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栄光の蔭で

中学時代、同じクラスにオリンピックを目指している少女が居ました。彼女の親戚に有名なオリンピック選手が居て、その人に才能を見い出され幼い頃から特別な手ほどきを受け、小学校の時に既に頭角を現わしていました。




彼女に掛かる期待はものすごく大きく、その期待に応えようと彼女の精進ぶりは凄いものでした。今から考えると遊びたい盛りに、何故あれほど自分を律して、努力、努力の毎日を続けていられたのかと改めて驚きます。

自分にものすごく厳しい努力家でした。学校も合宿のある時や競技のある時期は来られず、授業の遅れを一生懸命カバーしながら、友達と遊ぶ時間も殆どありませんでした。遠足や修学旅行なども参加できなかったことが多々あったように思います。

早退もしょっちゅうでした。私立だったので、融通が利いた面が大きいと思いますが、皆とはかなり違う生活でした。それでも、勉強に遅れることもありませんでした。昼休みに彼女が黙々とランニングをしていた姿は、今でも目に浮かびます。

子供の頃からの厳しい練習に耐えて来たからでしょう。彼女はすごく大人でした。精神力も何もかも鍛え方が違うという感じの人でした。彼女からは私たち同級生はとてつもなく子供に見えていたと思います。

担任の先生は登山が趣味の山男でした。そんな彼女が遊びにも行けない、クラスメートとの交流にも殆ど参加できない状態を気の毒に思ったのでしょう。トレーニングを兼ねてということで、クラスの男子数人と彼女を誘って山に出かけました。トレーニングを兼ねているので簡単な山ではありません。男子もそれなりに山の経験はあります。

登って行って頂上に着くや否やだったか、とにかく山の天気が急変するのを先生は感じました。まだ微かな兆しでしたが、経験豊富な先生には分かりました。それで、直ちに下山ということになりました。ろくに休んでいない状態での下山は、それは大変なものだったようです。

途中で、男子は根を上げました。もう一歩も動けない、休ませてくれと駄々をこねて先生の言うことを聞かずに座り込んでしまいました。先生も途方に暮れた時、普段おとなしい彼女が、その男子達に言ったそうです。「先生がどんな気持ちで私たちに休むなと言っていると思うの!休ませて上げられるような状況なら休ませて上げたいと誰よりも思っているのは先生でしょ!今はそんな状況じゃないからでしょ!」と。

女の子にそう言われては、男の子達も立ち上がらない訳に行きません。それで皆はまた歩き出して、ぎりぎりに遭難せずに戻れたそうです。四十年近くぶりにお会いした時、その思い出を語った先生の目には涙が浮かんでいました。「あの時、彼女が言ってくれなかったら、もう彼等は僕がどう言っても動かなかっただろうなぁ。男の僕らが彼女に命を助けてもらったんだよ。幼い中学生だった彼女にね。」と。

彼女はそんな人でした。誰よりも自分に厳しく、どんな努力も惜しまず、黙々と頑張っていました。

そんなに頑張っていたのに、高校の頃の競技成績は学年が進むにつれ、落ちて行く感じでした。それでも彼女は少しも変らぬ努力を続けていました。その競技で彼女が小学校の頃より上位の成績を上げたことは、ひょっとするとなかったのかもしれません。

卒業後、マスコミを賑わしているのは他の選手の名前でした。彼女の名前を華やかな場で聞くことはありませんでした。親戚のその元オリンピックの選手の名前は後輩を沢山育て上げ、名士としてマスコミから消えたことはないのですが。

私が最後に彼女の名前を見たのは、生後間もない赤ちゃんを残して彼女が亡くなったという同窓会の会報の短い通知でした。

いつまで彼女が夢を追っていたのか、いつ遂に引導を渡されたのか、あるいは渡されなかったのか私は知りません。あれだけ頑張っていた彼女がどんな失意の日々に耐えていたのかも知りません。

担任だった先生は、亡くなる直前まで交流があったようです。先生は、「ずっと年下だけど、僕は彼女をものすごく尊敬している。本当に凄い人だったんだよ。」と私に語ってくれました。「あんなに若く、志果たせず亡くなってしまったことを思うとたまらない気持ちになる」とも言われた先生は、自分の健康を害されるまでずっと、地方の辺鄙な場所にある彼女のお墓にお参りしておられていたそうです。

それなりの実績を上げた選手はその努力やあきらめなかった不屈の精神を称えられる。でも、実績を上げられなかった人達、栄光の蔭に消えて行った人達の中にも、そういう人達に負けない位、あるいはそれ以上に努力し、全てを捧げて頑張った人達がいる。努力も、その闘志も、ましてや栄光を称えられることもなく、、。

辛いものですね、人の宿命というのは。でも、その宿命を精一杯生き切った彼女を私は心から称えたいです。

この一文は、彼女の短い一生に捧げる三十年遅れの献辞です。

by bs2005 | 2006-03-08 02:42 | 待夢すりっぷ  

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