「誤解を恐れないで言えば」と言った部分

今までブログに書いてきた立場から敢えて触れなくても良いだろうと一つ前の記事で書きませんでした。記事では強調したいことだけを述べました。コメント頂いてやはり、そういうこともきちんと書いておこうと思います。



基本的には今までの多数の記事で書いているように、私は、人間の情としての部分が一番世界平和をもたらすには大事なものだと思っています。同じ人間だという土俵での共感、理解、それが一番大事で強力なものだと思っています。どんなに時間が掛かっても、甘いように見えても、結局愛しかそこには行けないとも度々書いています。それが王道と思う気持ちが基本です。

また、今までの反核運動を無益なものだとも無駄だとも思っていません。地道な活動があったからこそ、今までに核は使われてこなかったし、被爆者という言葉がhibakushaとして通じるようになった、そういう多数の人々の努力も想いも否定していないし、その努力と実績は高く評価しています。

私自身、祖父母は広島出身です。親戚には被爆者(死んだ人も生き残った人も含め)も少なからず居ます。いつも理性的だった祖父が、90歳過ぎに生涯にただ一度見せた涙は原爆で逝ってしまったすごく優しかった姉の最期を語る時でした。無念の思いも、その後の様々な面での血の滲むような思いも知らないわけではありません。情に訴えようと思えばいくらでも書けます。でも、それでは決定的に足りない。だからこそ、敢えて誤解を恐れず強く伝えたいのです。王道であることは、それで十分だということには全くならないと思います。

今までのやり方で成果を挙げてきた部分は続ければよい、でも、成果を全然挙げてこなかった部分、それは何故なのか、どういう部分に対してなのかを科学的態度で分析し、そちらに対しても成果を挙げられる方法を模索するべきときに来ているということです。61年間頑張ってきても成果を挙げられなかった部分に目を向けていかなければいけない。成果ばかりに目を向けていては大きく取りこぼすものがある。それが王道だからと言って王道に安住する贅沢は許されない段階に来ているということです。

hibakushaと言って通じるところまで来ているからこそ、被爆を受けた沢山の人の無念を情ではなく、科学的データ、シュミレーションとして提示するべきだということです。今までのような過去のデータとしてではなく、未来のデータとして。

勿論、今までの努力が実を結んでいる部分は世界に沢山あると思います。世界にそういう人々がいると冒頭で書いたように。ただ、それが圧倒的多数に育っていないということを冷厳に見る必要があると言いたいのです。

たとえばアメリカです。核はどうも大変なものらしいとは思っている。だけど、いざとなったら、使うより仕方ないかもと思っている層というのは無視しがたく居ます。必要悪のように思っているのは。 テロリストだってそうです。閉鎖的状況を突破するには、それ位やらなければと思っています。

そういう情に訴えても通じない層がはっきり居るのです。そういう層をはるかにしのぐ無関心層も。そういう層に対して、今までの方法だけでは通じない、そういう冷徹な認識が必要だということを訴えたいのです。科学的理論武装が必要だということです。

戦争は嫌です。悪です。核爆弾は二度と使用させてはなりません。その思いを実現するときに、情だけには頼れない、科学的態度も必要だということです。過去のデーターを示すだけでは通じないということです。「ヒロシマ、ナガサキの人は本当に可哀相だったけど、あれが無ければあの戦争は止められなかった、あれは必要だった」と固く信じている人は世界中に沢山居ます。素朴で善良な、情を大事にしている人達の中にも。

こういう発想そのものの間違いを論理的に示していかない限りは、次に切羽詰まった状況になったときにも仕方がないと認める層がすごく多いのだということです。こういう発想を根から絶てるのは情ではなく科学です。例えば、北朝鮮が日本に、或いはテロリストがどこかの国に原爆をある日突然落とします。そのとき、そういう人々は、自分の国もやられないようにする為には、こちらも核で報復するより他ないと思うのです。日本の中にでさえそういう声はかなり強く出てくると思います。情というものは(たとえそれが王道でも)そういう脆い弱さを合わせ持っているという自覚が必要だということです。

ヒロシマ、ナガサキへの原爆は戦略的にも必要ではなかった、国際法規の本質から言っても犯罪的なものである、そういう歴史学、政策論学、軍事学、国際政治学等々まで含めた社会科学的な丁寧な分析も必要なのです。ただ残虐だったからいけないのみならず、あれが無くても日本は戦争を止めていた、科学的に検証すればそれは明らかになることです。アメリカもそれは知っていた、知っていたからこそ自分達主導で終わらせようと落としたというその政治的なあり方そのものから断たなくてはならない。

あれは仕方なかったという発想が世界に、そして地球の未来に何をもたらすのかを明確に科学的に、自然科学的にのみならず、社会科学的に、人間科学的に示して行かなければならない。

非戦闘員を犠牲にするあらゆる動きに対して、具体的に科学的に反対して行くことも必要です。市民への攻撃が許される、場合によっては仕方ない、その発想を根から断っていかなければならない。情は勿論ですが、それだけでは足りない。科学が必要だということです。反核を実現したければ、レバノンの今の攻撃にも声を挙げていかなければいけない。情緒的にだけでは駄目だということです。そういうところから押さえて行かなければならない。原爆が非戦闘員の市民の大虐殺であったことを感情的にではなく、科学的に証明する必要があるのです。

私は日本人が思うほど、世界は前提を共有していないのだということを訴えたいのです。外に居るとそれが怖ろしいほど見える。私はそこに深い危機感を持っているからです。中にいると分らない、その運動をよく知っていると成果は見えやすい。でもそれに安住してはいけない。

勿論成果を否定するつもりはありません。だけど、成果の外の部分、影の部分を見なくてはいけないということです。成果を否定する気は毛頭ありません。その成果を挙げるために、どれだけの地道な努力が払われたかということにも敬意を持っています。ですが、成果があるからといって、そういう影の部分に目をつむる訳には行かない。核に関する日本の常識が世界の常識になっていない現実をきちんと見なくてはならない。

卑近な例を挙げますと、例えば日本の首相がアメリカに来ます。日本のニュースではトップになります。アメリカの大統領と並んだ映像も大きく報道されます。でも、アメリカでは殆どの人が来ていたことすら知らない、そういうことがよくあります。

日本では大々的に報じられた横田早紀江さんの大統領との会見もそうです。アメリカではその晩のローカル局のニュースにもならなかった。(ニュースはローカル局のニュースしか見ないひとも沢山居るのです。)だからと言って、横田さんの行動が成果のないものだとは言いません。画期的に意義のあることです。それでも、その報道の影の部分の現実は厳しいものです。それを知らない人の方が圧倒的に多い現実。成果だけに目を奪われていてはいけないのです。一番そのことを理解しているのは横田ご夫妻だとは思いますが。

国の中にいると、その部分しか見えない、影の部分が見えない、影の部分を伝えたかったのです。そしてその影の部分で、核というのは非常に現実的に使用に近づいている。もう、待ったの効かないところまで来ているように私は感じています。今までのアプローチだけでは決定的に足りないのです。物理・化学、社会科学、医学、人間科学、全てのものを導入した科学的理解を全人類に共有させて行かなければならないのです。

世界には色々な考えの人が居る。戦争は悪だと思っていない人もいる。原爆は怖いと思っていない人もいる。そういう人間がどれだけ多いのかという現実を見据えないとならない。そういう今までの方法だけでは、戦争も核爆弾の使用も押しとどめ切れない現実を見ていかなければならない。闘いは多面的に展開されなくてはならないのです。

戦争が悪であり、核爆弾が悪である、それを共有できない層が無視できないほど居るからこそ、今まで核は使われないで来たけれども増え続けている現実。明日にも使用されてもおかしくない現実。そういう層にいかに悪だと言っても無力な現実を見据えなくてはいけないところに来ている。もっと有力な道筋を考えていかなければならないとその現実を止められない。

原爆は悪だけど、必要悪であると素朴に思ってしまう考え方の根底にある「ものの見方」というものは、実は日常的に、原爆ということと関係ない局面で頻繁に見られるものです。核のレベルだけでなく、そういう根底的な部分も問うていかなければならない。もっと深く深く降りて行かなければならない。

同時に戦争がいかにワリの悪いものか、核爆弾がいかにワリの悪いものであるか、使用して得することは何もない、使用者にとってすら引き合わないものだということを科学的に証明しなくてはなりません。そうしないと耳を傾けない層が、根強く幅広く居るのだという現実をきちんと見据えなければいけないというのが、私が誤解をおそれずに強調し、伝えたかったことです。

情に訴える部分は今までの61年間、たとえ十分ではなくても、出来るだけのことをしてきた。これからはその基礎に立って、もう一歩推し進めて行かなければならない。もう待ったが効かない。そこに必要なのは冷徹で冷静な科学的態度だということです。
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by bs2005 | 2006-08-10 04:26 | TON同盟  

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