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「一緒に居ることが愛」

これは以前に本店の「ぶんな毎日」にも載せた岸恵子さんの言葉だ。記事では本に書いてあったように書いているが、この言葉自体は本の中でなく、対談番組の会話の中での言葉だったかも知れない。どこまで本に書いてあったかは既にあいまいだが、この言葉だけは心にしっかりと刻まれている。以前の記事と重複する部分もあるが、この言葉に焦点を合わせて、もう一度書こうと思う。この言葉は私にとってとても重要な言葉だったので。






岸恵子さんの母親が倒れて、彼女はフランスに戻る予定を取り消して、実家で母親と結構長い間暮らした。母親と不仲だったわけではないけど、二人ともはっきり言う性格でもあり、ぶつかることも多かった。好きでもない数匹の猫の世話に気が入らないと文句を言われたり、つい猫に邪険に当たると、「おお怖い!この人は帰る人だからね。もうちょっとの我慢よ。」とか「あなたが居ない方がどんなにほっとするか、気楽か、」と言われていたという。

こちらこそフランスに飛んで帰りたい、帰れるものなら帰っている、自分の本来の生活はそっちにあるのだと思いながら、弱っている母を置いていく訳にも行かず、実家に居続けて世話を続けたという。勿論、こっちも言いたいことは言わせてもらいましたよ、遠慮はしませんでしたから、結構派手にやり合ってましたと笑いながら、彼女は語った。

そんなことを美人女優でイメージも大事だろうに、彼女は実にさばさばと話した。聞いているこちらが不安になる位に。私は貪るように聞いていた。私も全く同じ状況だったからだ。

両親とも入院し、命を拾ってほぼ同じ時期に退院してきたとき、私はいつまでというあてもなく日本に残った。退院したばかりの頃は世話は大変だったけど、その頃より大分良くなって来てからの方がむしろ辛かった。

「有難う、有難う、残ってくれて悪いわね」という姿勢は薄れ、まだ放ったらかしで帰るわけにも行かないのに、居ない方が良いとぶつかる度に言われた。医者に止められていることを止めると腹を立てられる。身体が弱っている分、わがままにもなるし、素直にハイハイと言えることではないことで、つむじを曲げられる。

それを上手に処理できない自分。年老いて、まだ完全に復調しているわけでもない親とぶつかる自分の未熟さ、不器用さ。帰れるものなら帰りたいわよと叫びたい気持ち、そういう自分への自己嫌悪・情けなさに苦しめられていた。

そんなとき、彼女がテレビで母親との日常を何でもないことのように話していたのである。そして、優しげで上品、親子喧嘩などという無粋で攻撃的なことからは遠いイメージとの違いに驚きながら聞く司会者に、彼女は朗らかに言ったのだ。
親子だもの。遠慮がなくてぶつかるのは当たり前。喧嘩だって、どんどんすれば良いのよ。親子だから大喧嘩したって、その後、けろりと一緒にお茶漬けなんか啜れる。どんなに喧嘩したって、一緒に居る、そのことが大事なのよ。一緒に居ることが愛なのよ。それだけで良いの。それ以上出来なくたって、一番大事なことは、それでも一緒に居るってことなんだもの。

血のつながらないお姑さんの介護で、もっと悶々としている人も世の中には沢山居ると思う。そうそう優しく出来るもんじゃないもの。それだって良いのよ。どんなに意地悪な嫁と言われていたって、介護を放り出さないで一緒に居るということだけで、その人は愛を貫いていると思うわ。

生身の人間同士だもの。色々あってもしょうがないの。角を突き合わせていても、それでも一緒に居るということが大事なのよ。それが愛なのだから。

その時、私がどんなに救われたか分らない。それから後は喧嘩する度に、何を言われようと呪文のように「一緒に居ることが愛」と自分に言い聞かせて残り続けることが出来た。二、三年は覚悟していたけれど、半年だけで帰ることが出来るまで。

彼女が話してくれた母親との日常は、決して綺麗ごとではない。眉をしかめた人も、彼女を美化していた人の中には幻滅した人も、ひょっとして居るかもしれない。普通の美人女優だったら、わざわざ言わないような話だ。最近の女優ならともかく、彼女はトイレにも行かないイメージが大事だった頃に出てきた大女優である。ファンには今でも彼女にそのイメージを持っている人が居るだろう。持っていてもおかしくない相変わらずの美しさである。

その彼女がそういう話をしてくれた。夫の親の介護でぼろぼろになっていたような人には、私以上の救いだったろう。本当の優しさというのはこういうものなのだと思った。昨日書いた記事「心は美しくなれない」で言いたかったことも、こういうことだ。心がどんなに荒れ狂っていても、居るという行動を選び、貫くことに意義がある。それを愛と言い切ってくれた彼女の御蔭で、私は地獄から救われた。

彼女は勿論知るよしもないけど、私はその時彼女に大きい借りが出来たように感じている。私がブログに綺麗ごとでないことも、人によっては眉をしかめるだろうことも書くのは、私なりにこの借りを返す気持ちもある。私が救われたように、私のあがきを書くことで救われる人もいるかも知れないという思いが、私の気持ちの底にはいつもあるのだ。

ビンゴさんの記事で再び書きたくなったことなので、彼女の記事にTBさせて頂きます。

後記:「愛の偉大さは、常にそのなかに、愛ではないものまでも含んでいるからである」
Past Light さんが記事で書かれていた言葉
、本当に含蓄のある言葉ですね。その通りだと思います。

by bs2005 | 2006-04-30 01:26 | 徒然の瞑想  

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