寄ってたかって

自分も日本人なので、そのDNAはしっかりと持ち、えらそうなことは言えないのだけど、つくづく思うのは、日本人てすぐ寄ってたかるなぁってことだ。



寄ってたかって褒める、寄ってたかってけなす。同じ人間を寄ってたかって褒めていたかと思うと、ころりと手のひら返して、寄ってたかってけなす。子供が寄ってたかって苛めたって、えらそうなことは言えない。大人が皆そうなんだもの。

マスコミはそれに火をつけ、煽る。それに乗らないようにしなければならない。ブログでまで、それに乗ってしまってはブログの意味が無い。マスコミの提灯持ちでは意味が無い。

皆と同じようなことを言っているときは、だから気をつけた方が良い。言いそうになったら気をつけた方が良い。誰かを褒めることが、裏返しで誰かをけなしているのでなければ褒めるのは良いかもしれないけど、それでも気をつけた方が良い。自分は寄ってたかりに加担していないかと。

人の寄ってたかりには気づき易いけれど、自分の寄ってたかりには気付きにくい。「善魔」は寄ってたかる。

誰かがとことんけなされていたら、どうしてその人はそんなことをしてしまったのか。どうしてその人はそういう具合にしか生きられなかったのか、その人をそうしてしまったのは何か、その背景にあるものは何か。何故こうなってしまったのか。どのようにそうなってしまったのか。

考えるべきことはwhy とhowであるべきだ。それだけであるべきだ。そこまで踏み込んでいない批判は、ただの寄ってたかりに加担しているだけだ。苛める子供にえらそうなことは言えない。人をけなすだけなら誰でも出来る。子供だって出来る。

皆がけなしているときに、その人の良いところを探してあげるとか、どうやってもそれが見つからなかったら、物や無意味なものに踊らされるようになってしまったその人の哀しい背景を「どうしてそうなってしまったんだろう」と見てあげる、そういう目を失わないようにする。

そういう態度、ものの見方を大人がもっと見せていくことが、遠回りでも、苛めを無くして行くために個々の大人が子供たちにして上げられることの一つだろう。
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by bs2005 | 2006-12-16 01:43 | 異論・曲論  

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