気づき

人生の知恵で必要なものは、大抵20歳前には既に耳にしたり、目にしたりしている。極端な話、その殆どは寓話等々で幼児期に触れている。最も大事な知恵の一つ、『北風と太陽』の話だって、あれを10歳過ぎてから初めて知ったという人は、少なくとも日本では少ないだろう。『青い鳥』だって、大人になってから知る人は滅多に居ないだろう。





だけど、大抵の人は、いいかげんな年になっても時に太陽ではなく北風になってしまう。幸せを外に求めてしまう。頭で分っているのと本当に分っているのは違う。分っていても出来ないことというのは、とどのつまり、本当に体の芯でストンと理解できていないのである。

本当に理解するためには気づきが欠かせない。自分の中から気づく。そのとき初めて頭で分っていたことが本当に理解できて、それまでの自分が本当には全然分っていなかったことに気づく。

石原裕次郎さんは、人に説教もアドバイスも一切しない人だったそうだ。自分で気づかない限り、本当に理解できることは一切ないという固い信念があったからだという。裕次郎さんはそれをとことん理解できていたのだろう。私は頭で分っているだけなので、その禁欲がなかなか出来ない。

気づくためにはタイミングも必要だ。心理学ではレディネスという言葉を使うようだが、それをストンと理解できる経験なり、状況なりが揃って初めて自分の気づきとして訪れる。

気づいても、私などはすぐ忘れる。あ、いつの間にか忘れていたなと思うことがあると、自戒のつもりで自分の為にブログに書く。何かの機会で、その気づきを見失っている人や状況を見ると、ついお節介で書く。

自分の気づきの再確認の意味もあるのだが、今のタイミングで触れれば、自分の中からのもっと力強い気づきになるかも、そうしたら楽な方に歩けるかも、というお節介部分は否めない。結局、裕次郎さんの深い理解に私自身が全く遠いからだ。

エラソーなことを書いているからと言って、くれぐれも「他の人より気づいていて、それを確実に自分のものにした人格者」などとは誤解されないように。他の記事を読んでおられる方は、そういう誤解の心配はさらさらないと思いますが、念のため。本人もそうではないことは重々承知しております。(汗、汗)

人生というのは、そうやって分っていたつもりのことを本当には分っていなかったという気づきの連続と、それを忘れては気づきも本物ではなかったと思い知らされることの繰り返しなのだろう。願わくば行きつ戻りつの繰り返しではなく、少しずつ螺旋状に上に登っていきたいものだ。
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by bs2005 | 2006-10-20 02:39 | 異論・曲論  

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