違いを知る喜び

人間は自分との共通点を持った人に親しみを感じてしまう生き物である。同じ感性、価値観、世代、趣味、背景、学校または地域の出身、悩みや経験、ひいきのチーム・選手・タレント、等々、何かの共通点を知っただけで、ぐっと親しみが増す。

これはどうしようもない事だし、私自身もそうだ。だけど、共感ばかりを求めていては人間は成長しない。枠が固まってしまう。「私もそう!」「同感!」「良いね、良いね!」という反応は、めっぽう嬉しいし、心強いけれど、その満足に浸ってばかりいると、井の中の蛙になってしまう。





自分と同じ感性、価値観しか評価できなかったり、違うと切り捨てることしか出来ない人が、世界平和などを訴えるのを聞くと、不思議な感じがする。自分が出来ないことをどうして、人に大上段に求められるのだろうと。違いを受け止める姿勢を、一人一人が少しでも意識して行くことからしか、世界平和だって始まらないのではないだろうか。

私がブログを始めて良かったと思うことの一つは、感覚や価値観の違う人の本音に触れられることだ。こういう受け止め方、感じ方があるんだと知る新鮮な喜びがある。

大体、人間は共通点を持った人と親しくなる。同じ感覚に囲まれていると、全く違う受け止め方がありうるのだということを、うっかり忘れてしまう。また、顔を付き合わせる友達同士だと、こんなことを言ったら、気を悪くするのではと遠慮したり、友達だからと許しあって黙っている嫌な部分もあるかもしれない。そういう部分の本音は逆に見えにくくなる場合もある。

ブログを読んでいると、こういうことに不快を感じる人が居るんだな、気を付けようとか、こういう考え方、感じ方があるんだ。自分のものの見方は少し偏狭だったなと反省させられたりする。また、自分の価値観、感性からしかものを見ていない人を見ると、自分が若い頃は散々そうだったせいもあってか、お節介にも、こういう感覚・価値観だってあり得ると伝える必要を感じ、自分のブログに意見を書いたりする。

私は威張りたがりの更年期まっ最中で、ついエラそうに決め付け口調て書くので(汗)、信じてもらえないかもしれないけど、自分が絶対正しいと思って書いてはいないし、「言ってること違うんじゃない?」と言われるのは全然嫌じゃない。感情的な言い方の時には、正直むっと来ることはあっても(汗)、言われた内容はきちんと受け止めようといつも思っている。

ブログを続けている目的の一つは、そういう刺激を受けたいからでもある。同じことでも全く違うように感じる人が存在する。自分の言葉も全く違うように受け止められることがある、そういうことを自覚することは大事なことのように思う。

面と向かっては、人はなかなか言ってくれないものである。また、感覚の違う人とは親しくなりにくいものである。ブログを始めて、同じ感覚を持った仲間と出会える喜びと同時に、自分と違う感覚の人の本音に触れ、目の中の鱗を落としてもらったり、視野を広げてもらう喜びに出会えて嬉しく思っている。
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by bs2005 | 2006-01-08 02:28 | 異論・曲論  

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