ただのオバさんは反論する(完)ー本質は何か

ただのオバサンは反論するー初めに
ただのオバサンは反論する(2)-資料の持つ限界

安倍さんや意見広告は、軍や政府の関与を躍起になって否定している。あたかも、それが否定出来れば、日本は従軍慰安婦の問題には関わりがないと言えるかのように。何と本質を見失った視点だろうか。一番肝心なこと、一番大きいことを見ようとしていない。それは何か?



そもそも、慰安婦達が強制であれ、自主的であれ、政府や軍主導であれ、民間が勝手にやったことであれ、日本兵の相手をしていたのは何故か?戦争ではそういうのはつきものと意見広告は言わんばかりだけれど、そういう戦争につきものの存在がアジアのあちこちにあったのは何故か?そういうものが平気で横行する暮らしがその国にあったのは何故か?

答は簡単である。

日本軍がそこに侵略していたからだ。ひとの国に入り込んで、我が物顔に存在していたからだ。勿論、全ての兵や指揮官が非人道的であったわけではないだろう。地元に今でも愛慕されている人々も居ると聞く。しかし、そういう存在があるからと言って、日本がアジアに侵略したという事実そのものが否定されるわけではない。戦争につきものの状況がそこにあったのは、彼ら自身の選択によるものではない。よその国の軍国主義に巻き込まれた被害者である。その本質に目を塞いで、細部を争って何の意味があるのだろうか?

日本軍がそこに居たのは何故か。誰も知らないうちに勝手に大挙して行ったとでもいうのだろうか。そこに送り込まれた多くの兵隊だって望んで行った人は少ない。愛する人々と別れて明日をも知れぬ戦地に大勢の人々が行かなければならなかったのは何故か?そもそも始めたこと自体が間違いだった戦争、とっくの昔に終止符を打つべきだった戦争を始めて、あそこまで引きずった責任は誰のものか?アジアの人々をその狂気に巻き込んだ責任は誰のものか?

従軍慰安婦は日本が侵略した問題の一つの象徴である。他にも、その国の農民が汗水垂らして開墾した農地を奪い取ったり、強制労働に付かせたり、様々な多数の問題が明らかになっている。枝葉末節な資料の山の中で、一番肝心なことを見過ごしてはならない。

侵略したからこそ起きた問題である。先の戦争への深い反省と謝罪の気持ちがあれば、それは当然見えることである。ああいう意見広告を出した人々にはそれが見えていない。それこそが、今回多くの人々の逆鱗に触れ、議会では圧倒的可決を見るという結果をもたらしたのだ。

戦勝国アメリカが正義の軍隊でなかったこと、原爆という最も卑劣な市民爆撃を行ったこと、列強が日本を戦争に追い込んだこと等々、日本を弁護しようとすればいくらでも出来るかもしれない。しかし、相手の非を挙げ立てることが、自分達の非を否定することにはそもそもならない。

日本が自分勝手な理屈をつけてアジアの国に侵略したこと、そのことによって沢山の傷を残したことを率直に謙虚に認め、謝罪の気持ちを持つことだけが、国際社会に真の意味で受け入れられる道であり、平和な国際関係を築いていく道である。そちらを選んだドイツと日本は何とかけ離れた道を歩んで来たことか。

fact 5は、人道主義の立場からも最も許しがたい。お金を沢山もらったから良いじゃないかとでも言うのだろうか?札束で頬をはたかれ、足をすくわれた人々の追い込まれていた現実には目を向けようともしないこの態度、何という傲慢だろうか。

5分の2は日本女性だという。それはとりもなおさず、過半数の1万2千人ものよその国の女性が、日本兵の相手をしていたという事実を伝えている。更に言うならば、日本人女性だったら従軍慰安婦は許されるのだろうか?日本人か外国人かということがそもそも何で問題になりうるのだろうか。

女性がそういう形で人間としての尊厳を奪われていたことへの人道的怒りは、国籍とは無縁の筈だ。その時代、女性はたとえお金の為であれ、余程追い込まれなければ、好きでもない見知らぬ男に身を投げ出すような仕事は選ばない。今のブランド品欲しさに援助交際に走る女の子達の時代とは違うのだ。

敗戦後の日本でも、生きていく術を持たずにいわゆるパンパンに身をやつした日本女性は沢山居ると言う。そういうところに追い込まれた人々の痛み、追い込んだ現実を戦争にはつきものだと平然と切り捨てるこの神経、鈍感さは度し難い。そういう非人道的なものが平気で許されてしまうからこそ、戦争は否定されるべき筈なのに、、。

敗戦当時の日本で、米軍兵に絡みついている女性達を見ながら、自分の国の女性達が陵辱を受けていると唇をかみしめた人々は沢山いるという。朝鮮の人々も同じ思いだったろう。自分達の痛みから考えれば、相手の国の人の痛みも分かる筈だ。相手の置かれた状況への想像力がないから、そもそも痛みも見えない、思いやりもない。こういう人々が「美しい日本」を標榜するのは、ただただ恥ずかしい。

こういうものを得意げに出す人々が政治家、有識者の中にこんなに居るという日本の恥を晒したあの意見広告に、私は怒りを抑えることが出来ない。それが日本人の多数意見ではないこと、新たな反日運動への弾みにならないことを祈るばかりだ。

歴史的資料、学問的資料、そういうものに埋没していると生の現実、生の人間の痛みを見失うことが往々にしてある。政治的立場、主義に拘るときもそうだ。

幸いにして、特別の学問も政治的主義もないただのオバサンである私は、そういうものに振り回されずに、人間の痛みへの共感のみを出発点に出来る。それがただのオバサンの普遍性であり、強みなのだという誇りを持って、私はこの意見広告の人々とはっきり袂を分かつ道を歩んで行くことを自分自身に誓いたい。彼らに誓うのではない。彼らは誓うに値しない人々である。
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by bs2005 | 2007-07-05 06:54 | TON同盟  

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