報道がさらしてしまうもの

ラジオの交通ニュースで、人身事故があって渋滞何キロという放送がある。人の命が失われても渋滞のことしか関心がない感じがどうも好きではなかったけど、そもそも交通ニュースなのだから、それは仕方ないとあきらめていた。しかし、、、



昨日、新幹線(だったと思う)が人身事故の為に遅れたというニュースをNHKのニュースでやっていた。はっきりとそうは言わなかったけれど、自殺の事故だろうとは想像できるものだった。

そのことに関して延々と、遅れてどんなに困ったかとか、迷惑を受けたかというインタビューをしている。人が亡くなっているのに、人々の関心もそこにしかないようで、人一人が自殺まで追い込まれて亡くなったことへの痛みも感じられない。

事故があって、ダイヤに支障が起きれば困る人が出るのは当たり前のことだ。そんなことをわざわざインタビューして、ニュースに載せる意味がどこにあるのだろう?事故があって遅れたとひとこと言えば済むニュースではないのか?

どこかの誰かにとっての息子(あるいは父親、夫、兄、弟)が失われたというのに、そんなことをわざわざ長々とインタビューまでして放送しなければならない程、不便だったということはそんなに重要なことなのだろうか。

自分の家族が亡くなって、そのことに関して人々が不便・迷惑しか論じていなかったら、遺族はどんな思いがするだろうか。そういう想像力はないのだろうか。

そんなに人々は命に対して不感症になってしまったのか?人一人の命が失われたというのに、、。一体、どうなってしまったのだろう?こんなニュースを見て育つ子供達が、命を大事なものと思えたり、人の痛み、苦しみへの同情心を持てるように、どうしてなれるだろうか?

マザー・テレサが日本を「ものは豊かでもすごく貧しい国」と語った言葉が思い起こされる。
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by bs2005 | 2006-10-26 07:59 | 異論・曲論  

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