「自己責任」の陥穽

最近よく自己責任という言葉が使われる。自分のするべきことをしないで、責任を転嫁する傾向が最近特に言われるので、こういう考え方を確認することは大事だと思う。アメリカでも、基本にある考え方だと思う。

ただ最近、この言葉が安易に使われ過ぎているような気がする。




一つは、自己責任だから、と言って簡単に人を突き放してしまう冷たさに繋がって来ている傾向だ。自己責任の自覚は大事だし、自分が責任を果たすべきことは最大限するべきである。でも、その力が及ばない範囲だってある。そこを超えた部分は、フォローする態度も必要ではないだろうか。杓子定規な線引きは慎むべきではないだろうか。

もう一つは、自己責任は承知していますと言い切って行動を取る場合。それ自体は立派な覚悟だと思うけど、実際に自己の能力だけではカバーし切れないことは少なくない。本人が自己責任と言ったからと言って、いざとなったら放っておく訳には行かない。助けに行って命を落とす人もいる。

助けが関係ない状況だとしても、それで回りの人を大混乱に、或いは悲しみのどん底に落とすことだってある。どんなに気を付けたって、周りの人を巻き込まずに済ませられることというのは、殆ど無い。

だからと言って、行動するなというつもりは毛頭ないけど、「自己責任を取ります。分っています。」という言葉は、人間は一人で生きていない、誰にも影響を与えないようには生きられないということに対する謙虚さを失った思い上がりか自己過信に聞こえるときがある。「ご迷惑をお掛けしないように極力、心します。勝手をお許しください。」と言った昔の人のもの言い、態度に学ぶべきではないか。

自己責任というのは、相手に対しても、自分のことに対しても、口にすべき言葉ではなく、相手に対してなら呑みこむべき言葉、自分に対してなら心で密かに誓う言葉なのではないか。何かの問題を一般論で論じるときは別として。
[PR]

by bs2005 | 2006-08-14 04:32 | 異論・曲論  

<< 一輪差し S.F.MOMAでの東松照明展 >>