種の蒔き方・刈り方
2007年 08月 30日
軍事力によってはテロが解決できないこと、むしろ悪化するものであること、また大国が関与すればするほど泥沼に陥ることがよく分ります。圧巻なのはそこで語られた下記の部分です。テロが結局は大国のご都合主義が蒔いた種であること、種を蒔いたのと同じやり方では刈り取れない、蒔き続けるだけであることが哀しいまでに分ります。
本文を読めば、パキスタンもそれを生み出すのに大いに「貢献」したことがよく分ります。アメリカやパキスタンとは、はっきり違う形での関わりが出来るかどうかに、今後のテロのない世界作りはかかっていると思います。また、パキスタンの勢力争い、特に民主主義を求める流れの中で現政権べったりの給油活動にも疑問を持ってしまいます。引用だけでは分りにくいと思うので上記のサイトで全文を読まれること、お勧めします。
今から30年ほど前、当時のソビエトが隣のアフガニスタンに軍事介入し、
泥沼のアフガン戦争が10年間続いた。
アフガニスタンはアメリカとソビエトが間接的にぶつかり合う
米ソの代理戦争の舞台となり、隣のパキスタンはソビエト軍を相手に戦う
“ムジャヒディン”=イスラム・ゲリラの後方基地になった。
私は当時(1980年代)にはジャーナリストとして
アフガニスタンとパキスタンの国境地帯を何度も訪れました。
パキスタン側の国境の町ペシャワール周辺には10以上に分かれた
ゲリラ各派の連絡事務所が置かれ、300万人の難民がひしめいていた。
アメリカはこれらのイスラム・ゲリラにパキスタン経由で大量の武器や資金、
兵士を送り込みました。
この頃、アメリカの情報機関CIAはサウジアラビア人オサマ・ビン・ラディンを協力者にし、
異教徒を殺すために命を投げ出す筋金入りのイスラム戦士を各国から集め、
アフガニスタンに送り込みました。
これが今日の国際テロ組織アルカイダの出発点であり、
イスラム過激派の核になったのです。
アメリカは自ら蒔いた種を今、テロとの戦いで刈る羽目になった。
また、アフガニスタンでは今もタリバンと呼ばれるイスラム原理主義の武装勢力が
約4万のアメリカ軍やNATO軍を相手にゲリラ戦を戦っている。
彼らは元々はアフガニスタンからパキスタンに逃れた難民の若者たちだ。
彼らはパキスタンのイスラム神学校で過激な原理主義を学び、
パキスタン政府の情報機関によって武器を与えられ、アフガニスタンに送り返されたのだ。
by bs2005 | 2007-08-30 09:32 | 忙中閑の果実