ドーハのアジア大会に寄せて

アラビア圏で初めてのアジア大会カタールのドーハで開かれている。開会式の様子をニュースで見て、その豪華さに驚いた。これだけのことが出来るのはかなり豊かな国なんだろうと興味もそそられた。秋田県より狭いと知って二度驚いた。



アラビア圏のことが日本で伝えられる機会は少ない。イスラム教の本当の考え方も。そもそもジハード(聖戦)という言葉は、武器を持って戦うああいうテロのような戦いを意味していなくて、自分の内なる邪悪な心との戦いを意味するのだと比較的最近知った。

もう十年以上前になるが、イスラム教の考え方について書いてあるイスラム圏に留学していた人の本を読んで、イスラム教が教える心の大きさに驚いた。イスラム教というと、過激派のテロのことばかり伝えられるが、随分歪められたイメージがあると思う。

そういうイメージを破っていくためにも、こういう大会はすごく意味があると思う。イラクからの出場もそうだが、世界で殆ど国として認められていないパレスチナも国家として参加していて、とても意義が深い大会になった。

実際の相手の姿を知らず、敵意ばかりをふくらませるのではなく、人種・文化・宗教は違っても、皆、誰かのかけがえのない子供として生まれた命であることを、お互いの武器を持たない素顔の姿を見ることを通じて、確認しあえる機会がもっと増えていければと思う。

パレスチナの選手は宿舎で、国に残してきた家族が大丈夫かとテレビのニュースを真剣な目で見ていた。子供を身ごもったばかりの妻や幼い子供を危険な状態に残して参加することに迷いがあったが、自分の走りを通じてパレスチナの心を伝えて行きたいという彼の願いを知る妻の,
強い勧めで来たのだという。「自分の状況を受け入れる所からしか、何も始まらない。」という彼の言葉が印象的だった。

イラクの人も、パレスチナの人も、イスラエルの人も、皆、家族の一員として生まれ、家族にとってかけがえのない存在であること、地球の人、一人一人がそういう存在であることを忘れず、世界の痛みを自分の痛みとして共有してやって行きたいものだ。

殆ど知らない国だったカタール、検索で調べた上のページでその現実的全方位外交に強い印象を受けた。こういう大会を率先して引き受けるのもその方針上にあることのようだ。

日本は大国ではなくても現実感覚のあるこういう国ともっと関係を密にして行けば、同じような中立的な立場から、国際関係の問題を協力しあって良い方向に持って行けるのではないか、そういう大国でない国の力を沢山結集していけば、大きい成果に繋がるのではないか、そんな可能性を感じた。

戦争放棄を無謀と言う人がいる。理想論だと。核武装や戦争の方が無謀なのだ。日本に利することは何もない。軍備のこれ以上の強化で日本が守れるとか、世界の平和が守れると思う方が理想論だ。

戦争の道を拒否することは臆病ではない。戦争を放棄することは戦争することの何倍もの勇気を必要とする。日本に必要なのは戦争を拒む勇気だ。核武装や軍備強化に逃げようとする方が、非現実的な臆病者なのだ。武力ではなく、こういう国の多くとより強い関係を築き、地道に一歩一歩前に進んで行くより他に、くどいようだが日本の生き延びる道も世界の平和もない。
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by bs2005 | 2006-12-11 07:34 | TON同盟  

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