夢で会える日までの遠い道のり
2006年 12月 01日
その一環として生活ほっとモーニング(日本で11月29日放送分)で「藍の会」というのを紹介していた。自殺した子供を持つ田中幸子さんという女性が、同じ苦しみを分かち合える場をということで作られた会だという。(彼女は自殺という言葉は使わない。「自死」という言葉を使っているが、この記事では一般に使われる言葉の方を使わせてもらっている。)
田中さんは思いつく限りの色々な人・公共機関・組織に、そういうものを立ち上げたいのだが助けて欲しいと手紙を書いたのだそうだ。しかし、ただの一人も返事をくれなかった。ある住職さんを除いて。
その住職さんは沢山の自殺者の葬式に関わって来て、親の苦しみ・悲しみをつぶさに見てきた立場から応援の手紙を送った。田中さんは、たった一人でも見てくれる人が居るというのがすごく嬉しく、そこから立ち上げる力が湧いたのだという。
立ち上げる過程で専門家の忠告もあり、会のルールは「その会で話されたことは絶対外に漏らさない」「いかなる感想も口にしない。黙って聴くだけに徹する。」というものだった。
ある人はその会に参加して、それまで「何故子供を自殺から守れなかったのか、代われるものなら自分の命を奪って欲しい」という自責ばかりの中で、自分の心が壊れていたのだとやっと分り、それでやっと涙が出てきたと語った。
また別のある女性、悲しく苦しくてたまらないのに涙が出ない、夜もぐっすりとよく眠れる自分を許せなかった。その会に出て、回りの人に自分の苦しみを話すうちに、自然に涙が出てきた。そして「わかる」という言葉はひとことも出てこなくても、回りの人の表情から自分の気持ちを痛いほど分ってもらっていると感じて、とても救われたのだという。
そしてその晩、彼女に嬉しいことがあった。亡くなってから(確か三年以上経っていたといわれていたと思う)一度も夢に出てこなかった息子さんが初めて夢に現れ、息子さんも彼女もすごく穏やかに、ゆっくりと話しながら散歩する夢を見たのだという。その穏やかさがとてもとても嬉しかったという。
娘の友達のお母さんで、その娘さんを脳腫瘍で7歳という幼さで亡くした人がいる。私が英語を教えていた子でもあったので、一周忌が過ぎた頃、娘と一緒にお線香を上げさせてもらいに行った。娘を忘れずにいてこうして来てくれるのは嬉しいと温かく迎えてくれた彼女と、そのとき久しぶりにゆっくり話した。
そのとき、彼女も全く同じことを言った。「夢で位、会いたいのに、全然出てきてくれないの。ただの一度も、、」と淋しい笑顔で。
葬式のとき、彼女は少しも取り乱すことなく気丈に笑顔さえ浮かべていた。でも、そのとき、彼女は子供が亡くなったということが少しも実感にならなかったのだという。だから悲しく感じることさえなかったと語った。
子供が亡くなるというのはそれほど悲しいことなのだろう。とても事実として受け入れられない、身体中の感覚がそれを拒んでしまう。そして心が死んでしまったような状態になるのだろう。だから涙も出てこないし、夢に現れることさえ無いのだろう。子供を亡くす悲しみはそんなに深いものなのだということを、改めて痛感した。
自殺を思う所まで追い詰められた子供達に、そんな余裕を望むのは酷なのかもしれないが、子供を亡くすということは親にとってそれ程辛いことなのだということを考えて、もう一度思いなおして欲しい。どうかどうか思いとどまって欲しい。
by bs2005 | 2006-12-01 05:01 | 徒然の瞑想