非難決議に思う

トルコ非難決議がアメリカの下院で決議されたという。20世紀初めの事件をわざわざ今、しかもアメリカ議会が決議する意味はどこにあるのだろうか?国連の場ならまだしも。



アメリカの善魔性の象徴のような態度に思える。そして、今出すことには政治的計算があるに決まっている。

よその国の問題を裁く権利が何故アメリカにあるのだろうか。慰安婦の決議にしてもそうだ。国連なら分かる。何故アメリカの議会で?自分たちの手は汚れていないのだろうか。居丈高に非難決議を連発する権利がどこにあるのだろう。

慰安婦決議のときに、意見広告をしたメンバーも全く視点がずれていると思う。第一に慰安婦問題を重箱の事実を提示することで避けようとしたことだけど、同時にアメリカにそんな決議をする資格があるのか、やるなら国連の場でやれといえばよかったのである。

そしてアメリカが単独の国としてそういう決議を出すのなら、日本も「原爆、枯れ草剤、劣化ウラン弾、クラスター弾等々の使用、国連無視のイラク侵攻、使える核の開発等々」の非難決議で応酬すると言ってやればよかったのだ。

勿論、アメリカはすごくブーイングをするだろう。しかし、アメリカの球場でも最もブーイングが烈しいのは、相手チームの最も強力な選手に対してである。ブーイングを受けることは、逆に言えばそれだけ敬意の表明でもある。正当な根拠があることには、ブーイングを恐れずに、堂々とした態度をとればよいのである。

アメリカはアメリカに楯ついた国を大事に扱ってきている。(ある一線を越えない限りは)。現に今給油継続に反対しそうな日本に今までより気を使っている。少なくとも北朝鮮のテロ支援国指定解除の密約を表向きにしない程度には、、。(はしゃぐ北朝鮮高官の姿や最近の金主席の「拉致者はいない」という強気の発言からもバレバレとはいえ。)

それぞれの国が非難決議を応酬しあうことには反対である。そういうことは国連の場でやればよい。十分に討議しあって、非難するべきことは非難する。謝罪するべきことは謝罪する。やめるべきことはやめる。そもそもそういう討議を通じて相互理解を深める為にこそ、国連はあるのではないか。

国連の代わりにアメリカがそれをする権利がどこにあるのだろうか。アメリカは国連を超えた存在だろうか。そう思っているから簡単に国連無視が出来たのだろうけど、、。アメリカはよその国の非難をしている暇があったら、本気で自分の国の問題に向き合うべきだ。そして日本は前述した非難決議を国連に提起することによって、そういう問題を国連で徹底的に論じるキッカケを作るべきだ。
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by bs2005 | 2007-10-12 00:53 | 異論・曲論  

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