伝えられた思いの力
2007年 12月 24日
その入院で私が覚えていることはたった一つ。あとは何も覚えていない。
お互いの手術を生き抜いた父母の半年ぶりの出会いの時、父は手術直後の体力の限界を超えて興奮していたのだろう。それで、私に癇癪を起こして言葉を荒げた。様子のよく分からない母や弟達の世話もしていたので、父に頼まれたことがすぐ出来なかったからだった。
ほんの一瞬遅れただけだったのだが、手術直後の病人を相手にキリキリしても仕方ないので、せっかくの喜びの再会の場なのにと、正直情けなかったけれど、ぐっとこらえて、その頼まれた仕事を片付けるために黙って病室を出た。
その翌朝だったろうか、義妹が私に言った。「あのとき、お姉さん、可哀想だったねって後で私達(彼ら夫婦)、言ってたのよ。お姉さんが一番気遣って今まで頑張ってきたのにね。慣れない私達への気配りで忙しかったのにねって」と。
病人の癇癪、それ自体は仕方のないこととあきらめていたことだから、もう何とも思っていなかったけれど、弟達が私をそうやって気遣っていてくれていたこと、ちゃんと見ていてくれたこと、それをそうやって伝えてくれたことが凄く嬉しく、本当に救われる思いがした。その労わられた嬉しさが何年経っても、心に刻み込まれている。
昨日の夕食の時、来月私もその病院に行くので、父のときの話になり、弟にその話をした。「あの時、すごく救われて嬉しかったのよ」と。弟は、父が私に癇癪を起こしたことも、彼女とそんな会話を交わしたことも全く覚えていなかった。言葉というものは良かれ悪しかれ、言った方よりも、言われた方に残るものなのだろう。
でも、彼もあの見舞いの時に、たった一つだけ覚えていることがあるという。
父の病室に上がっていくエレベーターに初めて乗っていた時、一緒に乗っていた見知らぬアメリカ人が弟達の赤ん坊を見て、"Beautiful!"と言ってくれたのがすごく嬉しかった。それだけを覚えているのだという。後は病院の様子も、その時会った父の様子も、他の何も覚えていないという。
それぞれの言葉が口に出して伝えられなかったら、何も起こりはしなかっただろうに、25年以上経っても、それぞれの心にまだしっかりと刻まれている。他の全てのことを忘れても。優しい言葉は出し惜しみしてはいけないな~と改めて思う。伝えられた優しさにはこんなに力があるのだから。
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by bs2005 | 2007-12-24 02:32 | 徒然の瞑想