義務教育への提言

ゆとりの時間などというわけの分からないものが出来て、一部には実績を上げている学校もあるようだけど、大方の所では、わけの分からないことになっていると聞く。実際の所はどうなのかは、海外にいるのでわからない。

しかし、そもそも「ゆとりの時間」などというわけの分からない名前を付ける時間を増やす位ならば、「にほん」という学科にしてもらいたい。中味はその学校が決めればよい。学校ごとに特色が出て良いと思うし、教師のバックグラウンドによって教えられるものも違ってくるだろう。それに合ったもので良いと思う。書道の時間だけでは足りないと思う。



低学年ならば、折り紙とかこまとか竹馬作りとかそんな日本の遊びでもよい。盆踊りとかどじょうすくいとか黒田節でもよい。日本の民話でもよい。高学年だったら、一年掛けて、現代語訳でいいから『平家物語』なんなりの古典を読みおえるとか、お茶なり、華道なり、柔道なり、剣道なり、俳句なり、和歌なり、相撲、能、歌舞伎等々の研究だって良い。和楽器でもよい。何でもそのレベルと興味に合ったものでよい。義務教育の9年を掛ければ相当の蓄積になるのではないだろうか。

浅いレベルでもよい。そこから先は個々の子供達が自分で深めて行けばよい。とにかく、日本独自の文化は何か、その根本にあるものは何かを微かに感じ取るだけでも良い。今のままだと日本の子供は、日本人というアイデンティティを失った根無し草になる。「日本の心」を伝えられなくなる。

自分の国に誇りを持てない根なし草は世界で通用しない。英語なんか話せたって通用しない。自分の生まれた国にさえ誇りを持てないで、どうやって世界の一員として誇りを持てるのかと思われるだけだ。早期英語教育なんて言っている場合ではない。そもそも根がないのだから。

ばかげたあの戦争とその敗北によって、日本はそのアイデンティティを守る基盤に大きいダメージを受けた。その基盤を失っていない国とは根本が違う。失っていなければ、早期英語教育も意味はあるかもしれないが、失った国は、そんな呑気なレベルのことに関わっていられない。そういう贅沢を許されない所に居る。よその国でもやっているから、などという論議は、日本が失ったものへの自覚が無さ過ぎる。

国際人である為にまず必要なのは英語ではなく、その国民としてのアイデンティテイである。私自身が苦い自覚を持って悟ったからこそ、声を大にして言いたいことだ。
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by bs2005 | 2006-03-02 02:36 | 異論・曲論  

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