ただのオバサンは反論するー初めに

今更言うまでもありませんが、私は史実を緻密に検討したり論じる学問的バックグラウンドも、能力も持っていません。あくまでただのオバサンという立場からの反論です。ただ、私はこの「ただのオバサン」という立場に、命を守り慈しむ普遍的存在としてのプライドも持っています。



ただのオバサンというのは、たとえ生まれてから日本を一歩も出ないとしても、世界のオバサンと共感し、平和を築くために共闘しうる国際性を既に内包していると思うのです。その立場から、ワシントンポストに掲載された意見広告への反論を試みたいと思います。

意見広告に直接触れる前に、もう少し、この国際性というものについて触れたいと思います。国際感覚というものは、この国際性に支えられます。語学が出来るとか、外国で住んだということによって直ちに獲得できるものではありません。

このことは、この意見広告を主導したと思われる櫻井良子さんがハワイの大学を卒業したにもかかわらず、あるいは署名こそしていませんが、基本的に同じ立場である安部さんがアメリカの大学で勉強した経験を持つにもかかわらず、その国際感覚の欠如を見事に暴露してしまったいることからも明らかだと思います。

それでは国際感覚とは何か?それは同じ人間として相手を受け入れ、大事に思い、同じ人間としての普遍的立場に立つということです。従って、その基本にはヒューマニズムが存在しますし、お互いの生を大事にするという意味で、戦争を否定し、平和を希求する強い意志を必要とします。

この意見広告の最も恥ずべき点は、戦争を否定する基本的立場に立脚していないこと、先の日本のアジアへの侵略への反省がないこと、及び人道主義にも立脚していないことです。それによって不可避的に国際感覚が完全に欠如してしまっています。その結果、相手を説得するどころか、逆の結果を生み出すということも見通せない現実感覚の無さともなって現れてしまっているのです。

あるのは、「史実」の恣意的な選択による自己正当化と形式論だけです。そして情けないことに、その恣意的に選び通した彼らの「史実」によって、慰安婦問題を逆に証明してしまっています。

そのことに気づいてもいない鈍感さは正に度し難いものがあります。本質ではなく枝葉に拘るとき、人はこんなに盲目になるのかということをも示しているように思います。この意見広告自体が、彼らが批判する「何かを信じ込みたい立場から引き寄せた誤謬や歪曲に基づく」ものになってしまっているのです。

いわゆる「史実」の列挙によって説得力を獲得できると思う彼らの浅はかさは何処から来るのでしょうか?「学者バカ」「専門バカ」ということでしょうか。次回以降、意見広告の細部に触れて行きたいと思います。
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by bs2005 | 2007-07-03 13:57 | TON同盟  

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