ありのままの他人を受け入れる

ありのままの自分を受け入れることの大事さはよく言われる。言うほど簡単なことでないが、、。これと同じ位難しく、大事なことが「ありのままの他人を受け入れる」ということだろう。この二つは関係している。

前者が出来ていれば、後者も出来やすい。しかし、一般に信じられているように先ず前者から達成されるものではないのではないか。自分は見えにくい。他人は見える。まず見えるものから受け入れていくことによって自分を受け入れる態度を学べるのではないだろうか。





よく子供の世界では、「うざったいから」という理由で苛められる子供が居る。苛められるのは性格が悪いからだ、仕方ないとさえ言う子供も居る。

大人は子供より狡猾な分、そういうことをはっきり言う人は少ないけど、同じ態度は見られる。本人にも問題があったのよ、とか。ああいう人だから、向こうがこうこうだから、、云々。こういう大人の態度を見ているから、子供は相手をこういう裁き方をするのだろう。

ありのままの他人を受け入れる、そういう気持ちを持つことが、今ほど求められている時代はないのかもしれない。個人だけでなく、民族、他信仰の信者、国、等々。

ありのままの自分を受け入れるのは、自分がそもそも殆ど見えていない年頃の子供にとっては難しいことだ。でも、他人は見える。その見える他人をありのまま受け入れる、そういう態度を身につけることが将来自分をありのままに受け入れることへとつながって行くのではないか。

苛めの解決も、苛めてはいけないという方向からではなく、ありのままの相手を受け入れ、認めるという気持ちを育てて行くことから始まるだろうし、相手を否定したり変えようとする気持ちを捨てて、ありのままの他人を受け入れる気持ちを先ず持たせて上げるのは、親が子供に贈る大事な人生の宝になると思う。
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by bs2005 | 2006-10-27 23:30 | 異論・曲論  

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