私が触れたテロ支援国家指定解除をめぐるアメリカのテレビ報道

テロ支援国家指定解除(以下「注:テロ指定解除」と省略)に関する日本の報道は、基本的に日米政府への抗議を基調としたものである。私にとっても、日米政府への怒り、拉致被害ご家族への深い同情は共有できるものだ。

ただ、マスコミには政府の批判だけでなく、自分達に何が出来たのか、何が至らなかったのか、もっと有効な報道姿勢はなかったのか、もっと真剣に自分達こそ反省してもらいたいという思いも強い。

そもそも政府のアプローチ自体が間違っているのに、政府はもっと強く言えだの、米大統領ともっと個人的対話をするべきだのと今だに言っているのは、愚かしいだけでなく無責任だと思う。姿勢が強いか弱いかと云う程度の問題では無い。政府にもマスコミにも、もっと冷静で具体的なアプローチは無かったのか検証する気がまるで見えない。

しかし、自らを検証する姿勢の無さに関してはアメリカの報道も似たようなものだ。今日は私が触れられた範囲、つまり狭い範囲に限られるけれど、今回のテロ指定解除のアメリカに於ける報道について触れたい。

ひとことで言えば、今回のテロ指定解除はアメリカのテレビ報道では朗報として受け止められている。意義あるステップ、大きなステップという評価が主流だ。落ちる一方だったブッシュ大統領の評判も、かなり挽回した感じだ。「これは大きなステップではない。ごく小さな、初めの一歩に過ぎない」と繰り返しているのが当のブッシュ大統領本人の方であることは皮肉でさえある。

拉致問題がアメリカの報道で大きく取り上げられたことは全く無い。議会での公聴の様子など日本ではニュースでよく取り上げられるけれど、あの画面をアメリカのテレビで見たことが無い。拉致問題の公聴会には日本のテレビ局しか入っていないのではと思う程だ。実際にそうかも知れない。

だから逆に今回の指定解除を巡る大統領声明会見で、ブッシュがそれについて触れたのは驚きだった。彼が個人的に、拉致被害家族への同情とその期待を裏切ったことへの良心の呵責を持っていることは信じて上げても良いかもしれない。

私をそれ以上に驚かせたのは、その会見の中で大統領が持ち出したにもかかわらず、その直後にそれを見ていたキャスター達が、一切それに触れなかったことだ。まるで何も言わなかったような反応だった。その後も、指定解除のニュースの報道の中で、拉致問題についてまともに取り上げられたことは全くない。少なくてもテレビの報道の中では黙殺されているに等しい。

アメリカの報道の基調は、やっと北朝鮮が動いたことに対する喜びである。ブッシュがイラクに対して行ったような方法ではなく、外交手段を根気強く用いて遂に動かしたことに対する喜びである。同じ態度をイランについても取ってもらいたいという期待である。現に指定解除のニュースについて触れた論議の半分は、今後はイランにどう接して今回のような成果を上げうるかということだった。

クリントン政権のときにも北朝鮮のあざとい裏切りにあっている。その記憶もまだ新しいし、今後の北朝鮮がどこまできちんとやって行くのか疑問に思っている人々も決して少なくはない。ウォールストリートジャーナルでは拉致問題を含めて、北朝鮮の核申告の中身に大きな疑義を表明しているようでもある。北朝鮮なんか信用できるかというタカ派だけでなく、ブッシュの評判が回復するのは不都合な民主党大統領候補オバマ氏も疑義を表明している。

それでも全体の流れとしては喜ばしい成功として受け止められている。クリントン政権のときには結局うまく行かなかったのに、今回ここまで「漕ぎつけた」のは、中国の役割が大きい、として中国を持ち上げる意見も多く聞いた。文化革命の頃にはとんでもない国だったけど、中国も成長してやっと国際社会=アメリカに貢献できるまともな国に育ったという感じだ。イラン問題ではロシアが中国のように貢献できるだろうかと問われていた。中国様々という感さえある。

ブッシュ大統領は「健気にも」会見で拉致問題を取り上げたのに、報道関係者にとっては、拉致問題はしょせん全くよその国の問題であり、アメリカ国民に向かっての放送で取り上げる価値の無いものとして扱われている。悲しいけれどそれが現実だ。

アメリカのお情けにすがって人情に訴えても、それがどんなに強い姿勢であっても、そういうアプローチは役に立たないと私が言い続けてきたのはこういうことだ。

人情に訴えるのには限界がある。ましてや、国は人情によってではなく、国益に従って動くものだから。大統領と個人的関係を深めれば何とかなると思うのは、国という非情な機関が浪花節によって動くことを期待する程、馬鹿げている。人情で訴えられる限界はきちんと見据えていなければならない。

今の段階で何が出来るか?


私は今までも言ってきたように、拉致問題が北朝鮮の姿勢が本物であるかどうかを見る重要な試金石であること、拉致問題の解決がその王道であることを明確に論理的に示すことだと思う。そして、北朝鮮は本当に今度こそやるのか、この核申告の中身は本当に信頼できるものなのかという疑問を持っている人々と国際的に連携して行くことだ。

拉致というある意味では個人的問題にすら頬かむりしてごまかそうとする政権が、核に対してきちんとした態度を取れるわけがない。ましてや今回、核を脅しに使ったお蔭で北朝鮮が得たものは計り知れなく大きい。それなのに本気で非核などするわけがないということを徹底的に分からせる必要がある。

拉致は何故起きたのか?何故帰さないのか?何故隠蔽しようとするのか?それはそのまま核をこっそりと作りあげ、出来上がったら強引に脅しに使い、そしてシリアなどに横流ししようとするのと同じ魂胆が根底にある。彼らが守ろうとしているものは拉致問題でも核問題でも同一のものだ。北朝鮮の脅威と立ち向かう戦略に於いて、拉致問題を前面に持ってくることは、戦術としての大きな国際的有効性を持っていた。そういう戦術としての普遍的位置づけが各国の協力を仰ぐには必要だった。

日本の専門家の話によると、あの爆破された寧辺核施設の冷却塔は、老朽化して既に使用に耐えられなくなっているものだという。そういうこともアメリカの報道では触れられていない。今回の輝かしい「成功」の象徴として、あの胡散臭い場面は何度も放送されているというのに、、。

日本の政府もマスコミも、人情に訴えるような感情的なアプローチのみを頼りにするのではなく、もっと冷静なアプローチが必要だ。人情に訴えるのは家族に任せておけばよい。政府やマスコミはそれ以上のことが出来なくてはならない。皮肉なことに、この問題を最もその本質に近い所で捉えていると思えるのは、その家族の横田早紀江さんだ。

彼女は「拉致の問題も核の問題も一緒だ。人間の問題なのだから。」と言われている。同じ根から出た問題として具体的・論理的に訴えてこなかった政府とマスコミの責任は実に大きい。拉致問題は付随的問題ではないのだ。拉致問題が解決されない限り、その根は伸びつづけて、北朝鮮は世界の脅威となり続けるのである。

根から絶やさない限り、切っても切ってもトカゲの尻尾のように新しく生えてくる。拉致問題を切っても同じことだ。クリントン政権の失敗は、その根を見なかったことにある。ブッシュ政権はその根が見えない振りをして、政権の終わりの格好つけの為のいいかげんな妥協を図っている。遠くない将来に破綻が見えているというのに。

拉致問題はその本質ゆえに日本にとってだけの問題ではないのである。極端に言えば、拉致された人々の中に日本人が一人も入っていなかったとしても、日本は、その解決なくして核の解決は無いと云う立場であるべきだった。そういう普遍的立脚点に立たなければ、真摯な国際的団結は得られない。日本だけの問題として切り捨てられてしまうのは最初から決まっていた道だったのだ。

遅きに失した感もあるけれど、北朝鮮は本気か、今こそ検証が必要という空気は韓国でもアメリカの一部でも強い。拉致問題は、核に比べれば一見小さい問題であるからこそ逆に相手を動かしやすく、そこに総力を集中し、とことん攻め上げることから、小さくても体制に穴をあけ、そこから全体への突破口にし得ること、それなしに真の検証はあり得ないことを伝えて行くべきだ。

言ってみれば、拉致問題というひさしを借りて、母屋を乗っ取るようなしたたかな武器としての有効性を訴えて行って、そこで初めて本気になるのがアメリカという国である。これは多分、どこの国も同じだろう。日本だって、これがよその国の話なら、、、。
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by bs2005 | 2008-06-28 23:37 | 異論・曲論  

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