避けない方が悪い?

また、清原ネタで申し訳ないけど、避けない方が悪いという論がまかり通っているという。あまりに日本的な反応という感じがする。アメリカの野球ファンがこんなこと言うのを聞いたことがない。死球を非難することはあってもだ。

まず第一に悪しき精神主義である。第二にプロというものに対する尊敬がないというか、アマとしての謙虚さが全くない。第三に対岸の火事である。自分を渦中に置いて自分の問題として考えてみる姿勢がまったくない。想像力の著しい欠如。

プロの球はアマの球とは丸っきり違う。避けようとして避け切れるものではないのだ。成績が上がらず、ボールに当たってでも出たいという選手以外は、誰も好き好んで当たりたくない。避けようとして必死になっても避けられない。運動神経抜群の選手が避けられないのだ。

自分でやってみろと言いたくなる論理だ。プロが避けられないのだということに対するアマとしての謙虚さがまるっきりない。何度も言うけど、自分でやってみればよいのだ。プロを甘くみるのもいいかげんにしろと言いたい。

自分に近づいた球を初めから逃げまくっていれば避けられるかもしれない。しかし、それではその選手の選手生命は奪われたも同然だ。それではプロでやって行けない。選手生命、すなわち生活がかかっているのだ。

そういうことを無視して、そもそも避けられないものを気合で避けられるように言ったり、当たって文句を言うな、みたいな対応は科学性のかけらもない悪しき精神主義以外の何物でもない。あの戦争のときと少しも変わらない感覚だ。避けられないコースをストライクにするべきではない。ストライク・ゾーンをアメリカのように変える配慮の方が必要だ。多少は減るだろう。

そしてあまりにも日本的なひとごとという感覚である。身内と他人にはっきり線を引く。ムラの外と中の人間の扱いが天と地の違いになる。同じ人間として、その立場に立ってみるという思いやりに欠ける。従って、それによって選手生命を奪われるかもしれない、命を奪われるかもしれないという打者の必死な思いは歯牙にもかけない。

私が今度のことでこんなに拘るのは、悪しき精神主義という意味でそれがあまりに戦中の日本そして本質的には今も変らない日本を示すものであるように思えること、そして日米同盟にべったり依存しながら、自分の国を自分でどう守るのかという論議ぬきで対岸の火事のように処して来ていることの一つの象徴的例に思えるからである。

ついでながら、日本人がプロに対する尊敬が足りず、アマとしての謙虚さに著しく欠けた発言をよくするのは、日本のプロにも責任があるかも知れない。プロとして余りにお粗末な政治家、耐震偽装問題に見られるようなプロのいい加減さ、プロとしてのプライド、自覚がまるっきり感じられない、そういうものを見すぎて来たからかもしれない。
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by bs2005 | 2006-04-27 00:09 | 異論・曲論  

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