ただのオバサンは反論する(2)ー資料の持つ限界

歴史の真実と歴史の資料との関係は、象と群盲の関係に似ている。群盲が触って記録に残したものが資料である。その資料の全てを足しても、象の全体にはならない。資料というものは、ある時、ある場所で何が起きたかということを伝える意味はある。しかし、資料を作る人間の主観も入るし、人間の記憶というのはあいまいなものだ。同じことを目撃しても、証言は目撃者の数ほどある場合もある。どのように正確を期しても、それが100%の真実とはなり得ない。さらに一部の資料が全体にあてはまるとは限らない。AがBであるといくら証拠だてても、A以外の全てもBであることにはならない。



逆に、全ての起きたことに資料が得られるわけではない。従って証拠資料がないからと言って、それが起きなかったという証明にはならない。終戦時、降伏から占領が実際に起きるまでの間に、日本軍は証拠書類の徹底的隠滅を図ったと言われている。それが真実かどうかは知らない。けれども、自分達の都合の悪いものの隠滅によって延命を図るのは人間の自然だし、当時の軍の体質から言っても充分あり得る話で、少しも荒唐無稽ではない。そもそも人は何か後ろ暗いことをする時は、極力、証拠を残さないようにするものでもある。確信犯であれば尚更だ。どちらにしても、証拠が無いと居丈高に言うのは、犯罪者に多い言い分で見苦しいだけだ。

Fact 1,Fact 2で持ち出した事実が、伝えている事は、ある場所、ある時に、誰がやったのであれ、強制的に女性を連行し売春させる輩が居て、それを禁止したり、摘発する動きがあったという事だけである。摘発されたものが全体のどれ位だったか、そういう動きがどれだけ徹底していたかまでは分からない。禁止や摘発が存在したということが確かに言えることは、その時、そういう目に遭っていた女性達が現に存在したということである。存在しないものを禁止する意味はないし、無いものを摘発したり出来ないのだから。そして禁止令や摘発が多ければ多い程、そういう現実はそれ以上に多かったのだということになる。

Fact 3では議会で証言した女性達の発言に一貫性がない。信憑性がないということが言われている。たとえそうだとしても、あそこで発言した女性が慰安婦全体のどれだけの部分を代表しているか分からない。かつてドキュメンタリーで見た女性の証言は実に生々しく整合性も説得力もあった。一部の女性の発言がそうであるからと言って全体を否定する論理は成立しない。

Fact 4では、オランダ女性の例を挙げ、そういう規律の乱れも軍の一部にあったと渋々認めているけれど、明るみに出なかったものがどれだけ他にあるかは不明だ。たまたま、あれだけが明るみに出たのかもしれない。あれだけだったと言いきれる論拠は無い。この資料によってはっきり分かるのは、軍によって強制的に連れ出され、売春を強制された女性達のケースが、現にここにあるということだ。

Fact 5では優遇されて高給を得ていた慰安婦の存在を挙げている。そういう慰安婦が確かに居たとしても、全てがそうだという証拠にならない。現に中谷さんは、悲惨な慰安婦の状況を目撃している。厚遇された慰安婦も居たという事が、悲惨な状況に置かれた慰安婦の存在を否定することにはならない。


当然の結果として逆効果になったことから言っても、この意見広告が説得力を持っていなかったことは明白である。しかし、この意見広告は単に説得力を持たない以上の非常に有害なものを含んでいる。次回はそれについて述べたい。
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by bs2005 | 2007-07-04 04:51 | TON同盟  

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