裁判員制度

裁判員制度というのは平成16年に可決され、平成21年から実施されるらしい。
アメリカに居るせいか、これに関する論議は殆ど聞いてない。知らない。
初めてそれを聞いたとき、「え?冗談でしょう?日本でそんなこと出来るわけがない」と思っていた。でも、私の知る限り、大した混乱もなく成立してしまった。



考え方から言えば、お説ごもっともという感じで誰も正面切って反対できなかったのだろうか?そして、他のことと同じく、日本人は自分達に直接関わってくることに甚だしく無関心だ。それも手伝ってしまったのだろうか。自分にお鉢が回ってくることを真剣に考えていた人がどれだけ居るのだろうか?

全ては他人事と思っている日本人。21年からそのツケがやってくる。

これがいかに大変なことか。そして裁判員に狩り出されるのが、誰にでも起きてくることというのがどういうことなのか、これから身にしみて分るように否が応でもなる。簡単に断れると思ったら大間違いで、仕事があります、なんて言うのは基本的に理由にならない。日本のように社員が自由に長期の休みを取らないことを前提に歯車が回っているような社会で、そんなことが出来るのだろうか?

裁判に出るという物理的なことだけでも大変極まりないけど、判決を出すと言ったらもっと大変。何よりも大変なのは自分の頭で考えなければならない。人任せには出来ない。

裁判員制度の詳細は知らないのだけど、そして全く同じものではないらしいけど、こちらの陪審員制度の基本的ことで言うと、判決を出す最終的な論議の段階以前は、陪審員同士で、裁判に関することは一切話してはいけない。気楽なおしゃべり、感想もいけない。「あの被告、何だか嘘っぽいわね~」とか「性格悪そう」なんてことも勿論言えない。

家に帰って、家族にも同僚にもとにかく誰にも裁判のことは一切語ってはいけない。誰にも話さず、裁判の報道も見ず読まず、自分一人の頭で考えなければならない。裁判に関する限り、全くの孤立と孤独に堪えなければならない。個が確立していない社会でそんなことが出来るのだろうか。王様の耳はロバの耳と言いたくて気が狂いそうになったお話を実感で味わうだろう。ブログに書く、なんてことも勿論出来ない筈だ。

そんなこと、日本人に出来るのか?
「出来ないわ~、私には無理」な~んて言ってるアナタ、あなたにも確実にお呼びはかかるんです。真っ先にかもしれない。これは全然他人事じゃないんです。どんなにそう思いたくても。投票なら棄権できるけど、これは余程のことが無い限り逃げられない、、。

何でも人任せ、他人事、そういう文化には良い刺激にはなるだろうし、これで少しは日本の社会も変わるのかも知れない。でも、議論好き、裁判好きなアメリカ人が皆ふーふー言って、あらゆる口実で逃げようとして、逃げられずにひ~ひ~言っているお役目、それがもうすぐアナタのものになります。

せめて、政府広報のDVDで勉強始めた方が良いでしょうね。アメリカではこれに召還されて無視すると逮捕される場合があるという断り書きがついてきます。日本でもきちんとやらないと罰を食う恐れもあるかもしれませんから、、。

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by bs2005 | 2007-10-19 02:01 | 異論・曲論  

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