、特に親の考え方・感じ方からだと思う。親に反発して徹底的に反抗して育ったような人でも、この殻は存在する。逆に抵抗し反発した分、そんな筈は無いと思っているのでかえって無自覚の度合いは大きかったりする。

自他に対して、と言ったけれど、その場合、自分の方に重心があると完璧主義的になる。常に自分を裁き、自責的傾向を持つ。他人に重心があると常に人を裁き、他責的傾向を持つ。重心がまん中にあって、両方の傾向を持つ人もいる。

親に対して激しい反発であれ、逆に絶対の従順であれ、親との力関係がインパクトの強いものであった人に、特にその傾向が強くなる。

自他に対してこうあるべきとかこう感じるべきと思う時、自分や他人を裁く気持ちでいる時、どうしてそうあるべきなのか、どうしてそう感じるべきなのか、もう一度よく自問してみると良い。本当にそうであるべきなのか、と。

そうすると段々、そんな自分の殻に気づいて、そこから自由になれて行く気がする。そしてその殻から自由になった時、人は自分を幸せにする力(=周りも幸せにする力)が内から湧いてくるようになる。

究極の所、人間には「こうあるべき」とか「こうでなければ」などというものは、そんなに無いのだ。だから自分にそういう傾向があると思う人は、自分に対しても他人に対しても「何でもありなのだ」と思う努力をすれば良い。但し、既に「何でもあり」と思っている人は、ものには限度があると思うように、、、(笑)。
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by bs2005 | 2008-10-10 12:18 | 異論・曲論  

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