意見を変えます!

「裁判制度と裁判員制度」の記事の最初に、この問題は「人が人を裁くこととは厳密に区別して論じられるべき」だと書きましたが、私、意見を変えます!

記事でも書いたように、裁判員制度は、その導入のあり方に於いて、また日本の国民が人の運命を変えることにたえるだけの論議能力を獲得していないという意味において、つまり既に基本において破綻しているものなので、ニュース等で取り上げられる範囲以上の詳細を調べるまでもなく反対の立場でした。

ニュースなどで取り上げられるのも辞退がどう認められるか、負担がどれだけのものかという問題ばかりで、量刑まで裁判員が決めるのだと最近聞き、仰天したのですが、コメントを頂いて、有罪、無罪の判断も基本的には多数決、量刑も(死刑まで!)多数決で決められ得るものだと知りました。仰天を通り越して、凍りつく思いがしました。知れば知るほど、恐ろしいものですね。

どうして、こんな滅茶苦茶なものを考えることが出来たのか?考えるのみならず、実際に成立し、実行されようとしている、、、、何てひどい事なのでしょう、、、。何故、マスコミはこの根源的問題をもっと中心に取り上げようとしないのでしょう。怠慢であるというより犯罪的だと思います。

ここには、「人を裁く」ことに対する畏れも、謙虚な姿勢も慎重さも一切、見られません。この裁判員制度に関しては、「人を裁くことを一体何だと思っているんだ!」という批判の視点は中心に来るべきものなのだと今、分かりました。

記事の中でも書きましたが、私が区別するべきだと書いたのは、裁判制度を認め、裁判長が裁くということを容認している限り、自分が手を汚していないだけで、裁く社会の一員であり、したがって既に自分も裁いているのだという自覚が欠如していることに対する危惧でした。アメリカの陪審員制度は、国民にそのことを自覚させる意味もあるのではと思います。

アメリカの陪審員制度にも色々問題はありますが、日本の裁判員制度のような傲慢さ、非人間性には遥かに及びません。アメリカには基本にキリスト教的な宗教心があり、日本は仏教、神道の影響はありながらも基本的に無宗教の国だからでしょうか。

「人を裁く」ということに対する謙虚な畏れが全く欠如した日本の裁判員制度、そのことを抜きに論じられないのだとよく分かりました。ここまでひどいものだったとは!!

マーヒーさんを初め、この点に関して啓蒙してくださった方々、有難うございました!こうやって視野を広げられること、論議を深められることがブログの素晴らしさだと改めて思っています。感謝!

こんなひどいものは絶対に成立させてはなりませんね。佐平次さんは、つぶす運動(「裁判員制度はいらない 大運動」)の賛助会員になられたそうですが、一人でも多くの方が参加して、この裁判員制度をつぶさなくてはならないと思います。この運動に直接加わるかどうかは別としても、あらゆる場でこの問題は取り上げ、関心を喚起して行かないといけないと思います。

国民の無関心を利用して、ここまで悪どい制度をしゃーしゃーと通そうとする政府、相変わらず無関心な国民に憤りを禁じえません。他人事と思っている内に、無罪の誰かを軽率にも死刑にしてしまったり、自分がやってもいない事件で自分が、或いは自分の愛する人が、未熟で情緒的な論議の挙句、多数決で死刑にされる可能性を考えたら、他人事であるわけもないのに、、、。

皆さ~ん!
ノホホンとしている場合じゃありませんよ~!!

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by bs2005 | 2008-07-03 21:56 | 異論・曲論  

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