艱難、汝を破壊する?
2006年 12月 17日
以前ご紹介した犬の矯正の番組に出てくるシーザーという人が実に魅力があり、きらきらと輝く瞳、自信に輝くオーラを持ったすごく素敵な人なんです。
最初は犬の変わっていく見事さ、面白さに惹かれて見ていましたが、今はシーザーという人の魅力にぞっこん参って見ています。最近、日本の番組で、やはり犬を矯正するトレーナーを何人か見ましたが、犬の扱いも、格も全然違っていて、比べ物になりませんでした。
それはともかく、ずっと見続けて気になったのは、そこで取り上げられる犬の殆どが、シェルターと言って、捨てられた犬の保護施設から救われた犬達なのです。引き取ってきたときは、とても可愛く従順だったのに、問題犬になってしまった。家族の一員だから見放したくないと相談して来ます。
基本的には飼い主の育て方、接し方の問題なのですが、それでも、可愛かったので目に入らなかったけれど問題の芽は引き取ったときに既にあったというのも結構あります。
捨てられる体験、或いは犬を捨てるような飼い主は虐待している場合もあり、そういうのが傷になっている部分もあるのだろうなぁと思い、以前からそう感じてはいたのですが、改めてタイトルのようなことを感じてしまいました。
頑張ることは立派なことですが、それぞれの器もあります。自分の器を超えそうだと思ったら、助けを求めたり、必要によっては愚痴をこぼしたり、我儘になったり、あらゆる方法を講じて、無理をしないこと、限度を超えてまで頑張り過ぎないこと、自分を苛め過ぎないことは人生ではすごく大事なことだと思います。
幸い、何とかその器を超えるほどの苦労にはあっていませんが、私の器は非常に小さいので、限界に来たら大騒ぎすると思うので、私の周りにおられる方々は、今の内に覚悟していてください(汗)。助けられそうもなかったら、ひどい目に遭う前に一目散に逃げてください。(笑)
by bs2005 | 2006-12-17 03:28 | 徒然の瞑想