バシー海峡の悲劇 その2

バシー海峡の悲劇 その1

日本人の傾向としてよく言われていることだが、悪しき精神主義がある。「こうあるべき」「・・でなければならない」が先ずある。何故そうあらねばならないか、どうして現実はそうなっていないのか、が厳密に問われないままで、一つの形が提示されると、それが本当に正しい方向かという検証が殆どなく、そこに一斉に突き進む。その方向に行けない、行こうとしない人間は、精神の鍛え方が足りないような非難を集中的に浴びる。





あの戦争に突き進み、泥沼に入って行ったのも、そこに終止符を打って方向転換をするのが、あんなに遅れたのにもそれは明確にみてとれる。そして精神主義を振り回す指導層が、果たしてそれだけの精神を持っているのか?科学性のかけらもない迷妄と迎合が悪しき精神主義に拍車を掛ける。それを如実に示すひとつの形が「バシー海峡」だった。

小松真一さんは『慮人日記』の中で、こう書いている。
サイパンは陥落し、まさに日本の危機であり、比島こそこの敗勢挽回の決戦場と何人も考えているのに、当時(十九年四月、五月)のマニラには防空壕一つ、陣地一つあるでなく、軍人は飲んだり食ったり淫売を冷やかすことに専念していたようだ。
ただ口では大きな事を言い「七月攻勢だ」「八月攻勢だ」とか空念仏をとなえている。平家没落の頃を思わせるものがある。


既にサイパン陥落の時点で、冷静に分析すれば、日本に勝機はない。アメリカに勝てるようなまともな武器も食料も既に前線にはない。まともな戦いも出来ず、ただ逃げ惑うだけ、攻撃されていないときは、自分達の食料を獲得するためにジャングルの中で畑仕事をして芋で食いつなぐような状態で、戦争を続行する意味はどこにもなかった。

それを精神主義で乗り越えることを国民に上層部は強い、その精神主義に抗する力を国民は自分の外にも内部にも持っていなかった。精神主義は、自分達の内部にも巣食っているものだったからだ。そこから私達はどれだけ変われたのだろうか。

危機の中で、パニック状態に陥ったとき、ここが唯一の危機脱出の道だと聞かされた人々は、その出口に殺到する。それが唯一の逃げ道か、それが果たして本当に逃げられる道であるか、考えることもなく、ただ殺到する。

フィリピンの戦線にしか挽回の道はない、そここそが唯一の道であると上層部はその戦線へ兵士を大量に送る人海戦線に出た。そして台湾からフィリピンに向けて、膨大な数の人々がバシー海峡の海を渡らされた。そして殆どの人がフィリピンに着く前に亡くなった。そこはアウシュビッツまがいの「死のベルトコンベアー」だったから。

こここそが挽回の命綱と信じて散った人はどれ位居たのだろうか?恐らく大抵の人は、既に希望も、抵抗する気力も判断力も失って、「死のベルトコンベアー」に従順に乗っていたのではなかったか?

それが「死のベルトコンベアー」でしかないことは上層部には分っていた筈だ。送っている人員が現地に殆どたどり着けていないのだから。

それを認める勇気も、けじめもなく、科学的に分析する知力もなく、精神主義で鼓舞することしか知らない指導者層によって、人々は送られ続けて、殺され続けた。その現実は死人に口なしで語られることもなく。

あの戦争は始めたこと自体、罪だけれど、それをとっくにやめるべき時点で、強行し続けたことは、それをはるかに上回る重大な犯罪だった.と私は思う。(続く)
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by bs2005 | 2006-04-09 03:13 | TON同盟  

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