明日の形

どの国の普通の人も、家族と和やかに平和に暮らすことを望んでいる。自分達の住む地球全体がそうであることを望んでいる。ごく一握りの好戦的頭のおかしい人を除いては、、。



つまり世界中の普通の人は、どの国も交戦していない交戦権を放棄した状態を望んでいる。その意味では、憲法九条は人類共通の願い、未来への願いを体現したモデルケースとしての意味を持っている。人類のあるべき姿を提示するものとしての意味を、、。

国際貢献を他国の軍と一緒に闘うことによって果たそうという考え、他国軍と一緒のときに、自分達だけ交戦できないのは恥ずかしいとか、九条が足かせだとかいう考えは、そもそも、その前提が間違っている。

多くの国の人々が持ちたくても持ち得ていないそのモデルケースを持った私たちは、そういう特別な国としての全く違う国際貢献の道を指し示すべきだ。武器を手にしない様々の具体的形での国際貢献を指し示すべきだ。そうやって人類が行くべき方向を指し示し続けるべきだ。全ての国が同じことをする意味がどこにあろうか。特別な国が他の国と同じことをする意味がどこにあろうか。

唯一の被爆国として人類の終りの形を知ってしまった私たちは、その形と憲法九条が示す形と、どちらを選ぶのかを世界に問い続けて行かなければならない。どちらの意味でも私たちはアメリカの先を行ってしまった国なのだ。アメリカの尻馬に乗る必要がどこにあろうか。

私たちの国には私たちの国でしか出来ない国際貢献の形がある。明日の憲法を持った私たちは、あるべき明日の形を常に指し示し続けなければならない。そしてその人類共通の祈りをこめた明日の形であり続けることが、唯一の現実的日本を守る道である。
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by bs2005 | 2007-08-21 00:46 | TON同盟  

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