偽装問題

食の偽装問題で興味深い記事を見つけました。私自身も感じていた疑問でした。



この記事の中でも言われている言葉ですが、念のために断っておきますが、私も赤福を初め食に関わることで偽装した人々を、弁護も擁護もする気はありません。が、やはり今の日本における食のあり方はおかしいと感じています。食は人間の営みの基本に来る大事なものですが、その大事さの把握が歪んで来ているように感じます。偽装問題はその歪みと全く無縁のものと思えないのです。

日本に帰る度に、グルメ番組を初めとした食べることに関する番組や出版物の多さに驚かされます。沢山大事なことがあるのに、今の日本人は食べることにしか興味はないのかと。食べる番組は制作費が安くついて視聴率も稼げるからだとは聞かされましたが、、。

今の日本で見られる食への過剰な、ある場合には歪んだこだわりは、日本人が本当に豊かな食事は何かということを見失っている面もあるように思います。忘れられない味というのは、意外に贅沢でも珍味でもない、何ということもないものだったりします。

病気の時に母親が作ってくれた林檎を擦ったものだったり、友と泣きながら食べたお握りだったり、、、。そういう本当の意味での豊かな食から切り離されてしまっていることが、食への歪んだこだわりを生んでいるような気もするのです。

一方で、10年以上も偽装が横行し、偽装されたものに気づきもせず嬉々として食べていて、特に赤福を食べて食中毒が起きたとか、それで死人が出たという話も聞きません。グルメ料理がこんなにもてはやされているのに、本当に賞味できる人間がどれだけ居るのか。賞味できないから賞味期間が設けられているのかと思ったりします。

賞味期間の為に、大量の食品がまだ食べてもどうということのない段階で捨てられているとも聞きます。新しくないものは即捨てることを売りにしている店も少なくありません。それを奨励する傾向の一方で、どこまでも安さを求める傾向が食の安全を脅かしている場合もあります。表示された賞味期間や値段にばかり目が行ってしまって、消費者のあり方や責任の部分が曖昧になっていることも問題かと思います。

この記事の通りに、世界では食べられない人が沢山います。わずかの草を食べている人も、汚れた水を飲んでいる人も、水さえ飲めない人も、ゴミ箱を漁って食べている人も。そういう人々にとっては賞味などというのは、とてつもない贅沢な基準でしょう。

そういう世界から見ると今の日本の食への姿勢は、とても問題が大きいと思います。日本の中でも最近は餓死が起きているそうですが食料自給率の問題を含めて、食の問題はもっと世界的な観点と将来起きるかもしれない食糧危機を見据えた観点から考えて行く必要があるでしょう。

今の偽装問題は食に関わる人々の職業倫理意識の欠如の問題に留まらず、もっと深いところまでさかのぼって、日本の食のあり方を再考するところまで行かなければ、この問題は繰り返されるか、より巧妙な隠蔽に向かうだけだろうと思います。
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by bs2005 | 2007-10-25 01:09 | 異論・曲論  

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