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とってもとっても若いときのクロー話

若いうちの苦労は買ってでもしろという。そこから沢山のことを学んで賢くなるし、強くなる。優しくもなる。そういうことらしい。年取ると回復力が悪くなる。何事も若い内ということらしい。




昔、ぐちぐち言っている若いモンに、「ま、若いうちの苦労は買ってでもしろっていうから、ハハハ。」と甚だつれない対応をしたら、テキもさるもの。「ぼく、苦労は買うより売りたいです。」なんて抜かしておったっけ、、。

私はその苦労をとんでもなく早い内にしてしまった。何と幼稚園のときに、既に挫折と孤立と無常を味わっている。ナニユエ??ひとことで言えば、とんでもなくドンクサイ子供だったからだった。

幼稚園は幼児の足ではやけに遠かった。キリスト教系の幼稚園というので評判が良く、初めての子であった私は、親の期待を一身に背負って、その遠い幼稚園に通い始めた。通いだして早々に、幼稚園が遠すぎて途中で犯してしまった失敗は、書きたくもないけど、読む方はもっと読みたくないと思うのでカットする。

ともかく幼すぎてその失敗をうまく事後処理できなかった私は、その段階で既に要注意人物となってしまった。そして、お絵かきの時間が始まって、さらに一層、墓穴を掘り続ける。他の子が皆できることが出来ない。折り紙を折って花を作って、画用紙に貼り付けるというのが、一人だけその花の形にならない。

見かねたのだろう。じゃ、こういうの作ってごらんと言われた花は、子供の目から見てもこれ以上ない程簡単なもので、これが出来なかったらホントのバカという感じのもの。子供心に自分のレベルを思い知らされた。

そんなことが重なって、その内幼稚園に行くと、何をしに来ているのか分らない、全てもやの中に居るような、頼りない感じがした。その場に居るのに居る実感が少しも無い。「???」と思いながら行く。幼稚園に居る間中、「???」。帰ってくるときも「???」。何かがおかしい。

気のせいかなぁ、何なんだろう、この頼りない空しい感じはと、勿論そんな難しい言葉では自覚していないけど、身体全体で感じながら通って、気のせいじゃないと分かったのは卒園の日だった。

式が終わって、さてクラスごとの記念写真を撮るということになったとき、自分が何組なのか分らないことにはたと気付く。分らないので、適当に並んでいる中に入ると、皆から「クラス違うよ~!」と追い出される。本人がどの組か分らないのに、回りは私がそうじゃないと子供ながら分っているのは今思うと凄いなと思うけど、分らない本人が凄すぎるのかもしれない。

そしてどのクラスからも追い出されて仕方なくあきらめた。それで幼稚園のアルバムには親が撮って貼ってくれた写真以外で、私が写っているものはない。長い間、その事件は謎だった。

数年前だったか何かの話のときに、「あれは何だったんだろうねぇ?」と母にぼそっと言ったら、母はいとも簡単に、「あ、あの幼稚園ね、あなた、途中で補欠に回されていたからね。」という。要するに落ちこぼれて皆と一緒にやれないので、補欠という形で通園を続けていたのだそうだ。

「あら、あなた、知らなかったの?!いやね。」なんて涼しい顔をしている。子供にそんな難しいことは分らん!い、いや、それも分らないほどのドンくさい子供だったのかもしれないが。

「幼稚園で既に落ちこぼれるような子供を見て、将来を悲観しなかった?」と訊いたら、「私たちの子供だもの。これから回りをあっと言わせる筈」と思っていたそうだ。その時、改めて親馬鹿というものは呆れる程非論理的なものなんだとつくづく思った。親っていうのは本当にバカなんだな、、とも。

その後は悪い方ではあっと言わせたけど、良い方で回りをあっとさせることが無かったのは言うまでもない。こんなに若いうちに苦労をしたのに、全てもやの中で、特に身に付いたことが無いのも、至って残念なことである。若すぎるときの苦労というのも考えものである。

身に付いたものはないけど、トラウマにはなってしまったのか、その後もお勉強系の学科は何とかなるが、実技系の学科はことごとく苦手のまま今日に至っている。補欠になってまで幼稚園に通うのはいかがなものか?もっともそんなヤツは他におらんね、、、。

by bs2005 | 2006-05-16 06:14 | 待夢すりっぷ  

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