9・11

明日は9・11の日だ。でも、記事は書かないつもりだった。9・11はその日、アメリカに居た私にとっては重過ぎる事件だった。あの日から数日間、私はテレビで流され続けた貿易センターの崩れ行く姿を、見続けた。何度見たことか、500回?1000回?そんなものでは効かないかもしれない。何度見ても流れる涙はちっとも止まらなかった。何故、こんな辛いシーンを自分が見続けているのか分らないまま、見続けた。



人は信じがたいことを受け入れるまでに72時間かかるのだという。それを現実として受け入れるためにはその72時間、何度も反芻しなければ受け入れられないものだそうで、その心理学の説に基づいて、どの局も同じ場面を流し続けたのだと後で知ったが、自分の経験からも正しい説だと思った。

今でも、あの日のことを思い出すだけで涙が出てくる。身体中から怒りと悲しさが湧き出る。あの日から何かが私の中で変わってしまった。あの事件が無かったら、今の「TON同盟」の記事も、「異論・曲論」の記事も私は書いていないだろう。能天気な記事だけ書いていただろう。政治好きのオバサンだから書いているのではない。あの日の涙が私に書かせている。笑われるかもしれないが、私は本気で世界の平和を祈っている。世界中の人が戦争もテロも無く笑顔で暮らせる日を真剣に祈っている。それに逆行するものに知らん顔をしていられない。

重すぎて書かないつもりでいた私が、今書いているのは、与党政治家達の「テロ特措法に賛成しないのは、9・11やテロの闘いを自分のものとして感じていないからだ」みたいな言い方に、心の底から怒りを感じるからだ。

9・11をアメリカで経験したからこそ、テロ(という罪)を憎む気持ちは誰にも負けない。テロを絶滅して行かなければならないという気持ちは誰にも負けない。だからこそ、テロを無くすどころか増やしているような今のアメリカのあり方、それに追随する日本のあり方をそのまま黙って見ていられない。

ニューヨークに15年在住していてNPOに参加している若い日本人女性が、遺族の集まりに参加して色々訊いたときに、今のアメリカ政府は9・11をプロパガンダに利用している。その事に腹立たしい思いをしている、遺族の気持ちは置き去りにされているという声がずいぶんあったと話していた。

テロ特措法に反対するのは、テロに対して無関心だからではない。そういうような決め付けには、身体が震えるような怒りを感じる。テロを憎む気持ち、あの日に亡くなった人々、遺族への悼みは誰にも負けない位ある。だからこそ、反対する立場がありうるのだ。

9・11をテロ特措法の延長のプロパガンダに利用することに強く抗議したい。本当に真剣にテロを地球上から無くすこと、平和な地球を作り出すことを日本の政治家がどれだけ本気で考えているのか。人の悲しみ、痛みを利用することが許されてよい筈がない。少なくとも私は日本のどの政治家にも負けずにテロを現実の問題として感じ、解決しなければならないと考えている自信がある。だからこそ、日本の政治家の今のありかたが許せない。もっと真剣に現実的に具体的に考えて欲しい。それが本当に有効か、本当にテロを無くす道か、地球を平和にする道かどうかを。
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by bs2005 | 2007-09-11 12:38 | 異論・曲論  

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