同情の不在が引き合わない時代の到来?

アメリカに住みながら、サブプライム・ローンという言葉自体知らなかった私である。(汗)焦げ付きが問題になってから調べてみると、低所得者層の為のローンで、回収リスクがある部分、利息が高利だという。それを聞いて思った。低所得で普通のローンを受けられないでいる人々が、そもそも普通より高利のローンをどう払って行けるのだろうか?と。



この当たり前のことが当たり前に起きて、メリルリンチのような大証券会社まで経営危機に見舞われているという。経済学のエリート中のエリートが、どうしてこんな当たり前のことが分からなかったのだろうか?

分かっていなかったわけでは勿論ない。借りる低所得層の人々が払えなくなって窮地に陥ることなどどうでも良かった。自分達の元が取れて利益を確保できさえすれば。住宅の値段が右上がりに上がっていく限りは、それは保証されていたから構わなかった。彼らには、普通より高利の返済に苦しむ低所得の人々や、払えなくなって手放す所まで追い込まれる人々に対する同情が全く欠けていた。

彼らに分かっていなかったことは、人の痛みである。身近なところで言えば食べる人への同情のない偽装食品を売りつけたり、そこに住む人への同情のない偽装建材やら偽装耐震度などでものを売りつけたりした人々の破綻もある。

一方、ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行は、小額を低利息(ここの低利息という部分、間違えていたようです。思い込んでいました。高利息だそうで、ヒロさん、訂正有難うございます。)で貸し付けて、驚くような利益を上げている。貧しい人々への同情、共感から出発したからだ。

温暖化で自分の国をあきらめて行く人々、テロリストになる位しか生きていけない程の貧困、エイズを初めとした病気や飢えで死んで行く貧しい国の人々、そういう問題や相手の立場への同情から出発しない限り、もう先に行けないということ、自分たちさえ良ければという姿勢ではなく、相手も生かすこと、即ち共生を考えて行かないと先に行けないということを今、色々な問題は私達に教えようとしているのではないだろうか。
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by bs2005 | 2007-11-04 06:26 | 異論・曲論  

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